2009.07.08

図書館で自習したこと?ないです。

 気になることがあっても、趣味に没頭したり仕事に精を出したりしていると、何かと周回遅れになりますね。悔しい。ついでに筆も遅いので、ネタを思いついてからそれが文章として完成されるまで何日もかかり、その間に元ネタはどんどん枯れていく状態に。
 それでも書きます。主に中高生が図書館の閲覧席を自習に使う問題について。

 私的には、図書館過疎な幼若年期を過ごしたので(こちらのエントリ参照)、それが自習場所であろうと何だろうと、思い立ったらすぐ行ける場所に図書館があるなんて、それだけで贅沢だ!と思ってしまうのです。なので、この話題、どうしても冷静に語れません。

 主に高校時代を振り返るに、自分が図書館まで行って勉強しなかった理由は、概ね次のとおりです。

  • 歩いて行ける場所に図書館がなかった(実際はあったのかも知れないが、そもそも図書館を往復するのに使う時間がもったいなかった)。
  • 当時家庭の事情で母親と2人暮らしであり、家族に騒音源となる小さな子供もペットもいなかった。ついでに自室はリビングの隣りで鍵も掛けられず、机に向かうしかない環境だった。
  • 学校図書館の席は空いていたが、学校図書館は自分にとっては「遊び場」であり「勉強場所」ではなかった。

 こういった条件と逆に、図書館環境に恵まれ、家は勉強向けの環境ではなく、かつ図書館で遊ばない(笑)という中高生が、図書館に勉強の場を求めるのだと思います。

 話を戻しますと、自分としては、自習・学習スペースが公設の施設に備わっているのは良いことだと思いますが、でもそれが図書館の閲覧室じゃなくても良いじゃないか、図書館に行った時、借りる程でもないけどじっくり本を眺めたいのに、何故そこで図書館の本を使わず勉強している!?と考えてしまうわけです。
 しかし、こちらの記事によると、どうやら図書館がそういう空間を整備するとしても、全く的外れではないみたいです。年を取るとその根拠の原文を読むのが面倒なので、こうして頭の柔らかい学生さんに熟読してもらえるのは非常にありがたいことです。

 加えて、そもそもそれまでそういう需要に対応して施設を整備してこなかった自治体、ひいては国策の問題でもあるのだから、別に学校教育の立場で整備しても、社会教育の立場で整備しても良いではないか、という意見に落ち着いたような気配ですね。
 また、最寄りの大学図書館が地域住民に開放されているような場合は、そこが高校生の自習に利用されるというケースもあるらしいです。

 あ、でもぉ(特に深い意味はありませんがアニメ『けいおん!』の唯ちゃんの発音で。)、地域による対応の差、と言うか、「カネの差(あるいは誰かの陰謀あるいは努力により生じる予算上の手厚さの差とも言う)」はやっぱり大きいと思うのです。いえ、お金がなくても努力と気合いと根性で何とかできてしまうケースももちろんあるでしょうけれど、やはりお金はあった方が良いかなあ、と思います。できれば継続的に確保できればなお良し。

 また、例えば自分が暮らすつくば市の、同じ市内においても、山の麓の昔ながらの農村地帯と、TXの駅が最寄りにあるような学園中央部では住民層が全く異なるように、1つの自治体で画一的なサービスを行うのではなく、ある区域で公民館の休眠部屋を作りたくないなら公民館を自習室にすれば良いだろうし、自習場所提供を図書館の利用者サービスとして位置付けるならそれでも良いと思います。
 時々見かける、小学校の中に福祉施設が、あるいは児童館と図書館が同じ建物に同居しているような複合施設に地域の需要があるなら、その中に自習室があったって良いでしょう。もしかしたら異なる世代の交流にもつながるかも知れませんし。公的サービスはある程度当てにしても良いんだということは若者に知っておいてもらった方が良さそうだし。
 というわけで、何でも闇雲に嫌!と言うんではなく、色々な見方で考えるべき、というのが今回の教訓でした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2009.07.04

で、「10.19」って結局何が起きたの?

