2008.05.11

久世番子『番線』

 少し前に購入した、久世番子さんの『番線』をようやく読了しました。番線というのは書店で発注等に使われる「書店の識別コード」の業界用語だそうで、元書店員番子さんらしいネーミングです。「元」と書いたのは、これを書く前にWikipediaで番子さんの項目に当たった所、既に書店員は辞められているという記述があったからです。少し残念ではあるけれど、本業に専念できるのは幸せなことであるとも思います。
 表紙を開いた瞬間、口絵イラストの布団に横たわる番子さんの図のインパクトが強烈でした。きちんと書棚があることを除けば、自分の寝室にそっくりだったからです。読みかけの雑誌、漫画、文庫本、演劇パンフ:-)やらを枕元に貯めこみ、しかもそれらをなかなか片づけられず、ドレッサーの椅子の上にまで積み上がっていっている体たらくなので、家族から「営巣」と呼ばれています。多分、番子さんは「本好き」だけでなく「読書家」でもあると思うのですが、「読書家」にコンプレックスを抱いている人間としては彼女の「本好き」ぶりの方に共感しております。

 一応図書館屋としては、国立国会図書館の前後編ルポを丁寧に読みました。積層書架や火災発生時の消火方法に関する説明を、蔵書保護至上主義という切り口で描いているのが面白いと思いました。確かうちの職場のコンピュータセンターもガス消火だったよな、と思い起こしてみたり。
 あと、蔵書のカバーの脱衣についても触れられてましたが、カバーに奥付が付いている場合は切り抜いて本体に貼り付けるというのは初めて知りました。そう言えば前の職場(うちの職場系列の図書館は大体カバー脱衣後装備方式です)でも同じことをしていたなあ、確か。あ、「爆弾に注意」プレートも笑わしてもらいました(書庫内で出庫にかかる時間を知らせるプレートだそうです)。
 同じ国立国会図書館の修復部門のルポも、自分には縁の薄い分野なので興味深かったです。古文書を「原型を壊さず直すことはもちろん必要があれば元に戻せる方法で補修しています!」に深く頷いたりして。

 この作品における図書館以外にマイツボに入ったキーワード、キーフレーズは、
「もしも私が家を建てたなら(略)壁全面の本棚ぁぁぁ~」
「手動写植機」
「教科書やおい」
「近年のツンデレブームは…文部省の陰謀!!」
「トリックの穴 見つけちゃいました」
「一箱古本市」
あたりでしょうか。

 余談ですが東京創元社の校正課のエピソードである「トリックの穴」の件。仕事関係で学術論文の校正ならやったことがありますけど、その時は用語の統一ぐらいまでなら気づけたものの、流石に実験過程の穴を見つけるレベルには至れなかったです。まあ、それをチェックするために学術論文には査読者というのがいるわけでして。でも見つけられない時は数人がかりでも重大な間違いを見つけられないことというのは本当にあるので、恐ろしいことです。

 『番線』は漫画ですが、本好きさんは結構楽しくいちいち納得しながら読める本かと思います。お勧めです。

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2008.05.04

ICタグ付きポストイット

 連休が始まったというのに見事に風邪を引いてしまいました。風邪薬が手放せない状況であるものの歩けないほどではないので、今日のチケットを既に取ってしまった観劇は出かける予定です。ただ、明日の上京予定はキャンセルするかも知れません。

 さて、筆者はポストイットを使うのがかなり好きです。仕事にももちろん使っていますが、プライベートでも持ち歩き用に表紙の付いたポストイットノートを愛用しています。
 LISNewsの記事(Post-Its + RFID | LISNews)と、その元ネタのEngadgetの記事(MIT reinvents the Post-It note... with Post-It notes - Engadget)によれば、MITで、RFID付きポストイットというのが開発されたそうです。紹介されている映像を見ると、PCに接続された専用パッドの上でRFID付きポストイットにデジタルペンでメモを書き込んで、そのメモ情報をPC側にOCRで読み込んでデータベース化することができるということのようです。また、RFIDなので、当然位置情報も記録できるとか。本のページの間にしおりとしてRFIDポストイットを挟み込むという使い方ができるようです。
 ポストイット貼りっぱなしにしておくことが本の長期保存のために良いとは到底思えないので、あくまで一時的な情報の整理を前提にしたものなのかどうかは分かりませんが、上手に使えば楽しく仕事に活用できそうです。しかし高そうなポストイットだなあ。これじゃ普通のポストイットのように使い捨てできないし、そもそもタグの情報を手軽に消去できる手段がない限りは簡単にその辺に捨てられないじゃないか、とも思ってしまいます。

