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2012年1月

2012.01.24

「本を送りません宣言」を読んで考える

 昨今一部にて話題の「本を送りません宣言」について、少し語っておきます。
 この宣言文は未だ「第一版」(2012年1月17日)であり、今後加筆修正の可能性があるものです。
 宣言の「前文」「本文」「解説」、そして「それでも「本を送る」際の目安10ヶ条」に至るまで、隅から隅までじっくり目を通さない限り、時に善意に基づく支援を否定するものとも誤解されがちなこの宣言の内容には、賛否両論が渦巻いているようです。各種意見の中では、以下のブログが、この宣言の内容に対し、決して感情的に脊髄反射することなく、中立的に冷静に読み解いた上できちんと着地点を見つけていて良い感じだと思いました。
 「本を送りません宣言」ってなんだ?? | 図書館長風味-なぐも通信
 「本を送りません宣言」ってなんだ?? その2 | 図書館長風味-なぐも通信

 私自身は概ね上記のブログの見解に賛同します。特に、「図書館復興のため」など目的が明確で、支援の心が形として見える贈り物として最適と多くの支援者が考えたのが本であり、それ故に集まりすぎてしまったのだという分析点など、正にその通り、と思いました。
 1つだけ、宣言文に付け加えて語りたい所があるとすれば、 「私たちは通常、少なくとも「古本」を大切な誰かに贈りません」の行に対してでしょうか。
 自分の場合、実際の所、手元に置けなくなった本であっても、それが読んで面白かった一押しの本であるならば「大切な誰か」に贈ることはあります。但し、それは相手の顔が見える場合の話です。
 今回のような場合、自身の手を離れた蔵書達は、縁もゆかりもないどこかの人の手に渡ります。その時、誰かの「蔵書」は、持ち主の手を離れた「古本」に変わります。その古本は、自分が被災者の立場になった時には「もらって嬉しいと心の底から思える本」かも知れませんが、全ての人がそう感じるかはかなりの「賭け」です。ましてやそれがすり切れた状態の良くない本であるなら尚更です。

 客観的に見て、「大切に手元に持っていた蔵書を捨てるよりは、運が良ければ誰かが読んでくれるかも知れないだけまし」という動機に基づく善意自体は決して間違ったものではないと考えます。
 また、過去に各家庭で不要になった本の寄贈により作られた図書館の存在も存じていますし、現在進行形でそうした本の収集手段を執ることにより、被災地で家庭文庫をオープンすべく努力されている方などがいらっしゃることも存じています。
 しかし、自分は同時に、全国・全世界から集まったたくさんの善意が、あまりにたくさん過ぎて逆に被災地の負担になる場合がある現実も、身に染みて存じています。だから、この宣言に対し抵抗感を覚える方や、宣言を読むことにより支援への気後れを覚える方が存在する可能性を認めながらも、宣言には賛同せずにいられないのです。

 ちなみに、これは恐らく誤解されがちなポイントかと思いますが、「古本だから良くない」ならば「新本なら良い」か?と言うと決してそうではありません。新本であっても、現場のニーズを超過すれば同じことになってしまいます。それが、宣言で「新品を贈ることにも慎重にふるまいます」「新品を含め、被災地や被災者に「本」を送りません」と記載されている所以でしょう。

 なお、「本を送りません宣言」の主語である「私たち」は、saveMLAKなど特定の集団を指すのではなく、あくまで「同じ意識の方々全員」であると、宣言の前文の前文(宣言の前提文?)に記されています。自分自身は個人的事情によりこの宣言への署名にはまだ至れておりませんが、少なくとも意識の共有はし続けていたいと考えています。少しでも多くの、「本による支援」を考えたことのある「私たち」、あるいは実践したことのある「私たち」に、是非宣言文を隅々までご一読の上、今後も引き続き、適切な状況下において「ベストタイミングで支援」(「なぐも通信」より引用)していくとはどういうことであるか?を考えていただける機会としていただけるならば、喜ばしく思います。

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2012.01.08

『草子ブックガイド』1巻のブックガイド……のなり損ないみたいなもの

 草子ブックガイド. 1 / 玉川重機 著. -- 東京 : 講談社, 2011.9.講談社の公式サイト

 二昔前の子供を持つ親の常套句に「またこの子は本ばかり読んで閉じこもって!もっと外で遊びなさい!」というのがありましたが、この本に登場する草子ちゃんは、まさにその常套句が当てはまる中学生です。
 物語の最初では閉塞した現実の世界での居場所を失い、専ら本の世界という空想に翼をはためかせていた草子ちゃんが、古書店青永遠屋(おとわや)との出会いを1つのきっかけとして、「ロビンソン漂流記」「ダイヤのギター」「山月記」「名人伝」「山家集」と古典を中心に読み解いて手作りのブックガイドを綴りながら、徐々に世界と繋がり、かつ人と人、あるいは人と本とを繋げていくという展開が魅力的です。

 お勧めのエピソードは、本当はライブラリアンとしては「2冊目」(この漫画においては章番号が「2冊目 その1」等で示されます)の「ブックトーク」のエピソードと言うのが筋なのかも知れません。もちろんこのエピソードも、本や学校図書室という場を媒介にした、人同士の素朴な繋がりの誕生をテーマにしていて含蓄が深かったのですが、自分としては「3冊目」の「蔵書票」のエピソードを一押しします。
 余談ながら、学術情報データベースやシステムを扱うベンダーに「Ex Libris」社というのがありますが、この作品から「Ex Libris」が「蔵書票」という意味であると今更知った自分……。穴を掘って入りたい気分でした。

 このお話で、草子ちゃんが中島敦の「山月記」「名人伝」を媒介に、両親のエゴや弱さを若いなりに冷静に読み解き、諦観のもとに「自分を愛する親」ではなく自分と同じ1人の人間として理解しようとする姿は何とも健気です。
 彼女の母親は、はからずも娘に冷徹な現実を突き付けてしまった後で、娘のそんな心を知り、今度は自身のエゴが娘や前夫にもたらしたものを突き付け返され、この本(山月記)を持つ資格は自分にはない、と嘆きます。そんな母親に対し、青永遠屋店主の青斗さんは「…もう一度…その本(山月記)を読んでみては?」と言葉を掛けるのです。まだ遅くはない、「本はあなたの人生のそばに……いつだっている」と。そして作者も、苦い幕切れでありながら、草子ちゃんと読者の心にひとかけらの希望を残してくれています。物語のキーである蔵書票がどのように使われているかは、読んでからのお楽しみ、です。

 「4冊目」も、草子ちゃんの西行の歌の世界を媒介とした外の世界との繋がりが身近な人の内的変化をももたらすという多重構造のお話で、二重三重の面白さがあります。「1冊目」は全ての物語の始まりなので、どういうお話かはあえて記しません。

 漫画なのに絵柄について語っていませんでした。銅版画を彷彿とさせる緻密な、それでいてメリハリのある描線が印象に残る絵です。もしかしたらこういう質感の絵柄に馴染めない人もいるかも知れませんが、私は好きです。

 公式サイトを見ると月刊連載ではなく連作シリーズのようで、絵柄的にも多作は難しそうですが、続刊が待たれるところです。

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