 一度Twitter界隈にも書いた話ですがこちらにも。

 Wikipediaで偶々見つけた、「10.19」の解説文のお話。

 「10.19」が日本プロ野球史上重要な事件らしいことも、ファンには思い入れの深い試合だったことも伝わってくるんですが、結局この試合の結果何が起きたのかが非常に分かりづらい解説です。

 ちなみにWikipediaの「10.19」文頭部分に記された概略。論文で言えばアブストラクト。

10.19(じってんいちきゅう)は、1988年10月19日に川崎球場で行われた日本プロ野球のロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ、以下「ロッテ」)対近鉄バファローズ(のちの大阪近鉄バファローズ、以下「近鉄」)第25・26回戦(ダブルヘッダー)を指す。「10.19の悲劇」とも称される。

日本プロ野球史上、最もドラマチックだった日のひとつであり、かつ昭和時代のプロ野球最後の名勝負としても長く記憶されている。

 ……ロッテvs近鉄の試合の結果はどうなって、その結果何が起きたのか何も書いていません。

 一方、同じくスポーツ界でよく知られる「ドーハの悲劇」の解説の文頭部分。

ドーハの悲劇(ドーハのひげき)は、1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合(1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の日本代表最終戦)において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、日本の予選敗退が決まった事を指す日本での通称である。

 「いつ」「どこで」「誰が」「何を」して「その結果」どうなったかが、この字数によくまとまっています。

 「10.19」の記事を読むと、ダブルヘッダー第1試合終了から第2試合開始まで僅か23分しかなかったことも、当時の近鉄とロッテがともに名将、名守備、名打者、そして名投手を抱えていたことも、よーくわかります。

 しかし、「10.19の悲劇」が日本プロ野球史上に残る名勝負であった、という事実と一緒に、
「近鉄がロッテとのダブルヘッダー2試合を制すれば逆転リーグ優勝の可能性があったが、第2試合において延長10回の接戦の末引き分けとなりリーグ優勝を逃した。」
という事実をどうして併記できないのでしょうか。
 もっとも、「10.19」は実際にはその試合を見たことがなく(野球に興味薄)、「ドーハの悲劇」はテレビでその場面を見たことがあったので(開幕から数年間はJリーグにも興味があった)、それにより後者への理解度が上がったのが大きいとは思いますが。

 せっかく「10.19」の試合の経過や前後のエピソードなどがとても詳細に記述されているのに、アブストラクトのまずさにより、この事象に関する予備知識のない者の脳内に「?」を発生させまくってしまうという残念な記事です。事象に対する過剰な思い入れ故の饒舌さは時に真実の伝達に大きい支障を及ぼすということが良く分かる事例でもあります。

 以下は全くの余談ですが、自分の場合、本業でよくシステムのマニュアルに目を通す機会があります。そういうマニュアルで、メーカ公式マニュアルであるにも関わらず、作業の詳細は記されているのに、
「その作業はどのようなシステム上の権限を持った人ができるのか?」
「その作業により最終的にどんな結果が得られるのか?」
「その作業の後、システム上でどんなアフターフォローが必要か?」
についての記述が不足しているか全くないものというのがあります。
 逆に記述が冗長すぎて困るものもたまにあり。そういうマニュアルを面倒がって「読みながら」作業をしたりすると、最後に極めて重大な結末――例えば「この作業を行った結果、○○ができなくなります」――が書いてあり、取り返しのつかない(あるいは取り返しがとっても面倒な)ことをした!と悲鳴を上げたりするのです。

 今回のWikipediaの記述を見て、何故かその経験を思い出してしまいました。いえ、業務マニュアルを作成する上で「事象に対する過剰な思い入れ」もへったくれもないと思うので、両者に何の関係もない筈なのですが。共通点は、キーワードが「残念」というだけで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.26

