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2005年10月

2005.10.29

検索エンジンと図書館

 少し前から、GoogleやYahoo!の検索ボックスに「"Find in a Library" keyword site:worldcatlibraries.org」と入力するだけで、OCLCのWorldCatに収録されている書誌データや所蔵データを検索することができるようになっていると知りました。
 例えば上記の検索エンジンの検索ボックスに「"Find in a Library" snoopy site:worldcatlibraries.org」と入れた場合の結果はこんな感じです。

  Yahoo!検索 - "Find in a Library" snoopy site:worldcatlibraries.org
  "Find in a Library" snoopy  site:worldcatlibraries.org - Google 検索

(2005.11.6注:“site:worldcatlibraries.org”を入れるようにリンクを修正しました)

 便利になったなあ、よし、来週から仕事に活用しよう、と感心する一方で、世間の人たちは検索エンジンさえ使って解決できればそれで満足なんだと思うと複雑な気分です。職業的に情報検索を扱っていない人たちにとっては、GoogleさんやYahoo!さんさえあれば図書館ごとのOPACなんて要らないのでしょうし、ましてやキーワードを演算子(and/or/notなど)を使って組み合わせることのできる詳細な検索オプションなんて、例えば「伊東家の食卓」の裏技のように「知っていると便利」ぐらいにしか思われないのでしょう。

 検索エンジンの発展に伴い、これからのライブラリアンは情報のナビゲーター、コーディネーター、あるいはコンセルジュであれ、と言われています。そして、本以外にもとりえのある図書館を作り上げるためにがんばっているライブラリアンもたくさんいます。
 しかし、営利企業(含む私立大学)の場合、昔から予算削減はまず図書館あるいはそれに類する部門に及ぶのが通例です(他の部門に及んでいないと言うつもりはありませんが)。

 そして最近ではお役所(特に国の)もそうです。最もアウトソーシングが容易と思われる会計処理や窓口業務については、今そこで働いている正規職員の権利を守るために手つかずとなり、図書館部門や情報処理部門に減員やアウトソーシングが求められています。お役所や独立行政法人は税金泥棒、とマスコミは言いますが、その税金の使い道を一律に減らすことで、図書館部門のサービスが旧態依然のまま停滞するかもしれない、ということに思いをいたしたことはあるのでしょうか。お金じゃない、ハートだ、という考え方もあるかもしれませんが、元手がないとできないサービスの方が多いです。
 と、こういうことを言うと、「上に訴えかければいいじゃないか」とおっしゃる方もいらっしゃると思います。しかし図書館部門と上位部局との中間に位置する部門は往々にして、自分たちの部門さえ守れれば良く、図書館部門ががんばっても自分たちには何の得もないと考えているために、図書館部門を切り捨てることに抵抗がなかったりするのでした。困ったものです。

 というわけで、ここでうんと話を巻き戻しますと、検索エンジンがどんどん便利になることにより、世間に「調べ物をするには検索エンジンさえあれば良い」という安易な人が増えるのではないかという危機感があります。実際には図書館同士のネットワークあってのWorldCatであり、従って検索エンジンから書誌情報を入手するという行為も図書館がなければ成立し得ないわけですが、一般的には図書館の存在というのはますます意識されなくなりそうです。
 そうした社会状況下で、図書館が、図書館という場所を意識しない(来館者だけをターゲットとしない)情報提供サービスを行う必要性は高まっています。しかし、図書館の存在が陰に隠れるということは、図書館の存在感が「どうでもよくなる」ことにもつながりかねないわけで・・・。やっぱり、サービスを開始する時に「うちがやってるぜー!」と強く訴えまくるしかないんでしょうか。某文科省系研究機関のように(^^;)。

 そのように図書館のカゲが薄くなる危険性を孕んではいるけれど、やっぱりこれからの図書館はそうしたサービスの充実で打って出ないといけないなあ、と考えます。そして、サービスに必要なお金や人が削られないために、無駄かも知れませんが、少しでも上位組織の方たちの行動に影響を及ぼす言葉で訴えられるような努力も続けて行かなくてはならないのでしょう。
 とりあえず、こんなところで吠えているばかりの自分にできることとしては、日々出てくる新しい知識については惜しみなく身につけていく努力をしたいものです。今後激変すると想定される環境下で図書館を生き延びさせるために、どんな知識が役に立つかわかりませんから。

(10/29 16:42 言い回しの言葉足らずだった部分を手直ししました。)

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2005.10.28

出不精

 今日から東商センターでレゴバーゲンですね。自分は参戦できなさそうですが、行った方がんばってください。

 水戸の全国図書館大会にも参加してません。テーマに心惹かれる物がなかったためです。とはいえ、地元県開催なので行っておいてもよかったかも?と0.5%ぐらいは思っています。

 でも、図書館総合展には行くつもりです。昨日上司の代理で急遽出席した会議で招待券をもらったから、という理由ではありませんが、職場関係で交流のあるところが出展することもありますし、それに昨年出かけて割と楽しかったですし。

 何だか心身共に気合いの入らない昨今。とりあえず背筋を伸ばして。今日も出勤してきます。

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2005.10.24

癒しって何だろう?