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2008.04.03

水面の雲を見つめて

 4月2日、石井桃子さんが101歳で亡くなられました。

 訃報:児童文学者の石井桃子さん=101歳 - 毎日jp(毎日新聞)
 「ノンちゃん雲に乗る」作家・石井桃子さん、101歳で死去 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

 年度初めにつきめちゃめちゃ忙しい日が続いており、ニュースサイトもほとんどチェックできていなかったのですが、メールで更新情報が送られてきた友人の日記のタイトルに「星が落ちた」って書いてあるものを見つけ、何?誰か亡くなったの?と急いでGoogleニュースをチェックして訃報を知り、このことだったか!と愕然。

 図書館屋の端くれとしては、この方のお名前を聞いてまず連想するのは「東京子ども図書館」。そして「おはなしのろうそく」。そう言えば大学の時に、創作絵本『くいしんぼうのはなこさん』のパネルシアターをおはなし会用に作らせていただいたこともありましたっけ。もちろん著作権処理なんてやっている筈もなく、今にして思えば、良くもまああれを子供に見せて堂々と上演したものだ、と穴に入りたくなるような素人の作品でした。美しく封じ込めたい思い出です。

 おはなし会に夢中で取り組んでいた割に児童文学への造詣は無さ過ぎな人間なので、石井さんの業績として名高い翻訳物では、とっさにはブルーナ、ピーターラビット、クマのプーさん位しか思いつかなかったりします。そう言えば『ちいさいおうち』もそうでしたね。ああ、ドリトル先生の担当編集者でもあったのね。
 石井さんが翻訳された海外の長篇作品に関する知識なんて、ほとんど壊滅状態。例えば『たのしい川べ」が名作だという知識はあるし、単行本の見返しに載っていた物語の舞台のマップに示された世界観が良くできていると感心した覚えはあるけれど、ちゃんと読み通したことはありません。

 そんな人間が語れる数少ない石井さんのお仕事は、創作の『ノンちゃん雲に乗る』位です。戦前日本の中産階級の少女ノンちゃんが、大人のごく日常的な理不尽なふるまいに対する憤りがきっかけでお家を飛び出して木に上り、木の上から落ちて気づいたら雲の上に乗っており、謎のおじいさん(神様?)に巡り会います。自分、家族、そして友人との日常のエピソードについて、同級生の悪ガキも交えて対話していくうちに、知らず知らず自らを見つめ直していく、というお話でした。
 この本、確か十代前半の頃に母親から誕生日に贈られたものです。版型は文庫本でした。そろそろ大人に買い与えられる本だの洋服だのを素直に受け入れられなくなり始めていた年齢でしたが、何故かこれは素直に最後までさくさくと読み進めることができたと記憶します。ラストで小さかったノンちゃんは大人になり看護婦になったけれど、雲の上で語らった悪ガキの長吉は戦争に行ったまま帰ってこなかった、というくだりが何とも寂しかったです。
 ノンちゃんを読了して程ない頃、NHKで休日に映画版を放送していたので観ましたが、鰐淵晴子があまりに美少女過ぎてバイオリンなんか弾いてたりして、ちょっとイメージと違っていました。でもあの映画はファンタジックで温かくて、決して嫌いではありません。

 石井さん、人間の愚かさをカバーして余りある善意と賢さを信じることを、十代前半の娘に教えてくれて、本当にありがとうございました。

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2008.03.29

脱衣カバー

 『もえたん』と言えば、どう見ても小学生女児にしか見えない幼児体型の美少女という、ある種の趣味の皆さんのストライクゾーンをあからさまに狙った設定の女子高生虹原いんくが、魔女っ子家庭教師ぱすてるインクに変身して活躍する英語教本で、アニメにもなったアレなわけですが。最近は次のような関連本が発売されています。

