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2005年9月

2005.09.30

大阪市立図書館のカードの謎

 職場の人の送別会から帰宅した後、居眠りしたり、やはり飲み会から戻ってきた連れ合いと語らったり、また眠ったりとだらだら過ごしていたらこんな時間になっていました。ということで小ネタ更新です。
 愛読している読み物サイトデイリーポータルZの先日の記事に、
  図書館カードを作ろう!
というのがありました。
 大阪市の24区に1館ずつ設置されている市立図書館を5日間かけて巡り、1館ごとに利用者登録を行い図書館カードを発行してもらい、結果、24枚のカードを手に入れた、というのが記事の概要です。
 最初、「何故共通カードじゃないの?」と疑問の嵐に襲われましたが、よく大阪市立図書館の一覧を見たところ、各区の図書館は別に中央図書館の分館というわけではなく一つ一つが独立した図書館のようです。それで館ごとに発行されるカードはそれぞれ別物になっているのではないかと勝手に推測しました。
 ただ、記事内に「24ヶ所に個人情報ばらまいてきました」と記されているので、1館ごとに登録申込書の記載を行う必要があったと思われます。ということは、利用者情報データベースは館ごとに別々なんでしょうか?利用者が貸出予約を行えるのはカードを作成した館に限られるという記述がこちらにありますので、その可能性はあります。
 しかし、図書館カードを別々に作るという処理を伴わなくても、実際のところカードの持ち主が利用登録した館を特定する識別子をデータベースに登録できるようにさえなっていれば、利用者情報データベースを全館共通にすることは十分可能な筈です。館ごとに色の違う(図柄は共通)カードがずらりと並ぶさまは実に美しいですが、別の館を使うたびに違うカードを用意しなければならないのはどうも面倒だ、と思わずにはいられませんでした。もっとも、通常は24館もハシゴして利用することはまずあり得ませんが。:-p

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2005.09.28

日曜日の思い出巡り

 友人のあまたさんが夏休みを利用してミュージカル鑑賞連戦に挑むために上京。日曜日につくばに遊びに来てくれたので、まずは電車が通って多少変貌した駅周辺をご案内。Q'tで軽いランチを済ませた後、車で市内在勤の別の友人(同級生)の勤務先へ出向きました。同じ市内在住とは言っても彼女とはあまり接点がなかったので何と6、7年ぶりぐらいの再会でした。彼女自身は以前と変わらず快活なしっかり者でしたが、ここ1、2年の間に色々とドラマがあり、今は女手一つでお子さんを育てているとのこと。ひとしきり同級生たちの近況報告などして、夕方再度合流することにし、今度は大学方面へ車を走らせました。
 旧大学の墓参をした後、ぐるりとキャンパス内を一周。学内掲示板には10月上旬の学園祭に向けたサークルポスターが貼られており、実在「げんしけん」のポスターを見つけて大受け。ついでに、自分が所属していたサークルの「おはなし会」ポスターも発見して感慨を覚えたり。
 変わらないたたずまいの講堂やプールを横目に見ながら小道を抜けて、学生寮方面に向かうと、おやおや、心なしか玄関の扉が厳重になっています。セキュリティ強化か?と思いましたが、その割に4階部分に男子寮と女子寮を橋渡す廊下ができていたのは謎です。入学後の1年間寮生だったあまたさんは殊の外懐かしい様子でした。筆者は学生時代自宅から通っていたので残念ながら寮生ではなかったものの、時々女子寮内に遊びに出かけ、親元を離れてのにぎやかな共同生活が大変うらやましかったのを覚えています。

 一旦帰宅後の夕方、あまたさんご希望の沖縄料理店「十てつ」(とてつ)へ、連れ合いの車で移動。途中で前述の同級の友人もお子さん連れで合流。当初、久しぶりの再会、しかも初対面同士の者もいるということで実はやや不安もあったのですが、お子さんの登場で場は一気になごやかモードに。生海ぶどうや紅芋の天ぷら、タコライスといった沖縄料理を楽しくいただきました。お子さんの言動の端々から母親との深いつながりが伝わってきて、ああ、いっぱい修羅場を経験してしまったのだろうけれど、お母さんともども幸せになってほしいなあ、と心から願わずにはいられませんでした。

