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2004.03.13

「プラネテス」についての一考察

 「プラネテス」(幸村誠著, モーニングKC全4巻, 講談社)というマンガがあります。
2003年10月から、NHK BS2でアニメ化もされています。

 コミックスは雑誌掲載時からほぼリアルタイムで読みアニメも欠かさず視聴し続けており、せっせとWebや雑誌での情報収集も欠かしません。
 で、この「プラネテス」、特に原作には、自分の考えにベタなまでに忠実な行動をとる大人達が複数登場します。
Webで情報収集すると、そういう大人達への賛否両論が結構出てきたりするのです。

 たとえばこちら
 第4巻のフィー姉さんの行動について批判的に触れられています。
一度「クソみたいな大人」として生きていたくせに、今更「大人になれない」と言ってイノセントな自分を取り戻そうとする、という展開に素直に感動できるのは、その人が「クソみたいな大人」だからである。自分が共感できるのはフィー姉さんよりもむしろ汚れた現実に生きるサンダース大佐(自分の正義のためにフィー姉さんを利用して世論操作をもくろむ軍人さん)である、ということらしいのですが・・・。

 うーん、だめですかねえ、そういう大人。(^_^;)
 私には、フィー姉さんの求めたイノセンスが偽善であり、過剰なイノセンスはすなわち自分の手を汚したくない(他の人の手は汚れてもよい)ために他者に犠牲を強いるという迷惑なエゴにすぎないと否定する心もまた強烈なまでにイノセントであると感じられたのですが。きっとそれは「クソみたいな大人」の見方なんだろうなと思います。
 そういう意味では「プラネテス」は決して子どもには戻れない、でも生きている限りは常に社会の中で悩み迷い続けていくことを求められる大人のためのストーリーであると言えるでしょう。(あ、大人なまとめ方。ちょっと嫌かも)

 ちなみにアニメ版「プラネテス」は、イノセンスに向き合い求め続ける原作のひたむきさとは全く異なる趣のストーリー展開を見せています。突き詰めるとテーマは共通なのかもしれませんが、重すぎる現実の中、自分の信じるものがもしかしたら偽物かもしれないという疑いを持ちつつ、時には他人に否定されながらも、偽物を本物に組み換えていくために自分との戦いを続ける主人公達の姿がこれでもかと描かれています。原作をお読みになっていくつかの小さな疑問を持たれた方は、アニメを通覧することにより補完されること請け合いです。
 なお、原作とアニメが互いに補完していると自分が感じた具体的エピソードは以下のものです。
 ・原作2巻でタナベのとった行動(宇宙葬の棺桶ジャック)に対するフォロー
 ・空間喪失症にかかったハチマキを救うためのタンデムミラーエンジン見学を果たせたいきさつ
 ・木星行き二次試験におけるロックスミス博士の冷徹だが明晰な判断
 ・デブリ課に異動したクレア(アニメオリジナルの辛い過去を背負った女性。いわばもうひとりのハチマキであり、ハキムでもある)のタナベ批判
 他にも「おお!?」と思った細かなシーンはいくつかあったように思います。とにかくアニメと原作、両方ごらんになることをおすすめします。

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