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2008年1月

2008.01.30

消費者庁

 本日気になった以下のニュース。

 asahi.com:霞が関、戦々恐々 首相肝いり「消費者庁」構想 - 政治

 はてブの反応等を見てると「各省庁は利権が減るのがイヤなんだろう」みたいなのが多いんですが、これ、役所の上の方はそれも考えてるに違いないんでしょうけれど、下の方の人間から見たら多少違うと思います。

 まず、省庁が増えても、現在まで何百年と続いてきた縦割りの構図を変えるのはそう容易なことではありません。簡単に変えられるようなら、とっくに変わっている筈。
 あと、首相が頑張って新しく「消費者庁」を作ったとすると、記事にもあるとおり各省庁の定員がそっちに持って行かれると思われます。でも、各省庁内に消費者庁との連絡窓口となる部署(どこかの課の班1つ、あるいは係1つレベルかも?)は必要になるわけです。消費者庁からの指示や依頼の内容によっては明らかに担当原課じゃないと対応出来ないものがある、というか、原課に回すのが大原則だから、窓口担当部署から各原課に指示や依頼を連絡……って、今とあまり変わらない気がするのですが。むしろ、消費者対応の省庁が頭1つ増える分、混乱が生じるように思います。むしろ役所の下の方の人が心配しているのはそっちの方ではないかと。
 「下から上に訴えればいいじゃないか」「労働組合は何のためにあるんだ」と言う人もいるかも知れませんが、役所というのは驚くほどに物の決め方がトップ ダウン、と言えば聞こえが良いけれど、トップで決めたことを下に下ろして、どんな無茶なことであってもこれでよろしく、と言われれば「御意にございます」 と実行しなければならないという仕組みが根付いていて、実行部隊である下の者の意識についてもこの状況で生きやすいように慣らされているので、実際には難しいと思われます。

 もちろんそういう苦しい、しかも却って国民の混乱を招くような状況にならないように各省庁で努力すべきであるとは考えています。でも、原則として現在の役所の定員が増えることはない、ということは、窓口部署の定員も簡単には増やせないから、少ない人数で対応を整備していくのは大変苦しい道のりだとは思いますけれど。
 消費者庁側も同じですね。最近の役所の仕事、増えることはあっても決して減ることはないと思うので、仮に設置されてスタートしたとすると、当初想定していたよりも遙かに多くの担当業務が新庁に課せられることになるのではないでしょうか。

 というわけで、「消費者庁」にあまり明るい展望を見いだすことは自分には出来ません。ただ、役人が利権の多寡ばかり意識して生きてるかっていうとそうではないんだぞ、ということだけは声を大にして言わせてもらいたいと思い、このエントリを書かせていただきました。

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2008.01.19

郷愁の『アーシアン』(2008.1.20追記)

 『ヤッターマン』の新作アニメのOP・EDだけ(ニコ動で)視聴してげんなりしています。新作版を担当したミュージシャンには恨みも何にもありませんが、音楽からして旧作のあの世界観とは違うものが、新作には求められているんだろうと実感しました。でもオバさんは旧作の山本正之先生歌唱版(同じくニコ動で聴けます)の爽快な疾走感と壮大なバカバカしさについ執着してしまうのです。あと、EDはやっぱり三悪でないと。三悪に、全国の女子高生には見せられない無様さを毎週さらす哀愁は必須だけれど、同情や憐れみを煽るような寂しいEDは要らないです。

 ――さて、もう15年以上も昔に夢中になって読んでいたのに、恐らくは当時の連載誌できちんと完結しなかったという理由から、最終巻が未刊となりそのままになっていた漫画『アーシアン』が、近年完結版としてまず新書判で再版され、更に創美社コミック文庫でも出始めたので、つい1~4巻までまとめ買いしてしまいました。
 前半のストーリーはかなり覚えてましたが、最終話近くのストーリーはほとんど記憶がありません。ただ、文庫4巻は最終話の1本手前で終わっているので、恐らく5巻に最終話の後日譚と番外編(時間軸ではプロローグに該当)が掲載されて完結なのだろう、ということは分かります。