 ここしばらくなりを潜めていた身内の病気の症状が、最近また出てきました。
 症状自体は心身の休養と外用薬(場合によっては内服薬も使う)で十分抑えることのできる種類のものなのですが、この病気とは足かけ8年のお付き合いになっていて、また、これとは別に飲んでいる薬もあるので、本人的にはかなりわずらわしいのではないかと思われます。

 こんな時自分がしてやれることは何だろう、といまだに考えます。痛みは代わってやるわけにいかないし。やはり肉体的にも精神的にも快適な生活環境を送るために協力することぐらいではないか、と実践を試みてはいますが、それが本当にうまくやれているかはわかりません。

 自分は人間が極めて楽天的にできているので、ちょっとの癒し―例えばアロマオイルの匂いをかぐ、美味しいお菓子を食べるなどの行為―で随分なごむことができます。しかし相手が同じレベルの癒しで満足するかは別です。年月を経て、本人自身が「自分を癒そう」という心持ちになることが何より大事なのだということが、少しだけわかりかけてきました。どんなことにせよ、本人が欲していないものを押しつけるというのはいけないなあ、と思います。自分も無理強いは大嫌いですし。

 ・・・と、こんなことを書いて、深夜眠れないのかと思った方もいらっしゃるかと思いますが、それは違います。昨夜、自分にしてはとんでもなく早い時間に眠ってしまった結果、中途半端な時間に目が覚めてしまい、仕方なく起きてうろうろしているのでした。かと言ってこのまま起きていてもすることがないので、これを書き終わったらまた仮眠を取ることにします。

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2005.10.21

柏市立図書館のこと

 このエントリもまた、感情的なものから抜け出すことができませんが・・・。

 今月の『図書館雑誌』が届いた際、特集テーマの「市町村合併と図書館活動」というのを見た瞬間、自分の仕事とは無縁だな、つまらないな、と思っておりました。
 しかしながら本日ページをぱらぱらとめくっていて目にとまったのは、2005年3月28日の市町村合併で千葉県柏市に吸収された旧沼南町の「図書館を考える会」の代表だった方の記事でした。

 記事の内容は、旧沼南町に図書館を設置するため10年以上も努力を続けてきたが、柏との合併により町は消滅。要望してきたことの一部(地区館の設立)は実現方向に向かいつつあり、また、図書館建設の要望は老朽化した柏市立図書館の新中央館の建設請願へと形を変えて生き続けているというものです。

 もう15年も昔のことになりますが、司書課程の実習でまさに柏市立図書館に2週間お世話になっていたことがありました。手狭なスペース、書架からの蔵書のあふれなど、その頃からひよっこ学生の目で見ても問題がないわけではありませんでしたが、30万都市(当時)という規模で分館も多数あるこの図書館においては、受入、装備、カウンター対応、おはなし会などの本館でのルーチンワークはもちろんのこと、分館(「考える会」の方の記事にもある豊四季台分館)や移動図書館車での1日お手伝い、ひいては選書会議の傍聴まで、シビアなお金の管理以外の業務を幅広く見せていただくという得難い経験をしました。職員の方々がそれぞれのポジションで誇りを持って懸命に仕事をしているのだということが伝わってきて、「よーし、私も公共図書館に就職したらがんばるぞ」と素直に影響されたのを覚えています。(結局公共館に就職することはありませんでしたが)

 ところが記事から伝わってくる現在の柏の図書館状況は、旧沼南町図書館ではできた電話での貸出延長サービスができなくなったとか、また、「老朽化」「狭い」というキーワードが使われていて、必ずしも良いものとは言えません。自分が実習した時に「書庫の建設計画がある」という説明を受け、また、数年後に無事書庫が建ったらしいという話も聞きましたが、その後の状況については全くウォッチできていませんでしたので、「え?あの柏市立が?」と驚いています。
 合併により、これまで享受してきた公共サービスが全く異なる住民同士が同じ生活圏に加わるわけで、そうした意味で市役所には非常な努力が求められることでしょう。昔、柏市民ではない筆者にもありありと感じられたあの図書館の「生き生き感」が15年の間にどうなったかはわかりませんし、また、予算にも限りがあるかもしれません。しかし、ぜひどうにかして図書館をパワーアップして、新たな住民にもあの「生き生き感」を伝えて欲しい、と思います。それが、ほんの少しあの図書館に関わりを持った者からの密やかな願いです。