 1時間ほどでお店を出て友人母子と別れ、あまたさんを駅までお送りした後はその足で書店巡り。連れ合いの欲しい技術書の新刊を求めてのことでしたが、『エリザベート 上』および『エリザベート 下』が朝日文庫で発売されたのを発見して購入するなど、何故か増えるは筆者の荷物ばかり(^_^;)。しょんぼりとほくほくが連れ立って帰宅したのは何と22時前のことでした。結局技術書はamazonさんにお願いした模様。つくばの本屋さんにはもうちょっと頑張って欲しいものです。

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2005.09.24

郵貯・簡保民営化について

 タイトルに反して全然政治的な主張じゃなく、政治を全然わかっていない者の全くのワガママに過ぎませんが、
  郵貯・簡保民営化か廃止前原氏(共同通信)
の件についてです。
 郵貯預入限度額の引き下げから始めて将来は廃止を、というのが民主党の主張なのですね。筆者のメインバンクは郵便局なので、それは結構困りそうです。何故郵便局がメインかと言うと、ここつくばには「使える」銀行が少ないから。地元最大手の地銀は経営状態も悪くなさそうなのでまあ良いです。しかし2番手の地銀の経営状態がどうも信用できません。一応どちらにも口座は持っていますが、2番手の方にはあまり大量の金額を預けたくないなあ、と思ってしまいます。3番手以降は論外です。現金中心主義なので、預金を債券に代えるのにも抵抗があります(代えるほど元手がありませんが)。
 郵貯を縮小する代わりに、今地元に少ない都銀の支店や出張所(ATMではなくて)を増やしてくれる、というのなら考えてみても良いですが、都銀さんも今はきっとそれどころではないでしょう。
 田舎暮らしで郵貯を便利に使いたい、という一個人のワガママに対しては、自民党も民主党も味方にはなってくれないようです。やはり庶民・労働者の味方、労金や信金が最後は頼りなのだろうか、と思ってみたりしているのでした。

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エリザベート余談

 先日ミュージカル『エリザベート』を観てきた話をしましたが、その内容についてはほとんど連れ合いには語っていませんでした。そんな中、昨日ふと「誰に背中からハグされたらうれしいか?」という話になり、
連「ヨン様とか?」(注:別にファンではありません)
私「いや、今は、山口祐一郎さんに背後に立たれただけで心臓が止まるかも」
連「誰それ?」
 というわけで、劇場で買ってきたエリザベートのパンフレットを開いて見せたのでした。素顔の写真を探しましたが、後ろの方のページに載っていたためすぐに見つからなかったので、とっさに最初のキャスト紹介の、Wキャストの内野さんと見開きで役(トート)の扮装をして写っている写真を見せたところ、

「これはあれか?X-●A●ANもどきのバンドが解散して、メンバーが真の音楽を求めて旅に出る話か?」

という予測もしなかった反応が。
 ・・・「もどき」って何だよ、とか、パンフの他のページも見てから発言しろ、とか、人の趣味に少しは興味を示せ、とか言うことは山ほどありましたが、その時はとにかく爆笑しました。想像力の豊かさというか、長髪巻き毛=ビジュアル系バンドという直球な発想があまりに衝撃的で。いや、そう言われても仕方ない彼らの扮装ではありますが。

 彼を少しだけ擁護しますと、小学生の頃課外授業の一環で、帝劇に劇団四季かどこかの「子どもミュージカル」を見に行かされたそうです。途中まではまあ普通に入れ込んで観ていいましたが、ある時唐突に「さあみんなも一緒に歌いましょう!」と舞台から声がかかりました。
 「えっ、何?」と戸惑う彼の前にステージ上の天井からするすると降りてきたのは何と歌詞を書いた巨大な垂れ幕。入れ込みをぶち壊されたことにショックを受けた彼は、以来ミュージカルというものにちょっとしたトラウマを抱くようになってしまったようです。
 加えて、普通のミュージカルや宝塚に見受けられる「一見さんには入り込めない様式美・お約束」というものに妙な畏怖感を覚えているらしく、ミュージカル=自分は知らなくて良いものと思い込み現在に至っているのでした。
 そんな彼に、天井から吊されて大音量で歌いながら降りてくるトートとか、電飾階段で歌うトートとか、各場面で不気味に踊りながら舞台装置を運んで来るトートダンサーズとかを見せたらどう感じるのでしょうね。これはいつか一度は大人ミュージカルに連れて行かねば、と思いました。