 しかし今になって読んでみると、文庫4巻のラスト4話位でかなり駆け足で強引な展開になっており、細かい設定が破綻している上、絵柄もペンタッチこそ流麗ですが不安定になってしまっています。思えばこの辺から高河ゆんは休載も多くなって、アーシアンの番外編も中断、やがて新書館にも描かなくなり、自分も自然と読まなくなっていったなあ、と思い出しました。同時期に描かれていた『源氏』もフェイドアウトしてしまいましたし。
 自分が高河作品から離れてしまったのは、絵柄が変化して好みではなくなったというのもありますし、元々恋愛至上主義の作品世界も手放しには好きになれなかったというのもあります。これは個人のワガママな好みの問題なので、高河さん自身がどうこうという問題ではありません。
 確かそろそろ文庫5巻が発売された筈。ネット社会の悲しさで、番外編で明かされる登場人物の秘密については既に知ってしまっているのですが、楽しみに読ませていただくことにします。

【2008.1.20追記】
 『アーシアン』の文庫5巻、読みました。最終話の後日譚が載っていましたが、雑誌掲載時に読んだだけなのに意外とコマ割り等覚えていた自分に感心しています。
 前に書いた「プロローグに該当する」話、総司令官ミカエルと双子のルシフェルの物語(秘密の花園5、6)も収録されていました。この話で影艶(主人公の1人)の出生の秘密を匂わすエピソードがあり、副官ラファエルもその事実を知らされているわけですが、後の時代のエピソードにラファエルが秘密に感づく場面があるので矛盾が生じています。高河作品にそういう緻密さはハナから求めてはいませんし、求めてもいけないのだと思いますが、完結編を謳うからにはもうちょっとだけ緻密さを発揮して欲しかったです。とは言え後付け設定も多そうなので、限られたページ数で収拾を付けるのはさぞ大変だっただろうと想像しています。個人的には影艶が託されたのが何故桜侯爵家だったのか知りたかったような気がするのだけれど。
 あと、アーシアンの同人誌発表作品もどうせなら一緒に収録して欲しかったなあ。単に自分が未読ですので。

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2008.01.14

意外な大先輩

 雑誌『東京人』no.250(2008年2月号)を、特集の地下鉄記事目当てに買って読んでいたところ、新作映画『母べえ』の原作者ということで、野上照代さんのインタビューが掲載されていました。
 学生時代の一時期黒澤明監督の映画に嵌り、ちょうどその頃ようやくリリースされ始めたビデオを片っ端からレンタルして観まくっていた頃がありましたが、黒澤監督に関する本を読むと必ず「スクリプター(記録係)の野上さん」に関する記述が出てきていました。どういうわけか黒澤映画に「男の世界」というイメージを勝手に抱いていたので、重要なスタッフとして野上さんという女性が存在していたという事実を新鮮に思ったのを覚えています。
 さて、そんなことを思い出しながらこの野上さんのインタビューに目を通していて、

「……父の勧めで私は上野の図書館学校に入りました。そこは月謝がなかったから。男女共学で二十人ぐらいの生徒がいたかなあ。割合、自由な雰囲気で先生もすばらしい方ばかりでした。……その学校にいたのは一年ぐらい。昭和十九年です。……」(2月号p143より部分引用)

というくだりを発見して驚きました。
 こちらで手持ちの卒業生名簿に当たってみたところ、確かに野上さんは昭和19年度に文部省図書館講習所を修了されていることが分かりました。インタビューによれば戦時中疎開のような形で山口県の学校の図書館に一時勤められた後、雑誌記者を経て映画界に入られたそうです。
 図書館講習所に入所されたのは、ドイツ文学者で唯物論研究者であったお父上の投獄による経済的な事情が影響しているようですが、当時の図書館が知識階級の職業として位置づけられていたというのも大きいのではないでしょうか。
 そして、恐らくは戦時下から敗戦後間もなくの疲弊した図書館界よりも、マスコミ、ひいては黒澤監督に代表される新しい才能を得た映画界の方が遥かに魅力的であったに違いないと推測しています。
 しかし、意外な所に意外な大先輩がいるものです。だから何だと言われればそれまでですし、結果として図書館界には進まなかった方ではありますけど、ちょっとでも縁があるような気がすると何だか嬉しいのは確かです。