科学技術の蓄積とお蔵だし : 行ってないけどSPARC Japanセミナー傍観感想

 ああ、久々に図書館カテゴリの記事だ(涙)。
 普段、とりわけ図書館を離れてからはSPARC Japanとかほとんど関心を持って追いかけていないのですが、min2flyさんのブログ記事美どりさんのブログ記事を読んで久々にツボに入ったので簡単に感想。
 あくまでお二人のブログを読んだだけの感想ですが、今回の主旨はきっと、やっぱり日本の一般の人に科学技術などに関心を持ってもらい、活用してもらうには、取っかかりになる日本語情報の発信も必要。あと、科学との橋渡しをする人も必要で、つまりサイエンスコミュニケーターがそれに当たるわけだけど、これからはライブラリアンもその一端を担えれば良いのでは?ということだったのだと思います。
 自分としては、ライブラリアンが図書館情報学以外に専門を持つまでいかなくても、自分の図書館で何らかの専門分野を持っている場合、それについて学ぶことはもちろん大事だと思います。しかし、むしろ図書館の一連の業務で経験や技術をしっかり培い、それを発揮していくことはもっと大事だと考えています。
 それから、一般の人の取っかかりになるような科学技術の発信、という点では、自分が身近に使ってるものしか分からなくて申し訳ないのだけど、こういう文献解題みたいなのも大事ではないか、と思うのです。この種の資料は少なく見積もっても1年以上の時間をかけて編纂されるため、ある程度枯れた(良い意味で)技術、研究成果の網羅であり、最新技術知識のアップデートには役立たないかも知れませんが、全国の研究者の知識の集大成(はっ、一種の集合知?)なので、十分使える筈です。
 こういう風に継続的に科学技術を蓄積し、そしてお蔵だししていく努力も、研究者、ライブラリアン、そしてその人達を抱える大学、研究所、あるいは別に自治体でも良いと思うのだけど、組織側に必要である。そんなことを、SPARC Japanのレポートから連想して考えました。組織も研究者もライブラリアンも、面倒くさがってちゃいけないです、本当に。自戒を込めて。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.22

週末(2009.6.20-6.21)

 杜の都仙台でARGカフェが開催された今週末。ブログでしかお見かけしたことのないあの方もこの方もいらっしゃる、とかなり惹かれたのですが、体力がかなりアウトのため、根性無しにも今回は留守番を選択しました。

 結果、体力は温存されたものの、現地に20年以上も前在籍していた高校の先輩と思われる方が出現されたとか、東北の某大学の皆さんが大変活気のある方達だったとか、この県内の某大学の方が腐(略)だった疑惑とか、4次会終了が明け方3時だったとか、色々と楽しいことが沢山あったらしいので、やっぱり行けば行ったで楽しかったかも、ちと残念、と今更思っています。
 何でも、
「図書館員の愚痴ばっかり書いたブログは読みません」
と飲み会の場で宣言されていた方がいらしたそうで、そう言えばうちのブログ、エントリによっては愚痴と毒吐きまくりだから、多分その人はガチで読んでないに違いないと思いつつ、そういう話は確かに読んでて楽しくないから(なるべく)減らそう、と考える今日この頃であります。

 で、連れ合いの不在中、TwitterのARGカフェ実況タイムラインを追いかける以外に何をしてたかと申しますと、フラミンゴのいるレストラン「メヒコ」に出かけたり、筑波西武の古本市に出かけたりしていました。

 ちなみに古本市の戦果は次の3冊でした。

増刊キネマ旬報 小津安二郎<人と芸術>(キネマ旬報社, 1964)
沙霧秘話 / 佐々木丸美著(講談社, 1983)
虫プロダクション資料集 1962~1973 / 虫プロダクション資料集編集室[編](虫プロダクション資料集編集室, 1977.8)