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災害と図書館

 『図書館雑誌』の2005年10月号に、9月4日の東京を襲った集中豪雨が原因で館内への浸水被害を受けた練馬区立南大泉図書館の、水に浸かった蔵書が山積みになっているさまの写真が掲載されていました。開架蔵書6万冊の約半数を廃棄せざるを得なくなったそうです。
 推測になりますが、床上85cmの浸水ということは、書架の低い位置に置かれる児童書類や、辞典等高額な参考図書類の被害が大きかったのではないでしょうか。建物が敷地や法の制約(同誌より)から半地下構造で造られていたので被害を防ぐことが難しかったようです。自分は必ずしも「本好き」とは言えないと思いますが、人生(本生?)の幕切れを恐らくは不本意な形で突如迎えた本たちの立場、そして、職員、利用者などこの図書館に係わるあらゆる人々の気持ちを考えると、部外者の感傷に過ぎないと分かってはいても心が痛みます。加えて言うまでもなく、ここ1、2年に起きている数々の災害で同様かそれ以上の状況に置かれた図書館は他にもたくさんあるわけで。

 災害というのは世界のどこかで何らかの形で恒常的に起きているものであり(ごく身近ではつい昨日も茨城県南部を震源とするやや強めの地震があったばかりです)、人間は災害にあったとしてもたくましく生きていくことを求められてしまう生き物ではありますが、それでも災害が人にも物にも深刻な、時に回復の難しいダメージを与えることがあるのは事実です。

 だからこそ日頃から危機管理意識を持って、避けられる被害はどうしたら未然に防げるか?避けがたい被害はいかに最小限で済ませるか?などを想定しておくのは大事なことだと思います。そしてそのためには災害時の記憶やノウハウを受け継いでいくことが必要であり、まさに図書館にこそ、それらを適切に保存し継承していく情報源となることが求められているのではないでしょうか。
 その手段は書物という媒体に限らず、音声や映像の媒体、そしてネットアーカイブなど、幅広い形を取っていて良いでしょう。神戸大の震災文庫のように大々的なものだけでなく、また、被害を受けたことの有無に関係なく、どこの図書館でやっていても良いことだと思います。

 ばくぜんとではありますが、23日の中越地震1周年を前にそのようなことを考えました。たくさんの自戒を込めて。

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2005.10.19

京都大学図書館機構

 京都大学に「図書館機構」という組織ができたそうです。
 附属図書館やその分館の他、実にたくさんある部局図書室や研究所・センターの図書室との間で、各種図書館サービスの連携・調整を図っていくこと、具体的には、

  • 全学共同事業の実施に関する、附属図書館及び部局図書館等間における連携及び調整
  • 図書館機能を有しない部局への支援
  • 図書館機能に係る情報技術に関する、情報環境機構との調整

といった業務を行っていくのがこの組織の設置目的のようです。

 別にこれらの業務努力を今まで行っていなかったわけではないのでしょうけれど、同じ大学にも係わらず図書室毎に開館時間も利用ルールも、利用者が受けられるサービスもまちまちな現状を、法人化に伴う業務効率化という観点で何とかしたかったということなのでしょうか。

 「機構」として名義上ひとくくりにするのは簡単だけど実態は大変に違いありません。かの大学の内部のことはわかりませんが、機構の運営についての検討を実際に行う「図書館協議会」の中心になる附属図書館が部局図書室の顔色を伺うだけではなく、現場職員を納得させ牽引できるような提案を行っていけるかどうかが鍵になるんじゃないか?と私的には思います。
 まあ、口で言うだけなら誰でもできるんですけど(嘆息)。

 それはさておき、この機構のウェブサイト、むやみに格好良いです。京大では個々の利用者がカスタマイズできる図書館ポータルMyLibraryのシステムも学内向けに提供しているわけですが、それとは別に、ここ自体がすっきりまとまったポータルサイトになっています。RSSまで配られていますし。何だか悔しいほどの充実ぶりですね。

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2005.10.18

もうちょっと人の善意を信じられないかな?