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2005.09.22

日図協の指定管理者制度に関する見解

 『図書館雑誌』9月号、先週金曜日に届いております。結局東京より二日遅れでした。
 「公立図書館の指定管理者制度について」(p667-669)という記事で、日本図書館協会(以下、日図協)のこの制度に関する公式見解が示されました。

日本図書館協会は先にあげた視点、基準にもとづき、地方公共団体と公立図書館が主体的にその適用の是非、有効性の有無を判断することを望むものであるが、公立図書館への指定管理者制度の適用について、公立図書館の目的達成に有効とは言えず、基本的になじまないものと考える。

 この見解は日図協のWebサイトでも読むことができます。
 公立図書館の指定管理者制度について(PDFファイル)

 民間企業が果たして本当に公立図書館の指定管理者としてそぐわないかはさておき、こういう公式見解の存在は、各自治体で指定管理者制度の適用の是非を検討していく上で極めてありがたいものだと考えます。注意したいのは、この見解は数ある検討材料のひとつにはなりえても黄門様の印籠にはなりえないということでしょう。現場が自治体直営方式の継続を望むのであれば、現行方式の有用性を数値で示す努力は変わらず必要ですし。
 一方で人口も職員数も多くない小規模の自治体の場合は指定管理者制度の導入で活路を見出せる場合もあるわけでして、そうしたケースで日図協の見解が足を引っ張ることはないのかと変な懸念をしてしまいます。
 見解の中でもしつこいぐらい触れられているように、新方式の導入検討にあたっては図書館の現場と上位部局との間でのきめ細かなやりとりが必須になってきます。現場はやみくもに反対するだけでなく、直営方式と指定管理者方式とを平等にはかりにかけて判断するための材料―自治体の人間ではないのでどの事項や数値がとかは言えませんが―についてきっちり提供していく必要があるのではないでしょうか。現場にとってはわかりきったことだと言われてしまえばそれまでですが。直営方式の継続を訴えていくのであれば、そうした姿勢によって少しでもプラス方向につながると思うのです。

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2005.09.19

『エリザベート』観てきました

 8月に『モーツァルト!』を観劇して以来、ミュージカルという演劇分野がちょっと気になってきていましたが、土曜日、友人の好意により帝劇で上演中の『エリザベート』を観劇することができました。当日朝は家事やらが色々間に合わず、電車を一本乗りはぐり、待ち合わせた友人を10分待たせる始末。それでもどうにか帝劇に早めに到着することができました。
 12時に開演。19世紀のオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフに嫁いだ女性エリザベートの、その束縛を嫌う性格ゆえの波乱の人生と、彼女に魅入り執着する黄泉の帝王トートとの愛憎を縦糸に、時代のうねりの中滅びに向かいつつあるハプスブルク家の姿を横糸に織りなされた物語がきらびやかに展開されていきました。

 筆者が観たのは、トート=山口祐一郎、フランツ・ヨーゼフ=石川禅のバージョン。特に山口さんについては8月の『モーツァルト!』以来気になって仕方がなかったのでわくわくと見守り、さすがの美声と華やかな存在感にただ引き込まれるばかりでした。パワフルなナンバー「最後のダンス」も、皇太子ルドルフとの哀愁あふれる「闇が広がる」もそれぞれに良。偽医師に化けてフランツの不貞を病のエリザベートに伝える場面では、正体を現し彼女を黄泉に連れ去ろうとする姿のオーバーアクションに思わず笑ってしまいましたが。『ルパン三世』で不二子を襲おうとするルパンを連想したのはきっと自分だけでしょう。
 エリザ一路さんとフランツ石川さんは初見でしたが、場の空気を造り出す歌声と演技にため息。「プロフェッショナルとはこういうものか」と思わせるものがありました。