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2008.01.12

ソウルフード

 誰からバトンが回ってきたわけでもありませんが、友人のブログで「ソウルフード」ネタがあったので触発されて書いています。
 私のソウルフードは、子供の頃食べたかったのに食べられなかったものです。それは、「吉野家の牛丼」。
 小学校4年生頃、今も田舎だけど当時は輪をかけて田舎だった地元には良い歯科医が無かったらしく、電車で片道1時間程度かかる歯科に通わされていたのですが、いつもそこに行く途中に「吉野家」がありました。
 ああ、地元でお店は無いけれど「牛丼一筋80年」のテレビCMが頻繁に流れているあのお店が!牛丼食べたいのにー!とオレンジの看板を横目に見ながらいつも歯科に連行されてました。帰路は治療直後で食事どころではないので当然食べられず。
 で、地元には当時吉野家が存在していなかった上、うちの両親もどちらかと言えば小さい子を牛丼屋に嬉々として連れて行くタイプでは無かったので、実際にくだんの牛丼を初めて口にしたのは、札幌に引っ越した数年後位だったように思います。どこら辺の店で食べたか覚えてませんが、普通に美味しいと思った筈です。
 そういえば例の米国産牛肉問題以来、吉野家には行ってません。以前は「おひとりさま」までしてわざわざ食べに行っていたんですが。ちなみに豚丼は、十勝の豚丼の味を知っている立場からすると「豚小間の煮込みなんか豚丼じゃない!」とどうしてもぱちもんに見えてしまって、注文したことすらありません。あれなら自己流で十勝風――お肉は網焼きではなく手を抜いてフライパンで焼いてますが――で作った方が余程美味しいと思ってしまうのです。

 以下は蛇足です。
 実際に子供の頃口に出来ていたものでソウルフードに該当するものをあえて探すとすれば、「お父さんとお母さんが作ってくれた食事全部」、あえて絞り込むと「お父さんのうどん」でしょうか。
 上州人である父はかなりのうどん好きであり、毎週末の昼食には必ずざるうどんが出てきた物です。麺は大体スーパーで普通に売っている乾麺でしたが、たまに余裕があると手打ちで出てきていました。手打ちと言っても素人の物なので麺の形はいびつ、お汁も自己流の大味なものでしたけれど。休日のお昼と言えばいつもいつも山盛りのざるうどんが出てくるものですから、子供心にいい加減うんざりしていたのですが、家を離れてしまった今ではあの山盛りのうどんが非常に懐かしかったりします。幸い父は今も健在なので、そのうち実家に寄った時にでもごちそうになりたいものです。

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2008.01.06

図書館不要論について

 以下の2件のブログエントリを読ませていただいて考えた所を、こんな場末のブログで書いても何にもならないだろう、と思いつつ、書くだけならタダなんで一応だらだらと書いておきます。

公立図書館運営費は医療費にまわそう! - Ceekz Logs

それは、図書館があった方が安くつくからだよ - かたつむりは電子図書館の夢をみるか

 まず、図書館の有料化の問題についての考えは、先日も書いたとおりです。その後、DORAさんのところのエントリを読ませていただいて、折角保障されている権利を、お金の問題にこだわってあえて手放すようなことは止した方が良いと改めて考えた次第です。だから、有料化問題は今回は棚上げしておきます。