Amazon.co.jp: もえたん ビジュアルファンブック: ポストメディア編集部: 本

 この本の現物を見たところ、帯には「脱衣カバー」と書いてあるではありませんか。上記リンクの表紙画像をご覧いただくとお分かりのように、書籍本体にはぱすてるインクの全身像が印刷されています。で、くだんのカバーは透明なアニメのセルっぽいカバーで、ぱすてるインクのコスチューム「だけ」が印刷されております。つまりカバーを剥がすと……そういうことです。皆まで申しません。ちなみに裏表紙にも別の魔女っ子2名がいて、全く同じ状態になっています。

 で、気になったのは、この本、国立国会図書館(NDL)にちゃんと納本されるかは分かりませんが(2008年3月29日現在未納本ですが、同じ出版社の他の本は結構こまめに納本されている模様)、もし真面目に納本された場合、脱衣カバーは一体どこに行ってしまうのか?ということです。確か、NDLに納本された図書は全てカバーを剥がした上で装備され、受入されると聞いています。と言うことは、『もえたんビジュアルファンブック』も容赦なく脱衣状態になる訳で(汗)。
 多分、例外はあり得ないでしょうけれど、今後永久に美少女達が脱衣状態で保存されるのは忍びないので、何とかならないものかと気になっております。いえ、お好きな方にはたまらない状態なんでしょうけどね。

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2008.03.01

書店の力

 今回の記事は、以下のお話に触発されて書いています。
ニートの19歳女の子を札幌『紀伊国屋』に連れてったら感動して泣かれた話*ホームページを作る人のネタ帳

 はてブのコメントを見るに、話の本筋よりも、この話を「捏造」「作り話」として捉えている人の多さに驚きました。例えば小説家が私小説を書く場合に実話をベースにしながらも何%かは嘘を混ぜるのがセオリーであると聞いてますが、それと同じくこういうネタ話が100%実話ではないにせよ、まるっきり作り話ではないんじゃないかと思うのだけれど。
 元記事の作者さんの日頃の評判は存じませんが、こういう感動系話に「嘘つき」って突っ込んで楽しむ屈折した文化というのが確実に存在するんだなあ、と嘆息。

 amazonやbk1を探せば確実にあり、近所の書店には無い可能性が高い本と分かっていても、それでも私は時間のある時に近所の書店を巡ってしまいます。理由はシンプルに「楽しい」から。「楽しい」の中身について言葉にすると次のような感じです。
・たくさん本が並んでいる書棚を眺めて、その中から目当ての本を探すのが楽しい。もちろん、書棚の整理が行き届いている書店であることが大前提です。
・たまに思いがけない本を発見して眺めて、時には購入するのもたのしい。
・どうしてあの本を置いてないの?って文句たれるのもまた楽しい(末期症状?)。

 最後に、図書館屋の端くれ者の本音としては、冒頭のネタ話の娘さんの感動を呼ぶのは書店ではなく図書館であって欲しかったなあ、と思います。でも、
「人気のある最新刊をすぐ手に取れて自分のものにすること」
と、
「ネットで入手できるものより微妙に枯れているけど決して陳腐化していない情報の現物が多数並んでいる中から自分の責任(お金を出すという意味において)で選び取ること」
とが同時にできる場所となると、やっぱりリアル書店という選択肢になってしまうんでしょうね。複雑。

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2007.10.07

「町の本屋さん」が無い町の住人より

 以下は、先日の毎日新聞の記事「発信箱:本屋がなくなる=中村秀明(経済部) - 毎日jp(毎日新聞)」を読んでの感想です。
 子供の頃、家から歩くと30分ぐらいかかる「町の本屋さん」にたまに連れて行ってもらって、そこで主に「なかよし」等の女の子雑誌や、時々児童書(うちの親は偉人伝を読ませるのが割と好きだったなあ)を買ってもらえるのは確かに嬉しかった覚えがあります。
 引っ越しで一旦その町を離れて、8年後に再び戻ってきた時、町に駅ビルなんかができて栄えているのに反比例してその本屋さんが品揃えも店内の雰囲気もすっかりさびれまくっていたのは悲しかったです。今思えば取次から本が回ってこないとかの問題もあったんでしょうね。町の本屋さんが消費者へのアピールに知恵を尽くしたとしても、取次の体制として小さい書店に本が回って来づらくなっているんだからどうしようもありません。