 少々ダークな話題ですがご容赦下さい。

 三十数年生きてると色々なことがあります。
 他の人のたたいた自分に関する陰口が偶然自分の目や耳に触れる場所に飛び込んできてしまうとか。逆に自分が誰かに対して陰で吐いた悪意の言葉が相手に伝わってしまうとか。(そういう出来事があったのは最近ではなく、もう少し過去のことです)

 「思い出バトン」の記事にもちらりと書きましたが、小・中学校時代人間関係であまりいい目にあったとは言えないこともあって、人間の言葉には善もあれば悪もあるということを幼心にたっぷり思い知ってしまったので、大人になってから人の悪意に触れても、
「あぁ、やっぱり。まあ相手も人間だし、自分にも落ち度があったし仕方ないや」
と受け流す訓練ができてしまいました。

 しかしながら、やっぱり受け流そうとしても、こつん、と心に引っかかって外れなくなる時はあります。また、そういう状況を受け流せずに辛い思いをしている人も知っています。

#そういう状況に陥っている、と思いこんでいる場合もあるかも知れませんけれど。

 だから、受け流せない人を「人間ができていない」と笑うことはできません。魚の骨をのどに引っかけたように取れなくなる、ささいな物事へのこだわりも、また人間ならではの習性なので。

 でも、心の健康のためにはできるだけ受け流した方が良いと思います。そして、人の善意というものを少しでも信じるようにしてみてはいかがでしょう?だって、
「この人は本当は自分のことが嫌いなんだ」
とか、
「自分の行動や仕事が認められないのは、みんな自分を陰でバカにしているからだ」
とか思い始めたらそれだけで辛いではありませんか。
 もっとも、自分に向けられた人の気持ちをあまりにスルーしすぎると、物の機敏を何も感じられない精神状態に陥ってしまいそうなのでそこだけは気を付けるということで。辛いときはそういうセルフコントロールが難しいのかもしれませんが、これからもうしばらく生きていたいならばそうしようよ、と言い聞かせてみたり。(誰に?)

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2005.10.17

トラベル・バトン

 昨日もう1点G.C.W.さんからいただいていた「トラベル・バトン」にも回答してみます。

・北の限界(海外)
新婚旅行で訪れたオーストラリア。と言うより海外はここしか行ったことがありません。

・南の限界(海外)
同じくオーストラリア。
行ったのは現地が夏の時季(日本の冬季)でしたが、旅行ガイドブックに「強烈な紫外線のため真昼は外出しない方が良い」との記述があったのを守り、真昼は屋内に隠れて過ごしていました。

・北の限界(国内)
宗谷岬です。
子供の頃と成人後の二度行っています。
二度目の時には旧海軍望楼にも立ち寄りました。
とにかく強い風が吹きすさんでいたのが印象に残っています。

・南の限界(国内)
昔出張で行った熊本。
何故か、水道水の美味しい街でした。

・東の限界(国内)
たぶん、納沙布岬。
子供の頃北海道民だったことがあるので、その時に1回訪れたはずです。

・西の限界(国内)
熊本でしょう。

・高さの限界(国内)
小学2年生の頃に家族で車に乗って訪れた、富士山五合目。
飛行機でならもっと上空を通過しています。

・低さの限界(国内)
うーん、やはり大江戸線のホーム?
つくばエクスプレス秋葉原駅のホームとどちらが低かったでしょうか。

・今までに到達した都道府県の数(通過オーケー)
47-13(次回答参照)=34ヶ所
北東日本はほとんど制覇しています。
ただし山形県、佐渡島、東京都島嶼部には実際に降り立ったことがありません。

・まだ未踏の都道府県
計13ヶ所(福井、三重、和歌山、鳥取、山口、高知、徳島、佐賀、長崎、大分、宮崎、鹿児島、沖縄)
・・・こんなにあったんですね。残りの一生のうちに全部回れると良いなあ。

・Batonを渡す人
「思い出バトン」と同じ方に渡すのもあれですね。
こちらを読まれているかどうかわかりませんが、
  0205LEGOlogさん
もし読まれていたらお願いします。

「思い出バトン」をお渡しした皆さんも、もし余裕がありましたらこちらもどうぞ。

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2005.10.16

思い出バトン

 G.C.W.さんから「思い出バトン」というのをお回しいただきました。
 「へー、最近はこんなのもバトンになるんだー」と思いつつ回答を作成してみましたのでご覧下さい。かなり黒い内容になってしまいました。
 「トラベル・バトン」というのもいただきましたが、それはこれから回答を作ります。