 図書館不要論について一言だけ申し上げますと、知る権利を生存権と天秤にかけるという考え方はちょっと拙速ではないかと思います。
 例えば最近は病院図書館も医師の研究の為だけでなく、患者やその家族が病気について調査し知る為に手助けする試みを行っていたりもします。つまり、知る権利の保障が生存権にもつながる可能性があるということで、そういう意味でも単純に天秤にはかけられなさそうです。
 とは言え、そういう本来天秤にかけることに無理があるものをあえてそうするよう仕向けてくるのは政策を実施する上での常套手段です。
 ごく私的には、国の政策に対し外野が素直に与して行け行けどんどん、というのは好みではありません。だから、先々代の首相在任時の朝○新聞の、政策に迎合した報道姿勢は大嫌いでした……って、脱線するのは止めておきますが。
※これは国が知る権利と生存権を天秤にかけていると言っているのでは決してありませんので、くれぐれも誤解無きようお願いします。

 現状の公立図書館については、そこで働いている司書も含め、要らないと言われてもしようがないレベルの所もあるでしょうし、また、住民のニーズを蔵書貸出のみで十分充足しているからいいじゃないかと思われる所もあるでしょう。上に書いたような病院図書館との橋渡しとか、もっとやっても良いと思うのですけれど(既に実践してる所があったらご容赦)。
 公立図書館の人は、政策に「文句」を言うだけでなく、「これだけ実践して、これだけ成果が上がってますよ」って証明する「反論」をいつでも出せるように常に武装しておくのが結果的に吉につながると思うのです。反論してもダメな時はダメなんですけれど、やらないよりはやった方がマシということの方が多いですし。

 また、大学図書館、研究図書館の存在意義については、基本的にかたつむりさんに同意です。
 研究者のコストパフォーマンスを低下させない為に図書館があるんだ、の件についても、昔からそれを強力な盾として図書館の存在意義を打ち出してきた所は多いと思うし、実際その為に図書館は働いてきたという自負を、職員達は持っているに違いありません。
 ただ、どうも公立の研究所はとても内部図書館が充実しているとは言えない所も多いらしいのですが、そういう所でもしっかり研究成果を出してたりするので、そういう意味では盾にも弱点があるかな、と思います。
 もっとも、それが本当に弱点なのかどうなのかということについては、ちゃんと統計を取って検証しているわけではないので、弱点とは言い切らないことにします。
 あと、今まで折角上手く回ってきた物に対して、予算の使い処が違うだろう、こっちを減らしてもっと違うことに使え、とか言われたりもするわけですが。じゃあ、その違うことって何ですか?ということについて答えを出すのが、現在の大学図書館や研究図書館の課題でもあります。

 結局の所、研究者が図書館の役割について「無くてはならない」と言ってくれない限りどうしようもないのですけれど、かたつむりさんでも言及されているように、文献探すのも研究者に求められるスキルの一つになってしまっているし、大抵の研究者は自分が必要な文献さえ入手できれば手段が図書館であろうと何であろうと構わなさそうです。
 多くの国立大学で実施されている機関リポジトリ事業は、図書館の存在意義を示す手段としてかなり有効だとは思いますが、一方で、これ以外にも何か研究者に支持していただけるネタを考えておかないと今後生き残りは大変だとも思うのです。
 誰かその辺の生き残りネタについて、これまでの図書館の酸いも甘いも熟知した上で、データを集めて研究して論文など書いて提案して牽引してくれる人はいないものでしょうか(と他力本願してみる)。

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2008.01.02

謹賀新年2008

 明けましておめでとうございます。さて、私の元日は……。
・大晦日から例年通り連れ合いの実家に帰省。ちびだった甥っ子もだいぶでかくなったので、まったりこじんまりと年越し。
・冬祭りで入手した本を1冊だけこっそり持ち込み、「年の初めはさだまさし」を睡魔に耐えて見ながら熟読する。
・翌日昼、近所の八幡様に参拝。おみくじは吉。
・夕方、スープの冷めない距離にある親類の家に年始の挨拶に出向く。連れ合いの従姉妹の姉さん達と方言談義など交わす。21時過ぎ帰宅。
 そんなこんなで元日が終了しました。今年もこんな感じで淡々と日常が過ぎ、時にお金のかかる非日常や煩悩に浸り、理不尽な仕事に怒り(これはできればやりたくない)、1年を暮らしていくのだろう、と思います。皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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