 で、一消費者としては、本がなかなか入ってこない町の本屋さんよりはAmazonさんなどネット書店を利用したいというのがやはり人情です。というより、筆者の現住地はここ40年ほどで造成された研究学園都市なので、そもそも所謂「本屋のオヤジさん」がやってるような小規模書店というのが皆無な訳ですが。
 また、所謂リアル書店――地元の中規模書店や郊外型書店、それから大手チェーン書店――においても、東京都区内に電車で1時間、車で2時間もあれば出られる地方都市であるにもかかわらず、新刊書がなかなか発売日に入ってこないという欠点が存在します。飛行機に乗らないとその日のうちに東京に行けない場所に住んでいた経験から申し上げると、雑誌が発売日に入手できるだけでもマシと言えばマシなので、あまり贅沢は言えないのですが、それにしてもあんまりと思うことがちらほらあります。

 と言うことで、そういう場所に生活している消費者としては、郷愁だけでネット書店を全否定することは出来ないなあ、と考えるわけです。ネット書店だと、Amazonのレビューやbk1のブログトラックバック受付等、読者のレビューも見られて参考になるという利点もありますし。ちょっとマニアックで出版年次がやや古めの本も、リアル書店だと返本されちゃったりしてて、取り寄せにも時間を要することが多いけれど、ユーズドで見つかることが多いですし。
 まあ、昔よりつくばと東京が近くなったと言っても、それはあくまで電車の話であって、取次からの書籍の運搬手段である自動車の交通インフラは何ら変わっていないので、仕方ないかも知れませんが。いっそTXで貨物を扱ってくれればいいのに、とか非現実的なことを言ってみるテスト。

 あ、こまごまと色々書いてますが、今回は全部、リアル書店の取次に対して、もうちょっと何とかせい、と言ってます。取次の事情、井狩春男さんのエッセイでしか知らない素人だから言えるご託ではありますけれど。

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2007.09.29

今日の早川さん

 先ほどの日刊スレッドガイドのネタの半分近くは昨日書きかけていたものなのですが、昨日最初に書こうと思っていたのが、『今日の早川さん』のことです。原作のブログはこちら
 まずこの本が早川書房から出ているというのが最大のネタだと思うのですが。先週末に購入し、4コママンガなのですぐ読了。
 感想としてまず思ったのは、こういう奴らは決してマンガ表現の誇張でも何でもなくて、必ず現実に存在しているであろう、ということ。これを絵空事と思っていたら大間違いです。
 同時に、自分自身は彼女らのような「本読みさん」ではないということも実感。本も読みたいけど他の楽しいことも並行してやっておきたい、とか考えてしまうところから、既に違っているんじゃないかと思います。しかも私、本を読むのがとても遅いのです。と言っても、ノンフィクションやハウツー本は普通に読めているのだけど、問題は小説。気になった記述をいちいち反芻して読んでしまう上、何ページか前に読んだ伏線をすぐ忘れてしまって読み返すのが一つの原因だと思うのですけど。
 だから、本読みの速読みだったらもっとたくさんの面白い本を体内に取り込むことが出来たのに、といつも思っているのでした。そういう意味でも大量の読書をこなせる本読みさんは羨ましい限りです。たまに駄作に当たってしまったとしてもね。
 登場人物の中では「富士見さん」が少しだけ心情的に近いです。あと、結構素敵だと思うのは「岩波さん」。ひねくれ者で性格悪で理屈屋なんだけど、実は年少の仲間たちを可愛がっているし、ついでに巨乳だし。ご近所の住人とかだったらちょっと厄介かも?とは思いますが(^_^;)。

