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2006.02.08

『長い長いさんぽ』

長い長いさんぽ
須藤 真澄著

 作者である須藤さんの昨年他界した最愛のねこ「ゆず」。ゆずの一周忌である2006年1月16日に発売された(注:奥付の発行日とは異なります)この本には、彼の生前の近況を報告した短編数作と、その死に至る経緯から火葬場までの道行き、弔いまでを描いた表題作、そして新しい子供たちを迎えての後日談が収録されています。
 16年間共に暮らしたゆずとの、「最期を看取れなかった」という悔いも大きい別れ。泣き狂い、ゆずの遺体を抱いて眠り、魂に語りかけ、火葬の窯の前で手を叩いてゆずを呼び続ける作者自身の姿の、実に生々しい冷徹な描写に却って涙を誘われている自分がいました。
 火葬後に骨箱から灰と骨を一つ一つ手作業できっちり仕分け、骨のみを入れた骨箱を手元に残し続ける作者たちのこだわりには、もしかしたら賛否両論あるかも知れません。自分ももし同じ状況に置かれても多分ここまではできないだろうと思います。

 ただ、骨箱を庭などに葬らない気持ちだけは論理的な面で分かる気がしました。今後、何かの事情で住む家を替えた場合、今暮らす家に埋葬した子は言ってみれば置いてきぼりになってしまいます。自分も子どもの頃に住んでいた遠隔地にある借り上げ社宅、つまり人ん家の庭の土にペットの鳥を埋めてきましたが、何かの拍子に「あそこにあの子はいる」と思い出すことがあります。
 もっとも、交通の便が良くて訪ねて行きやすい海や山にいわゆる「散骨」をして、ここに来ればいつでも会えるね、と割り切るという方法もあるにはあるわけでして。作者は新しい子猫たちがやってきた今でもきっと、そこまでは割り切れていないのでしょうし、これからも割り切られることがあるのかは疑問です。それが、現世では決して面と向かって対話することのないゆずの魂への、唯一見える形での作者なりの愛情の示し方なのかも、と思いながら本を閉じました。

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コメント

そうだったんですか。

須藤さんの「ゆず」シリーズは友達に勧められて何冊か読みました。
「家族」なんですものねー。
16年とは、なかなかに長い期間です。
それだけ長い時間一緒に居たのは私の場合ペットではないですねぇ。金魚とかだったら何年かですしね。大抵、家のそばの土に埋めてました。あの子達はそのままそこにいる、とはあまり考えたことは無くて。普段存在忘れてるしね^^;
人の場合は、お墓参りはするけれど、存在自体は、お空に、というか、そこここに感じますね。去年亡くした父の事を思うことが時間的には多いですが。

投稿: ゆーりん。 | 2006.02.08 07:54

>ゆーりん。様
私も、死者の魂はお墓とは別の所にいると思っています。お墓は魂との間を媒介するものというか、媒体というかそんな感じです。
亡くなられたお父様は私にとっても大先輩にあたるのですよね。きっと遺されたご家族それぞれに程近い場所で見守って下さっていることでしょう。

投稿: MIZUKI | 2006.02.09 02:19

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