 全てを見終えて印象に残ったのは、エリザベートという女性が自我を押し通し続けたのと引き替えに周囲の人間が失ったものの大きさでした。一度の裏切りを最後まで許してもらえなかったフランツ。その裏切りをそそのかした結果息子に背かれ、失意の内に他界する皇太后。そして、孤独な幼年時代を送り、父帝と政治的に対立した故に遠ざけられ、「僕はママの鏡だから」と母后にすがりつくも突き放された末、トートに魅入られて黄泉に連れ去られたルドルフ。彼が最大の犠牲者でしょう。エリザベート自身が宮廷の犠牲者と言ってしまえばそれまでですが、彼女の自由を求める心を理解はできても実際のところ共感するのは難しかったです。フランツの裏切り発覚後は「自由を求める」というよりも夫から、息子から、ひいては宮廷制度や政治から心情的に逃げているのが見え見えでしたし。彼女も一種の「魔性の女」であって、それこそがトートに魅入られた要因ではないかな、うん、などと心の中で納得したりして。

 ・・・などと真面目に書いてみましたが、今回の観劇にはかなり笑いの要素も含まれていました。実は参加した公演はミュージカルのスポンサーになっている某カード会社のスペシャルデーで、サイン色紙や終演後の主役2人(一路さんと山口さん)との記念撮影権などが当たる抽選会が開かれるなどしていたのですが、問題はこの記念撮影時。筆者はもちろん当選者ではなく客席から眺めていただけでしたが、一路さんと連れ立って登場した山口さんの手には黄色と緑に染め抜かれたカード会社のノボリが!しかも撮影中か否かを問わず、自分の挨拶中(駄洒落あり)もずっと持ちっぱなしの上、一路さんの挨拶中には客席に対して横向きに立った自分の身体をノボリですっぽり隠しておどけてますし。実は大変にお茶目でサービス精神旺盛な方なのだとわかりました。友人によればファンには自明のことのようでしたが。
 加えて何とも楽しかったのは、同行した友人たちとの会話です。『エリザベート』を初めとする様々なミュージカルを見続けてきた彼女たちの、舞台に対する鋭くも暖かく笑えるツッコミにはかなり楽しませてもらいました。内容を詳しく書くと俳優さんたちのコアなファンの皆様に叱られそうなので、差し障りのなさそうなことを一つだけ書きますと、皇帝夫妻がハンガリーに乗り込む場の民衆の歓迎の言葉「エーヤン エリザベート!」が、彼女たちの話を聞いたあとはどうしても「えぇやん、エリザベート」という関西弁にしか聞こえなくなりました(^_^;)。どちらもあまり意味が変わらないのがまた何とも。

 今回の観劇後、有楽町の「ホイリゲンハウス」のお茶会でウィーン料理を賞味しつつ友人たちと話していてわかったのは、ミュージカルというのは同じ演目や演出家であっても、演じる人によって相当印象が違ってくるらしい、ということ。例えばダブルキャストの片方の俳優さんは役の人物の冷徹さを強調し、もう片方の俳優さんは冷たさに潜む人間性に重点を置いて演じ、相手役もまたそれぞれの演技に合わせて少しずつ演じ方に変化を付けているのが、それぞれのキャストの公演を観るとわかるのだそうです。今まで、同じミュージカルのいくつもの公演のチケットを確保すべく努力を重ねる友人たちの様子を黙って眺めているだけでしたが、そうさせるだけの魅力が確かにミュージカル、というか演劇の舞台にはあるのだということを少しだけ理解することができたように思いました。
 ・・・また長文になってしまいました。どうもすみませんです。

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2005.09.16

届かない『図書館雑誌』とか250万円のPCとか。

 今日は勤務先の別棟からネットワークが使えないというので業者さんを呼んで対処してもらいました。本館から別棟にのびている光ケーブルの変換器の電源が落ちていたのが原因でした。機械が落ちた理由については諸説あるらしいですが、夏の落雷により瞬間停電した際に機械が復旧失敗したという説が有力のようです。落雷王国つくば。

 『図書館雑誌』の9月号、わが家は茨城南部ですがまだ届きません。東京まで電車で45分♪になったのは喜ばしいことですが、郵便(最近はメール便に変わっていたかも)のタイムラグが1日もあるというのはどうなんでしょう。神奈川とか埼玉ではきっと茨城南部より届くのが早いんだろうな、と思うとますますカンに障ります。所詮「首都圏」ではない茨城・・・。

 あと、学校図書館職員の方のブログ「放課後は金曜日」の記事で知ったのですが、「教えて!goo」に
質問: 予算250万円ほどでPCを組み立てたい
というのが寄せられていました。冗談とかでなく素で大まじめに検討されていたようなのである意味感動。ゲーム用にPC購入を検討したことがないのでよくわからないのですが、この質問への回答でも言及されている通り、グラフィックボードとかメモリの増強に特化してマシンを選んだとしても、250万はかからないだろうな、と思うわけで。
 とりあえず、250万あればまずトランクルームを借ります。そして家の中にたまっている本(積ん読含む)を移してすっきりさせます。もっともそうしたところで、また新たに本を買い足してしまい、無限ループに陥ってしまいそうな気がしますが。ぱっと使うなら、家族連れで満漢全席全メニュー制覇(1週間ほどかかるらしい)に挑戦する、といったところでしょうか?