【Q.1:小学校・中学校・高校の中で一番思い出のある時期は?】
高校時代かな?小・中学校時代は私的に黒歴史です。

【Q.2:一番お世話になった先生は?】
苦労をおかけしたという意味では中学2・3年時の担任の先生。
私の在籍クラスは今で言うところの学級崩壊に陥ってまして、その結果私自身いじめのターゲットになってしまったのですが、問題解決のため奔走して下さいました。
進路に影響を及ぼしたという意味では、深い考えもなく進路希望に書いた大学を「良いところだね」と評価して下さった高校1年時の担任の先生。厳しい方でしたので反発する生徒も多かったですが、私的には良い先生でした。結局その大学に進むことになったのでした。

【Q.3:得意科目】
国語しか得意ではありませんでした。でも文学少女ではなかったです。
美術は下手の横好き。
英語も当時は喜んで勉強していた筈なのですが、あの頃の私はどこへ行ってしまったのか?

【Q.4:苦手科目】
数学、物理、化学。最近小川洋子さんの著書などで「数式の美しさ」が取り上げられていますが、学生的には「美しくても解けなければ仕方がない」という感じです。
しかし何故か、今いる職場で相手にしている利用者は理系の方ばかり・・・。

【Q.5:思い出に残っている学校行事を3つ】
  1. 小学6年生時の学習発表会(学芸会):確か「火の誕生」というギリシア神話をモチーフにした劇でした。「コール隊」と言う、劇の冒頭で集団でろうそくを持って現れナレーションする役を演じました。
  2. 高校の学園祭:クラス参加の行事より部活の展示の方が楽しく、そっちにのめりこんでいました。今思えばクラスメイトには迷惑だったことでしょう。
  3. 高校の体育祭:全校が赤・青・黄の3組に分かれて競う運動会でした。部活(いわゆる漫研)が各組のマスコットキャラクター巨大看板を作ることになり、自分のいた黄組では「ドラゴンボール」の悟空を描きました。ちなみに他の組の看板は「きまぐれオレンジロード」「幻夢戦記レダ」。著作権もへったくれもありません。

【Q.6:クラスでのキャラは?】
「勉強はそこそこできるけど真面目で流行を知らない子」
「意地が強くてちょっと詰問されるとすぐ泣く子」
「ぼんやりして無口で会話が苦手な子」
だったと思います。
そんなわけで普通に人間関係を築けない子供でしたね。
ちゃんと人間と向き合って相手の気持ちを考えて会話できるようになったのはつい最近のことです。

【Q.7:学生時代の呼び名は?】
小・中学校時代は「名字+さん」。
高校時代は「下の名前+ちゃん」。
部活関係の親しい仲間内では「ペンネームの名字+ちゃん」。

【Q.8:好きな給食は?】
  1. マカロニ入りクリームシチュー:マカロニ好きでしたので。
  2. ソフトめんを使ったメニュー:カレーうどん、ラーメンなど。
  3. 森永ナイス:アルミパックに入った塩味のクラッカー。祝日の直前とかそういう時にしか出てこなかったような。

【Q.9:繋げる5人】
直に面識のある、かつこちらにブログURLを貼り付けても差し支えなさそうな以下3名様にお回しします。
時効な思い出を掘り下げるというのは奥深い作業ではありますが、もしかしたら傷口を開いた上、粗塩をこすりつけるような作業になるかも知れませんので(^_^;)、お受けいただくかどうかはお任せいたします。
残り2本については、我こそは!と思う方がどうぞ。

あまたさん「思いつきの覚え書き
obaさん「読書日記
tzさん「図書館退屈男

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続・大阪市立図書館のカードの謎

 9月30日付け「大阪市立図書館のカードの謎」の記事で取り上げた、同館の利用者カードが館ごとに別々で共通化されていない?の話について、以前に同館でお仕事されていたというひまわりさんからコメントにて情報提供をいただきました(ありがとうございました!)。
 新たな情報の内容を筆者なりにさっくりまとめると概ね次のとおりです。

  • 利用者情報データベースはそれぞれの館ごとに作られており、データベースが納められているコンピュータ自体はネットワークから切り離された状態(スタンドアロン)である。
  • だから貸出予約は登録館扱いとなっている。
  • 実は1枚のカードでも全館利用できる。
  • ある館の貸出冊数がオーバーした時には別の館のカードを使って借りられた(=貸出冊数は館ごとに別カウント)が、現在はそれはできない(=どこの館で借りても冊数は全館トータルでカウント)。

 以下は、わが家に在籍するライブラリアン2名がこれらの情報から推測した内容です。

 まず、恐らく同一の利用者のカードに振られたIDは複数の館で共通なのではないでしょうか?
 そうでなければ、同一利用者が複数の館で本を借りた場合に通しで冊数を数えることはシステム的に難しいでしょう。