 キネ旬増刊はまだフィルムパックから出していないため中身の状態は未確認。佐々木丸美は確か最近復刊ドットコムでも再版されて読めるようになっていたと思います。
 最後の虫プロ資料集は標題紙の書名標記が「虫プロ資料集」、表紙の標記が「虫PRODUCTION 虫プロダクション資料集 1962~1973」、そして背表紙の標記は「虫プロダクション資料集 1962→1973」。これで目録を取ったら色々と記述が大変そうです。
 出品目録をもらってきましたが、一通り棚を眺めたのに見かけなかったタイトルがかなりあり。既に6.17から古本市は始まっていたので、恐らく既に誰かの手に渡ってしまったものと思われます。でも自分としてはかなり満足しています。そんな週末でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.03

惑いまくり

 もう昨日の話ですが、とうとう不惑の年齢を迎えてしまいました。
 仮にも節目の誕生日なんだから、もう少し感慨深いものかと思ってましたが、実際の所は何日も前から年を取るのが嫌で嫌で仕方がなくて、当日の悲しみの深さと言ったらありませんでした。
 例えて言うなら、井上靖の『補陀落渡海記』の主人公の僧侶が、補陀落に渡ることに葛藤を覚えて散々抵抗しますがついに渡海することになり、一度は船から脱出するも見つかってしまい、二度と逃げられないよう再度渡海船に押し込められ送り出されてしまった時のような、そんな心境です。

 世間様では年齢を重ねること=人生の充実みたいな風潮がありますが、にも関わらずどうして自分はこんなにも年を取るのが嫌なのか?と散々考えて、多分、まだ自分が「何事をもなし得ていない」からだという結論に達しました。
 先ほどから引用ばかりですみませんが、萩尾望都の『ポーの一族』に確か、
「作るものもなく、生み出すものもなく」
という、バンパネラ(吸血鬼)を形容した台詞がありまして、ちょうどそんな感じだな、と。

 いえ、現在自分は仕事でシステムを作るとか、書類を作るとかそういう仕事はしていますし、プライベートでも主にブログで文章を書き散らしたりはしていますので、決して何かを作ったり生んだりしていないわけではないのですが。しかし、何かこう、ちまちました手仕事ではなく、もっと自分の「作品」と言えるものを残していないことに焦燥感を覚えるのです。
 論文の一本でも書ければ良いのでしょうか?でも以前ちょっと雑誌の原稿を書いただけで、大した中身でも分量でもなかったのにかなり苦しい思いをしたので、自分がデータ取りして蓄積して分析し、結果を導き出すようなそういう研究生活を送れるとはとても思えません。

 また、年を取れば当然人生の終わりもその分近づいてくるのは自明の理なわけでして。不摂生な生活を送っている自分が、これまで生きてきたのと同じだけの年月をこれから生きられるとはとても思えません。それに最近何だか、以前より残業した後の疲れが増しているような気もします。

 ……等々、つらつらと惑いまくりつつ考えていましたが、同じ家に暮らす連れ合いから「誕生日おめでとう」と言われたり、離れて暮らす親兄弟や同僚からお祝い写メールやらプレゼントやらが贈られた時、不覚にも「嬉しい」と思ってしまったのは大変不思議なことです。
 特に両親には、
「この歳まで無事生きられたのはあなた方のおかげなのだから、むしろこちらが感謝すべき。だからプレゼントは要らない」
と告げたのですが、それでも数時間後にはプレゼントと差し入れの食べ物を手にした父親が職場にやってきました。
 プレゼントはもらわなくても別段悲しくはありませんが、もらうことはやはりそれなりに嬉しく、幸せな気持ちになります。でも今回は自分の心境はバラ色とは言えないのに素直に喜んで良いものか?とか、はたまたこの親達とは、一体あと何年こうして対話できるのか?とか、複雑な思いが入れ子になった、ややバランスの悪い幸福感を覚えたのでした。

 それでも、これだけは惑うことなく確実に言えます。
 私のこれまでの人生に関わり、生きることを手助けしてくれた全ての皆さまへ。ご健在の方々にも、既に天に召された方々にも、心より感謝しております。どうぞこれからも人生の坂の途中で素晴らしい出会いがありますように。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

«言葉が見つからない