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2005.09.11

四国道後温泉の旅(2)

 さて道後温泉二日目。松山と言えば子規、漱石ら文学者関係の史跡の宝庫、のはずなのですが、何故かそうしたものには目もくれず美味しい食べものと温泉に浸っておりました。

 遅く起きた朝、ホテルで洋風の朝食を済ませた後は、連れ合いの体調が回復するのを待って、正午前にチェックアウトいたしました。その間筆者は持ち込みPCでネットしていました。普段の生活とあまり変わらない(^_^;)。
DSCF0720-s それから向かった先は念願の道後温泉本館。風格のある建物はさすが重要文化財です。二階席を確保していよいよ神の湯に入浴。脱衣場は近場から訪れた風のおば様方が老人会の話題で盛り上がるなどほのぼのとした雰囲気でした。女湯浴室の内部は昔ながらの石造り。立て膝で入ってちょうど良い深さの湯船にはやや熱めのお湯が満たされており、長時間浸かることは叶わなかったものの、湯上がりに二階席で涼んだひとときを含めて心地よい時間を過ごすことができました。早い時間帯だったこともあるのだと思いますが、こうした、ある程度年季の入った温泉地の建物にありがちなほこりっぽさがなく、手入れが行き届いているという好印象を受けました。

 本館を出た後はすぐ横の道後麦酒館に入り、黒ビールと伊予地鶏の鶏刺し、鶏皮ポン酢、鶏皮丼で昼食。ところが湯上がりで血行が良すぎたのか、二口ほどしか飲んでいないビールがあっという間に回り、1時間近く店内で立ち上がれなくなる羽目に。軽く揚げた鶏皮がカリカリと美味しい鶏皮丼のごはんを半分残すという痛恨の結末となってしまいました。それでもビールは口当たりよく気に入ったので、これは婚家・実家双方へのおみやげとなりました。
 ぶらぶらとおみやげ屋を眺めている間にどうにか酔いも覚め、予定通り15時前発の松山空港行きのバスに乗り込むことができました。名残惜しく道後温泉に別れを告げながら空港への道すがら改めて認識したのは、この温泉の市街地への近さ加減。本当に、温泉の区画から路面電車あるいはバスに乗って一歩通りに出るとあっという間に城下の大街道、さらにいよてつ松山市駅周辺の繁華街に至ってしまうのです。しかも空港には道後から約30分という近距離。地の利の良さを生かした交通施策と観光戦略の相乗効果と言ってしまうのは簡単ですが、何と上手くいっているのだろう、と感心した次第です。

 そして16時半に空港を飛び立ち、1時間20分で羽田空港に到着。新築の第二ターミナルビルをしばらく見学後、モノレール→京浜東北線→TXという経路で21時過ぎに無事自宅へ帰着いたしました。
 ちなみにこの文をしたためているのは日曜の夜。明日は10日ぶりに出勤の予定です。きっと仕事がたまっています。こわいです。でもがんばります。

p.s.
 大観覧車くるりんに乗り、それでは日本のデパートの屋上(以下、デパ屋)にはどれほど観覧車があるのかと疑問に思い調べていたところ、こんなサイトを発見。
 FWGP[観覧車の総合サイト]
 ビルトイン(建物の上)タイプの観覧車を検索したところ、「くるりん」を含め5ヶ所ほどヒット。どうやら大阪梅田のショッピングビルHEP FIVE の観覧車が本体の全高77.4m、地面からの高さ105.4mということでビルトインタイプでは最大のようです(参考:FWGP「大阪府 HEPファイブ 観覧車詳細」)。もっとも、いわゆる「デパ屋」の観覧車という意味では髙島屋大阪店屋上などにゴンドラ8機程度の可愛らしいものが設置されているみたいです。というより「くるりん」に出会うまではデパ屋の観覧車のイメージはこんなのだったんですが(笑)。ちなみにFWGPで把握されている観覧車の一覧はこちらです。