 各館で登録された利用者情報については、何らかの形で中央館のメインコンピュータにネットワーク接続して送信される仕組みになっていると考えられます。例えば昼間はローカル登録だけ行い、夜間にメインコンピュータに接続・送信するとか。

 もちろん全館でカードを1枚にしてしまうことも技術的には可能だと思います。
 ただ、昔は恐らく全ての館でネットワーク化が進んでいたわけではなかったために、利用者情報データベースは各館で別々に作る、という業務の流れが定着したのではないでしょうか。
 また、メインコンピュータとのネットワーク接続にトラブルが生じた時でもローカルでの貸出処理を行うことができるように、あえて利用者情報の登録はローカルで行っているということも考えられます。

 それに、顧客管理の面で、各利用者がどの館のメインユーザであるかを(データをいちいち照会することなしに)一目で把握する目的もあるのかもしれません。そもそも24館全部でカードを作るような アホ チャレンジャーの存在は想定されていないでしょうし(笑)。

 最後に残る「貸出予約がカードを作った館でしかできないのは何故か?」の疑問についてですが、考えてみたら本の受け渡しを確実に行うためには当たり前のルールですね。

 というわけで、疑問はだいぶ氷解してきましたが、これらはあくまで推測の域を出ておりません。大阪市立図書館に電話して訊けば解決するのかも知れませんが、私的な好奇心を満たす目的で先方の手を煩わすのもどうかと思われるので、それはしないことにします。

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2005.10.13

『暴れん坊本屋さん』

 この間の日曜日、

 暴れん坊本屋さん 1 / 久世 番子著. 新書館 (2005.10)

を行きつけの書店で購入しました。
 この本は、書店員と少女マンガ家の二足のわらじを履く作者さんによる「実体験をもとに構成されたフィクション」エッセイコミック。先週(確か10/2)の朝日新聞の書評欄に出ていて実に面白そうだったので、書店を数ヶ所ハシゴして探し、買ってしまいました。

 「レジで書店員さんにカバーをかけてもらう時に見られて恥ずかしい口絵はあらかじめカバー折り返しに差し込んでおく」
 「店の隅に人気コミックス全巻が積み上げられている時は、新古書店への転売目的で盗りやすいように用意されているので要注意」

といった書店ウラ豆知識にも含蓄がありますが、図書館屋としてはやはり、同じ本という媒体を扱っている場としての相違点と共通点とに興味を持ちました。

 「本屋さんのたのしい一日」のエピソードに見られるように、書店にとって「本」とは版元から取次経由でやってきてお客さんの手元に渡るなり、売れ残れば返品されるなりする(買い切り本は別)、言ってみれば「この場を通過していくもの」「店に直接的利益をもたらすもの」であり、そうした点で図書館とは異なります。しかし、

  • 販促のために独自に作家やテーマフェアを組む、手書きPOPを作るなどの作戦を実施する
  • 陳列方法を工夫する
  • お客のうろ覚え・勘違いを頼りに正しい書名・著者名をたどる
  • マナーの悪い客(問題利用者)と戦う

など、来店(来館)者が心地よく滞りなく本を選べる場を整え、商品を積極的に手に取ってもらい、できれば買って(借りて)いただくための苦心談やノウハウには、サービス業として学ぶべき面がかなりあると思いました。

 ・・・と、真面目に書いてみましたが、この作品、連載誌が『ウィングス』等のマニア向け少女マンガ誌なので、ほどほどに散りばめられたBL(British LibraryではなくBoys Love)ネタやその他のオタク臭のするネタが楽しいです。BL好きの店員さんが自分の好みをねじ曲げ客層に合わせて組んだはずのBLフェアが―のエピソードは泣けます。
 そうした意味で、個人的には第11刷(注.話数)の「抜いては入れて」がツボでした。職場できつきつの書架から本を出し入れする時に、あの無意味なインサートカットを脳裏に浮かべながら口ずさんでしまいそうです。

 最後に告白しますと、朝日の書評でも引用されていた「新聞に載ってたアレないか?」を、書店員さんの前で口には出さなかったものの筆者もやってしまいました(^^;)。書店の平台で現物を見つけたその時までとうとう正確な書名を思い出すことはできませんでした。番子先生ごめんなさい。

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2005.10.10

ライブラリアンの新技術への取り組みについて

 金曜の夜、とある方面から突如お誘いがあり、思いがけず土曜日に母校の某先生方のところへお邪魔することになりました。と言ってもメインは連れ合いの方だったので、筆者はあくまで金魚のフンとして同席しただけでしたが、これがなかなか面白い会合でした。
 会合のテーマや詳しい内容についてはここでは差し控えますが、差し支えない範囲で印象に残った発言のごくごく一部を記させていただきます。