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2007.09.08

Cellの表紙絵

 既にあちこちでネタになってますが、覚え書きとして。学術雑誌Cell 130(5)の表紙にジョジョの作者荒木先生のイラストが掲載されました(アサヒコムの記事)。紙面では9月7日の夕刊の記事です。論文へのリンクはこちら(リンク先はScienceDirect)。

SCRAPPER-Dependent Ubiquitination of Active Zone Protein RIM1 Regulates Synaptic Vesicle Release
Volume 130, Issue 5, 7 September 2007, Pages 943-957

 同じ朝日の朝刊に載った 「「骨壊し屋」女性ホルモンが抑制 東大教授チーム解明」もCellの同じ巻号に掲載されていて(ScienceDirectへのリンク)、これはこれで画期的な内容の筈なのだけど報道では影が薄くなるんじゃないか?と余計な心配をしてしまうぐらい、今回の表紙(これは別の論文著者が作成依頼したもの)はインパクトも強く、しかしこの名門誌の表紙として何の違和感もなくはまっています。
 ちなみに表紙の元ネタ記事が載っているCellのサイトに、昨日の午後あたりから全くアクセスできない状態になっていました。現在(9/8 8:30)はアクセスできるようです。Cellの表紙にあの種のイラストが載ったことも(そもそもアメコミの絵も載ったことがあるのか謎)、Cellのサイトがアクセス殺到でダウンしたことも、恐らく初めてなのではないでしょうか。

 で、当然のように勤め先関係の図書館にはプリント版は未着。これは受入があり次第表紙をコピーに行こうかな……と思ったのですが、雑誌の最新号はコピーNG。しかも、表紙の画像って1単位の著作物。著作権が荒木先生とCell編集部のどちらに帰属するにしても、あれが創作性のある著作物であるのは確かです。
 じゃあ、Cellの次号が発行されて図書館に入庫してから、「表紙の半分以下」をコピーすればいいのかな?とも思いましたが、どこまでが半分なのか?ポーズを決めてる「壊し屋」(SCRAPPER)部分だけ切り取ってコピーするとかなら良いのだろうか?とか考え出すとまた悩んでしまいます。もっとも図書館側の裁量でコピーを断られてしまっても致し方ないわけですが。やはり大人しくCellやアサヒコムのサイトに載っている画像を個人用にダウンロードしてこっそり眺めることにします。
 あと気になったのは、Cellの最新号のサイトには“Cover Caption”いわゆる「表紙のことば」が載っていて、今なら表紙イラストの解説と、これの絵師が“Japanese manga artist Hirohiko Araki”であることが記載されてます。この文章って次号が出たら消えてしまうと思うのだけど、CellのArchiveには保存されないんでしょうか。保存してほしいけど、保存先として該当する場所は無さそうで、ちょっと残念。

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2007.07.23

『世の途中から隠されていること』を読む

 300p以上ある本を全ページ読了する目的で図書館で借りることはめったにありません。何故なら読むスピードが遅すぎて、図書館の貸出期限までに読み切れない恐れがあるからです。これが原因で手を出さない(出せない)作家や作品は結構多いです。
 にも関わらず借りてしまったのが以下の本。