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2005.09.10

四国道後温泉の旅(1)

 台風14号の来襲もあり、このまま夏休み終了を迎えるのか?と危ぶまれましたが(実際連れ合いはこのまま終わっても良いと思っていたらしい)、筆者の強硬な主張により結局寝台列車の個室を急遽確保し、9日早朝、高松駅に到着、四国初上陸を果たしました。駅の「連絡船うどん」(出汁が美味!)を賞味した後松山に向かい、現在道後温泉に宿泊中です。

DSCF0685-s 松山ではいよてつ髙島屋の「大観覧車くるりん」というのに乗りました。その昔はデパートの屋上には大型遊具があって当たり前でしたが、最近では幼児向けのカートなどこじんまりしたものしか見かけたことがなかったので、こうした超大型遊具が設置されているという時点でへぇー、と思いました。
DSCF0693-s  乗ってみると意外に高さがあったので更にびっくり。松山市内の景色がこんなに広く見渡せます。それもそのはず、観覧車の頂上部分の高さは海抜約106mあるそうで(上記サイトより)。・・・すみません、地方のデパートとあなどっておりました。
 後で軽く調べてみたところ、このいよてつ髙島屋は2001年までは「いよてつそごう」だったようです。Wikipediaによれば「そごうグループで破綻を免れた唯一の企業」とのこと。四国における伊予鉄のパワーをあなどっておりました。

 道後に来た目的は「伊予鉄の路面電車に乗ること」「道後温泉本館に行くこと」の二つでしたが、二つ目の目的は本日まだ実現できていません。連れ合いが宿に到着した直後、外出することもままならないほど疲労困憊してしまったためです。
 おそらく、
 「つくばエキスプレスの座席の背もたれが硬い!」(そりゃ通勤列車ですし)
 「荷物が重い!」(そりゃノートPCを背負っていれば・・・)
等々といちいち悲鳴を上げる筆者のフォローに疲れたものと思われます。・・・と言うわけで本日は宿泊先ホテルの大浴場で温泉を堪能。もっとも源泉は本館から配分されているので効能はまるきり一緒の筈ですが。明日は一緒に本館で入浴できますように。

(おまけ)
DSCF0678-s  高松駅改札外から連絡船うどん店入口に向かう通路の脇に、唐突になぜかこんなものが立っていました。彼は一体どんないきさつでここに立つことになったのでしょう。ミステリーです。

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2005.09.07

某宇宙人をレゴ化してみる

 今週、ようやく遅い夏休みをいただいています。休み前には、どこか旅行へ行こう、そうだ、たまには西に行くのもいいね、等々話していたのですが、西日本は台風14号のためとてもそのようなのんきな状況ではなく、かといって住まいの周辺も大雨にはならないものの天候が今ひとつ、と言った具合です。また、連れ合いが持ち帰った仕事のハードな事情などもあり、先の土日以降、自宅から半径20kmを脱出できない日々が続いております。
 コンビニの商品をチェックしてみたり、おもちゃ屋さんをウィンドウショッピングしたり、モスバーガーの新メニューを試してみたり、本屋さんをぶらついて一部図書館系ブログで話題の雑誌記事に目を通してみたりしていましたが、どうもいつもの休日と変わらなすぎだな、と気づいたので、少し目先の変わったことをしよう、と思い立ち、レゴでこんなものを作ってみました。
DSCF0664-s
 彼がどこの誰だか見当の付かない方はごめんなさい。
 作成期間は日曜日~月曜日に頭部と足部、火曜日に胴体部と足かけ三日間かかりました。足回りがどうも不安定なので、どうやらまだ改造の余地はありそうですが、今日は疲れたのでこれで寝ます。しかし本当にこれで終わったらどうしよう、私の休日・・・。

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2005.09.06

わたくし的この10年+α(5)