  • ある種のライブラリアンは新技術が出ると面白がりはするものの、それを利用者サービスにどう生かすかに目が向かない。また、技術がある故に周囲に頼りにされるが、そうした現状に満足してしまい現状から飛躍できない者も多い。
  • 図書館に新技術を導入し、活用しているある種のライブラリアンは特別扱いされがちだが、彼らの仕事に必要なのは情報を選択・探求する能力や、それらをサービスとして適切に調整する能力であって、それらは従来のライブラリアンに求められてきた能力と何ら変わらない。

 これら、特に前者は実に耳の痛い言葉でした。自分自身、図書館の(主にコンピュータ関係の)新技術に十分対応できているわけではないけれど、図書館関係以外のシステムの利用トラブルも含めてあてにされる状況が割とよくあります。そうしたトラブルに対応しただけで「仕事した」と満足してしまいがちで、では、そこから先にどう進むかは考えないことの方が多く、しかも「じゃああなたはこの技術を使って利用者のために何をやりましたか?」と問われると「やってません」と答えるしかないわけでして。

 ただ、スキルも経験も様々な集団で図書館という場を運営しており、加えていつかは今担当している業務を誰かに引き継いで別の部署に移らなければならないということを考えると、あまり新しい業務を作り出せないというのも現実。自分は良いけれど、その後を受け継ぐ誰かさんがそれで良いという保証はありません。

 そうした制限とか不安とかはありますが、それでも時代に合わせて新技術の導入に取り組む局面というのはいつかやってきます。自己分析するに、現在図書館のシステム部門の一線で活躍している人々のように、新技術が図書館の仕事にどれだけ使えるものか?というニオイを嗅ぎつける先取りのセンスや、その技術の仕組みを理解し「図書館」という場に適した形で動かすエンジニア的な資質というのはどうも乏しいようです。

 しかし、少なくともそうした技術に立ち向かわなければならない局面で「わからない」と言って済ませたり、導入のための予算確保などで上位の権限を持った人たちへの説明や導入後の利用者への説明を怠ったりするようなことはしたくない、と、今回の会合を経て強く思うようになりました。
 だって自分は図書館屋(ライブラリアン)なのですから。曲がりなりにもお初の利用者の方に相対し、お話を伺い、適切な資料やデータをご提供することができるのに、お初の技術に相対した時に何にもできなくってどうする?といった感じです。

 ここまで書いてきたような事を当たり前にこなしている図書館屋さんから見れば笑ってしまうような話かもしれませんが、そうではない人間としては真剣にそのように考えています。
 学生時代、せっかくシステム関係の勉強がたっぷりできる環境にいたのに、逃げてばかりいた結果こうなったことを振り返ると、後輩の皆さんにはセンスや資質に乏しいからと逃げないで勉強して欲しいと思うのです。勉強の成果が役立つ日はいずれ確実に訪れます。
 そして先生方にも、センスや資質を補って余りあるような、基礎をじっくり学べてかつ最新の動向も知ることのできる魅力的なカリキュラムをぜひ組んでいただきたい、と願っております。

 ―以下は余談となります。
 今回の会合ではほとんど初対面に近い方も含めて複数の先輩・後輩の皆さんとお話しすることができました。初対面でない方も一番最近お会いしたのが6年前。もっともその中にはブログ同士で交流のある方もいらして、余り「久しぶり」感はありませんでしたが。

 先生方のうちお一人が、同時期に学部に在籍されていたとはいえ、筆者の所属ゼミまでご記憶だったのには驚き、うわーと感動してしまいました。こんなへっぽこな同窓生を覚えていてくれてありがとう、という心境です。そして、普段はシンポジウムやワークショップにでも参加しなければ伺えないような様々な貴重なお話を伺うことができました。先生方のみならず、この席に誘って下さった皆さん(特に後輩)に感謝いたします。

 そうそう、授業の開始・終了時に流れるチャイムが、授業のない土曜日も自動で流れていました。筆者が学んでいた十数年前と変わらず、ウェルナーの「野ばら」のメロディでした。
ああ、自分は確かに昔ここで過ごしていたんだなあ、と思えた一瞬でした。

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2005.10.05

読売新聞『生かす図書館の力(9)』感想

 G.C.W.さんのところでも取り上げられていた読売の記事

  生かす図書館の力(9) [読者の声]月曜、祝日 なぜ休む?