 世の途中から隠されていること : 近代日本の記憶 / 木下直之著

 広島の平和塔(旧日清戦争凱旋碑)のように、第二次大戦敗戦後、突然別の意味を持つ物に造り替えられてしまったオブジェだとか、「古墳時代以降の日本文化は天から降臨してきた天孫がもたらしたものであって、それ以前の石器時代人は現代人とは別の先住民族である」という説のように、ある時代を境に無かったことにされてしまった学説であるとか、文字通り美術史の「途中から隠されて」しまったことについての検証が、この本のテーマです。
 返却期限の前々日に何とか読了することのできた感想としては……木下先生、ごめんなさい、という感じです。自分の興味の方位磁針はどちらかと言えばサブカル的にオブジェや歴史を面白がってしまう傾向にあるのですが、この本では、純粋に学芸員そして美術史研究者として、ある時代に当たり前に存在していた美術品やそれに対する評価が恒久的に同じものではあり得ない、という極めて真面目な視点からオブジェの存在意義や学説の正当性が覆った過程について語られていました。
 無知なことに石器時代人先住民族説だとか、特別名勝兼六園の中に建っている明治紀念之標がごく一部で余計物扱いをされていた(でも平成4年に解体修理は完了している)なんてこの本で初めて知りましたし、その他の美術史上「隠されたこと」についても知らないことだらけで、大変勉強になる本でした。また、オブジェや学説が最初に造られた(唱えられた)時代、そして作者や研究者に対する敬意も文面から感じ取れて、読後感も良かったです。
 ただ、ごく個人的趣味で言うと、同じように世の中に残されている違和感をもたらす物件について語るのであれば、どうも建築探偵とか超芸術トマソンのようにアーティストの目線から見た美術批評の方が心にフィットするようです。自分的にはもっと詳しく語って欲しいポイントを、淡々と語って流されて肩透かしを喰らってしまうようなそんなところがこの本にはありました。
 とは言え、この本の文中に一貫している、「隠されていること」をそのまま「無かったこと」にしてはならないという視点はやはり大事であると思います。例えば、著者が1995年当時兵庫県立美術館の学芸員として体験した阪神・淡路大震災の直後、大学の研究室に依頼して彫刻の耐震調査を行った際に「彫刻の重さ」を聞かれて、それらの縦・横・高さについてのデータは存在したものの、重さのデータは全く存在せず答えられなかったことに愕然とするエピソードなどは、まさにそれまで常識と信じられてきたことが覆され、逆に新たな常識(=彫刻にも地震対策が必要であり、その為には重量のデータが必須となる)が生まれた瞬間を切り取ったものと言えるのではないでしょうか。現在彫刻の地震対策はごく当たり前のように行われていますが、以前はそれが当たり前ではなかったという事実を忘れてはならないのだと考えます。

 地震と言えばちょうどこのエピソードの章を読み終える前後の7月16日午前、新潟県中越沖地震が発生しました。3年前の中越地震の影響が癒えないうちに再度被災した住民の苦しみは未だ続いています。被災者が1日も早く苦しみから解放され、傷が癒されていくのを願うばかりです。

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2007.07.18

読んだ本の備忘手段

 最近、ITmedia Biz.IDに載っているLifehackネタに時間の許す限りは目を通してツッコミを入れるのが密かで小さな楽しみです。7月14日付けの

“PCで仕事”を速くする:第9回(番外編) 読んだ本を忘れない5つの方法 - ITmedia Biz.ID

の記事には、

  1. 本文の脇に線を引く
  2. ページの上隅を折る
  3. ポスト・イット(のり付き付箋)を貼る
  4. ノートに書き留める
  5. 表紙を写真に撮っておく

の5つが読書中の備忘手法として紹介されていましたので早速ネタにしてみます。
 このうち1、2は自分的には論外です。仕事用の資料に蛍光ペンで線を引くことはありますが(その時もモノクロコピーに写らないよう、必ずイエローで引く)、個人用の資料はどうも汚すのが嫌で、線引きもドッグイヤーも駄目なのです。仕事用の資料でも、プリントアウトホチキス止め資料ならともかく、ちゃんと業務用に共同購入している雑誌に堂々とボールペンで(!)傍線を引いた上で回覧されると殺意を覚えます。
 もっとも、作家の井上ひさしさんの蔵書を元に運営されている山形県川西町の「遅筆堂文庫」は、作家が付与した付箋やメモや傍線をあえてそのままにしているそうですが、あそこはまあ、公共図書館であると同時に名作を生み出した作家の息づかいを肌で感じる場でもあると思うので、例外中の例外で良しとします。
 3は筆者もよく使う方法なのですが、はてブの上記記事のコメントに、図書館の本に付箋紙を貼ると糊が残って虫食いやカビや紙魚の元、というのがあって、ええっ!?という感じです。上の記事に紹介されている「ポスト・イット フラッグ 丈夫な見出し」なんて、いかにも糊がべっとり残りそうで大変やばそうなんですけど。個人的にあのいかにもケミカルそうな糊は、虫が食うよりは書籍用紙が劣化するんじゃないか?という不安の方が大きいのですが、要は数十ページに渡りベタベタ何十枚もまんべんなく貼りまくるとか、あまつさえ貼りっぱなしで返却するとかそういうことをしなければOKなんだと思います、きっと。
 4は時々やります。このブログもその媒体の一つ。ただ、最近書き残す程本を読めていないのですが(^^;)。ノートはどちらかと言えば観劇メモを残すことの方が多くなってきていますし。
 そして問題は5。そこまでしたい本というのに滅多に出会ったことがありません。買って一度読んだ本の書影は割と頭にインプットされていますし。本棚.orgあたりが記憶補助装置と言えばそうなのかも(参考:MIZUKIの本棚)。ただ、本棚.orgに入れている本って、自分あるいは家族が購入したものであって、そう言えば図書館で借りた本って入れていません。そもそも市の図書館自体年1、2回行けば良い方なので、図書館で借りて読んだ本自体少ないのですが、借りた本ってどこか記憶が心許ないのは事実。図書館サイトの所謂マイライブラリー機能って使ったことがないのだけど、そういう現実を考えると、書影付きで自分の読書履歴が取っておけたりするのは便利かも、と思います。しかも自分が人に晒しても良いぞ、と思った履歴だけ公開モードにして、他の人の履歴と共有できたりするともっと楽しい。とは言え、現在自分がそういう機能を使える環境にないのは事実。ある本に関する履歴と評価の共有は既に本棚.orgでも出来ているから、ここに図書館で借りた本も記録しておくことで当面はしのぐことにします。