 図書館に勤め始めて数ヶ月が経過したある日、非常勤職員の方から、「電動書架のスペースが足りない」と訴えられました。よく話を聞いたところ、部門毎に別々の棚に収められている資料のうち、ある部門の資料の排架はきつきつ、ある部門はがら空き、という事態になっていたことがわかりました。これを解消するにはきつきつ部門からがら空き部門へ少しずつスペースを詰めるしかない、でもこれを手動でやっていたら絶対途中で計算が合わなくなって破綻する、と思った筆者は、何故か作図ソフトVisio(当時はMicrosoftではなくアスキー系の企業から発売)を使って書架の絵を描き始めていました。それから、書架に入っている本が各段で占めている縦横のスペースを測り、Visio上にそれらのスペースを元に色板を作り、画面上で切り貼りを始めたのでした。
 これがうまく行けば良かったのですが、結局他の業務の合間に色板を作る手間だけで挫折。恐らくこのような場合は手書きでおおまかな作業プランを地道に作成し、実際の作業は人手を使って集中的に行うというやり方が一番早かったのでしょう。なんて向こう見ずなことをしたのかと思います。ただ、この時Visioに挫折したという負け感は長いこと自分の中で尾を引きました。実際にVisioを使った書架の配置換え作業を実現できたのは、この5年後のことです。

 この時、せめてもう1年だけ図書館での仕事ができていたなら、図書館屋としての眼差しを育てることができたかも知れません。しかしそれはかないませんでした。何故なら遠隔地への転勤について上司から意向打診があり、それを承諾したためです。家庭もあることから転勤についてはさんざん悩んだのですが、色々な状況を考えて、連れ合いを残して旅立つことにしたのでした。果たして自分はわずか1年間の図書館勤務で何を得られたのか?行き先で担当する仕事は直接図書館の業務ではないと思われるが、どう立ち回ったら良いのか?などと自問自答しながら、春先のある日、引っ越しの手伝いにかり出された連れ合いと2人、小さな愛車に乗り組み転勤先へ旅立つ筆者がおりました。

 以上でひとまず筆者の長い長い思い出話は終了です。だらだらした昔話におつきあいいただき本当にありがとうございました。身元がばれている人にはばればれかと思いますが、固有名詞などは極力避けるようにしたため、わからない方には謎だらけの話になってしまったかもしれません。
 これまでにお世話になった上司や先輩方の中には、既に他界された方も何人かいらっしゃいます。その昔、まだ図書館のシステム化が邪道と言われていた頃から中央館のシステムの基礎作りに尽力され、将来管理職確実と目されていながら病に倒れられた上司。そして、その上司の愛弟子として図書館のシステム化に取り組まれ、他の追随を許さない経験を積まれていましたが、これからという時に病魔に襲われてしまった厳しくも暖かかった先輩。自分はそうした皆さんに恥ずかしくない仕事をできているでしょうか。特に後者の先輩には、とうとう一度も褒められることはありませんでした。いつか「お前の仕事はすごい」と言って欲しかったと悔やまれてなりません。
 もちろん今現在のへっぽこな筆者を見守ってくれている、現役まっただ中の上司・先輩・同輩・後輩たちにもありったけの感謝の念を送りつつ、筆を置くことにいたします。

 次回からまた、通常のよしなし事を綴る形式に戻りたいと思います。(日比谷の件だけはいても立ってもいられなくなって更新してしまいましたが(^_^;))(了)

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わたくし的この10年+α(4)

 コンピュータセンターから異動した先は、図書館関係の部署が担当していた広報関係の職場。詳述はいたしませんが、上の方の指示に従って、ある時は職場のWebサイトのCGIスクリプトの改造に励んだり(中身はもう綺麗さっぱり忘れてしまいましたが)、またある時は購入理由書を一筆必要とするような高額な機械を買ったり、別の時には展示会に出張したりという日々をひたすら送りました。ここでは上に言われるまま動くばかりで、また、仕事の内容も他の系列館に手本を求めることができないような独特な種類のものであったため、今振り返ると井の中の蛙状態だったのだろうと思います。また、個人的にはこの頃結婚して生活環境が変化した上、家庭の事情でばたついていたこともあり、あまり周囲の空気を読んで冷静に考える余裕がなかったようです。
 直属の課長がさすがにそのままでは職業人としてまずいだろうと考えられたのか、ここにいた最後の頃には印刷物に関わる仕事も少しですがやらせていただきました。その時先輩に鍛えられつつ学んだノウハウは、今も印刷物を取り扱う上でだいぶ役に立っていると実感できます。