の感想です。

 図書館の開館時間を延長してほしいといったニーズは自分も勤め人なのでよくわかります。でも、開いている時間が長いということはそれだけ図書館の運営に人件費とか光熱費とかの、税金で負担しているコストがかかるということで。人件費の代わりにハードウェアに予算を投入して24時間開館を実現したのが川上村の図書館なのでしょうけれど、では、全ての自治体で高額な自動貸出機を導入できるかと言うとそうではありません。普通の自治体では人件費や資料費の削減策が採られ、「コスト削減のために」指定管理者制度など民営化が検討されたりするわけで。

 公共図書館の現場にいない人間の目で見る限りではありますが、民営化により図書館行政に福音がもたらされる可能性のある、いわば「無図書館」あるいは「無司書」の自治体では制度導入を積極的に考えてほしいです。(そういう自治体だと根本的に費用回収が難しいのでは?という問題もありますが・・・。)
 しかし、実際のところ、図書館活動の元手となる予算が削減されるばかりでは、民営化制度を導入しても指定管理者らが十分に活動できないばかりか、コスト削減目的で無駄な時間や労力を費やしてしまう可能性もあります。結局のところ、制度を導入しようがしまいが図書館予算が同じ自治体内の他の施設のそれと比して極端に削られることは避けられるべきであり、それ故に民営化を安易にコスト削減に結びつけて考えるのは止めた方が良いと思います。

 いみじくもDORAさんのブログ記されていた言葉
「教育にお金をかけることができない政治家って最低ですね。」
の「教育」を「社会教育」も含んだものと拡大解釈すると、本当にその通りだと考えます。もちろん図書館だけが社会教育施設ではありませんが、率直なところ教育のための予算は他に優先して潤沢に確保して欲しいものです。
 独善的な事を申し上げれば、数十年後に訪れる筆者自身の老後を支えるのは、十分なお金と手間と愛情のかかった教育を受けて身や心が育まれた良く働く子供や若者であってもらいたいですし。:-p

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2005.10.02

丸善京都河原町店の閉店と檸檬

 昨日(10月1日)の朝日新聞の夕刊で、丸善の京都河原町店が10月10日付けで閉店されると知りました。あの梶井基次郎の小説『檸檬』で、主人公が重たい美術書を積み上げてその上に1個のレモンを置くという(書店員にははた迷惑な)行為をして立ち去ったことで有名なお店です。閉店は以前から伝えられている丸善の不採算を精算するための資産処分の一環であると思われます。
 その京都河原町店で、今春に閉店が決まって以降「売り場の本の上にレモンを置いて立ち去る客が相次いでいる」(記事本文より引用)そうです。酔狂を気取る大学生などの仕業でしょうか?美しい話です。お店では置き去りにされたレモンたちを籠に入れて『檸檬』の文庫本コーナーに飾っている他、「踊る阿呆を、観る阿呆。: さよなら、丸善京都店。」のブログ記事によれば、『檸檬』の上記場面を再現したオリジナルスタンプを押すことができるようです。あちら方面の住人だったら絶対押しに出向いたのだけど、残念。

 実は京都の丸善に行ったことはなく、むしろ『檸檬』と言うと、別離寸前のカップルが赤や檸檬色の電車を眺めながら聖橋から檸檬を放る場面のある同名のさだまさしさんの歌を先に連想してしまいます。なのにこんなにせつないのは何故なのでしょう。梶井『檸檬』に活写された、病魔に取り憑かれた青年の詩情あふれる鬱屈した心がそうさせるのでしょうか。

 一方現実に立ち返れば、丸善は洋書・洋雑誌に関して、図書館としてきわめて重要な取引先です。経営面での不安が影響しているのか、最近クレームへの不十分な対応ぶりなど、目に見えて質が落ちているという事実があります。ある意味同社の栄華の象徴の一つでもあった京都の店舗を売却するという身を切る行為により、少しでも経営が潤い、以前のように信頼の置ける「丸善さん」に立ち戻ってほしいと願うばかりです。

(追記)上の文章をアップした時にはまだアサヒコムなどのWeb上に新聞記事が掲載されていませんでしたが、その後掲載されました。時間が経つと消えてしまうかと思いますが、一応リンクを示しておきます。(情報源:丸善 檸檬ゆかりの地悲喜こもごも)、檸檬愚智提衡而立治之至也))

 閉店惜しみ置きレモン 小説「檸檬」ゆかりの京都・丸善(アサヒコム)

 閉店惜しみ置きレモン 小説「檸檬」ゆかりの京都・丸善(gooニュース)

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