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2007.05.19

自己収書方針を考えてみた

 最近別館の方が更新がマメになってきています。ここ1ヶ月程ひどいじんましんに悩まされていて、皮膚科で飲み薬をもらって飲んでおり、副作用で夜かなり眠かったのも一因かも知れません。もらった薬を2週間分飲み終えたので昨日今日と薬をもらいに行かず様子を見ているのですが、何だかかゆみが倍増してきているようです。というか、今キーボードを叩いている指もかゆくて仕方がないんですけれど……。

 さて、ちょっと前のMyrmecoleonさんのブログの記事を読んでいて、本筋とは全く関係ないところで自分の本との付き合い方、つまり収書方針についてふと振り返ってみました。こういう付き合い方をすると本がたまりまくるという悪い事例です。

1.コミックス

《基本方針》

  • 長編物は基本的に余程はまった、ツボに響くタイトルで無ければ購入自粛。
    (例:『ヒカルの碁』はあるが『ONE PIECE』はキャラクターブックのみ、等)
  • 短編物も同様。ただし敷居が少し低くなる。
  • 文庫化された頃になってもなおツボに響くタイトルは購入。
  • 新書、文庫の別を問わず、重版の見込みが低そうな物は直ちに購入。ただし長編物は再度お財布、スペース、ツボへの響き具合と相談。

《問題点》

  • 一時期はまったが飽きたもしくは挫折したタイトルの取り扱い。全巻揃いでないためブックオフにも売り飛ばせない。

《課題》

  • 昔勢いで買いまくった愛蔵版コミックスの取り扱い。造本も良くサイズも大きくて見やすいのだけど、自宅のスペースを食うわ、実家に残した分は邪魔にされるわで良いことが無い。

2.ノンフィクション・専門書

《基本方針》

  • 読みたい本はその場で買う。

《問題点》

  • その割にすぐに読まず「積ん読」または中断状態にする。

《課題》

  • 早く読め。

3.小説

《基本方針》

  • 読みたい本は文庫化を待ってから買う。

《問題点》

  • 比較的購入割合が低いため問題点は少ない。

《課題》

  • 厳選されている故に捨てづらい。しかし元々さほどスペースは取っていない。

4.エッセイ

《基本方針》

  • 3に同じ。

《問題点》

  • 特定著者(例:ナンシー関さん)の文庫増えすぎ。でも故人の著書なんて捨てられない。

《課題》

  • 3に同じ。

5.雑誌・同人誌

《基本方針》

  • 読みたい雑誌は買う。
  • 演劇雑誌は贔屓の役者、あるいは注目作品の記事が掲載されていたら何を置いても買う。
  • コミック誌、資料性の低い雑誌はたまったら古紙回収に出す。
  • 資料性が高い雑誌は時間が経ったら冊子保存/切り抜き保存/古紙回収をランク付けして処理する。