 結局この職場には2年半ほどいました。もう自分は図書館には勤められないのかも?と諦めつつあったある年の春突然、同じ部署が担当していた図書館に異動することになりました。その図書館は同じ系列の図書館の中では比較的規模が大きい所でしたが、働く人間の数は非常勤職員を含めて6、7人程度とさほど多くはありませんでした。しかし各人毎の分業は比較的はっきりしており、筆者は寄贈図書の図書館システムへの登録と、ILL業務を担当することになりました。そう、知らぬ存ぜぬで通してきた中央館の図書館システムに、とうとう触ることになったのです。このシステムは当時改良の過渡期にあり、操作には多少の慣れを必要としましたが、操作の流れ自体はすぐ覚えることができました。NIIのILLシステム講習会に参加したのもこの頃のことです。目録システム講習会も参加したかもしれませんがあまり覚えていません。
 ここの館では親組織が大きかったこともあり、問題利用者に出会う確率が多かったように思います(例.図書室のソファで寝る方、督促状を自分に対するいじめと解釈して怒鳴り込む方など)。また、人間関係でも多少悩みました。しかしお金に困ったという記憶は特にありません。仕事に使うソフトの購入など、割と好きにやらせてもらったように思います。予算が潤沢であることのありがたさが身にしみてわかったのは、今の貧乏職場に移ってからのことです。予算があると言っても外国雑誌の購入中止問題などは存在していました。しかし、その事実がどんなに大きい問題に根ざしているか、その頃の自分には全く理解できていませんでした。(この項つづく)

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2005.09.04

わたくし的この10年+α(3)

 自分のしょぼい昔話を今後どう展開していこうかと悩んでいるうちに、前回の更新から少し間が空いてしまいました。ということで、展開を考えていると文章を打つ手が止まってしまうので、あえて深く考えずに書いてみます。

 さて、時は1993~94年頃。電子メールはその頃から重要な業務連絡手段の一つとなりつつありましたが、もっぱらX Window端末にログインし、コマンドラインでメールリーダを起動するというのがメールチェックの手段でした。職場のメインサーバがそれだったという理由の他に、当時インターネットのサービスを快適に使える環境がDOSやWindowsの載ったマシンにはなかったためです。それに、DOSのプロンプト画面でtelnet接続してしまうとそのPCは他のことには使えませんでしたが、X端末の場合は例えば一つのウィンドウでデータベースのメンテを実行しながらもう一つのウィンドウでメールをチェック、更にNetNewsのチェックやNCSA Mosaicの起動まで可能というマルチタスク環境の元で、インターネット世界(の、ごく端っこ)をたっぷり享受することができたのでした。

 当時、同じ職場内にあった中央図書館では系列館との間に図書館システムを構築するために動いていましたし、また、系列館の中にもUNIXサーバ付属のデータベースアプリケーションを利用した所蔵データベースの作成を試みていたところがありました。しかし、筆者自身はこれらに何ら関わっておりません。
 一応司書として採用されたこともあり、図書館担当部署への異動を希望してはいましたがなかなか実現しなかったこともあり、そうした動きを「自分には関係ないもの」として視界の外に追いやっていたように思います。本当に図書館で働きたいなら、じゃあ勉強すればいいじゃないの、だから図書館に行ってから困るんだよ、と当時の自分を叱りつけたい気持ちでいっぱいになりますが、当時は現実から目をそらしてNetNewsなどにのめりこんでおりました。「おお、fj.binariesにこんな笑える絵が!」「fj.rec.comicsにこんなに詳細なコミックス・リストが!」等々、仕事にはあまり活用できていませんでしたけれど。
 仕事の関係でFORTRANだのPerlだのをいじる機会はあったので、そういう情報ぐらいはNetNewsに求めたかもしれません。しかしそういったプログラミング言語やスクリプトを思うように使いこなすこともできず、結局また趣味に逃げていたのでしょう、今思えば。

 さすがに千葉大学附属図書館のWebサイトなど、図書館業界でエポックメーキングだったと思われるものには目を通していたものの、では、自分が図書館に移ったときにWWWやGopherを使って何をできるか?について深く考えることはありませんでした。

 そして2年ほど経った年の秋。ついに系列機関の、図書館担当部署への異動を言い渡されました。しかし、またしても図書館業務に関わることはありませんでした。(この項つづく)

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