《問題点》

  • ここ1年程で演劇雑誌が急激に増殖している。
  • 特集記事の資料性が高くかつ切り抜きしづらい雑誌(例:『東京人』)は捨てづらい。
  • 『図書館雑誌』が薄くてがさばらないので放置して気づいたら増殖。
  • 同人誌は造本が綺麗なものが多いので心情的に捨てづらい。

《課題》

  • 『図書館雑誌』は職場関係や近所の図書館でも閲覧できるので、余程保存したい号を除いては処分する。ただし、本来家族2名分送付される所を日図協に申し出て1名分にしてもらっているので(もう1名分は『現代の図書館』を送付)、処分時は家族に要相談。
  • 演劇雑誌の処理ランク付けおよび適切な処理。
  • 捨てづらい雑誌の処理ランク付けおよび適切な処理。
  • 「切り抜き保存」ランク雑誌の切り抜きはさぼらずやる。

6.演劇公演パンフ類

《基本方針》

  • 基本的には1作品1冊購入、の筈だが…。

《問題点》

  • ここ1年程で尋常でない増殖っぷり。
  • 別館ブログの資料用としてつい積極購入しがちである。
  • 1作品が2、3ヶ月連続で上演される場合、公演前半は稽古写真、後半は初日後の舞台写真が掲載されるため、勢いパンフを前半後半の計2冊購入することになる。特に贔屓役者の出演作の場合は顕著。

《課題》

  • 例えば購入パンフは1冊にして、残りの情報は雑誌や劇場チラシで補う等の対策が必要か。

7.検証

  • 雑誌以外に廃棄方針が無い。『積ん読』状態の図書の処理方針が必要か。
  • 特に演劇雑誌、パンフについては急激な増殖により、我が家の書架の上に行き場無く置いてあるクマの木彫り(笑)がずり落ちかけている。早急な課題の実施が求められる。
  • 「切り抜き保存」を決めたまま放置してある雑誌が存在。ここ2、3年読み返していない物は処分等も検討か。

8.まとめ

  • むしろ自分の場合、「買い直しの利く/近所の図書館で読める/めったに読み返さない本は消耗品である」ことの自己徹底が必要か。
  • とにかく足の踏み場が無いのだから、いいから整理しなさい!

以上。

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2007.03.24

INFOSTA発行誌、CiNiiで全文無償公開

 カレントアウェアネス-Rの3月23日付け記事によれば、これまでNIIのCiNiiで全巻号有償公開されていたINFOSTA発行の『情報の科学と技術』等が刊行後6ヶ月で無償公開に切り替わるそうです。「CiNiiヘルプ」上のお知らせはこちら

 今の職場は会員になっているので毎月最新号が読めますけど、エンバーゴ付きであってもバックナンバーをオンラインで全文参照できるのは嬉しい限り。特に『UDC information』のように今は亡い雑誌を無償公開してくれないかな、と思っていたので。別に普段UDCを使っているわけではありませんが単なる歴史的興味で(^^)。職場の近くの図書館で全号ではないけど冊子体を所蔵してるのだから、そっちに行けよって感じですが、自分のデスクにいながらにして見られるというのはありがたいことです。
 ただ、同じCiNiiのお知らせに、これまでの全巻号無償公開から定額許諾利用に切り替える学協会も出ていました。これを見て、あくまで無償・有償は学協会側でどう判断するかに委ねられているのだと実感しています。学協会誌って学協会の活動を行っていく上で貴重な収入源だし、また、著作権の問題なんてのもあるので、そうした事情を学協会内で斟酌した上での判断であれば仕方ないとは思うのですが、結局のところ「専門的知識は金を払ってでも身につけろ」ということに帰結するのかなあ、と思いました。

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2007.01.27

最近の小言・小ネタ(その2)

 超亀な反応ではありますが、青山七恵さんの芥川賞受賞。デビュー作が第42回文藝賞を受賞された時には、もう1人の15歳の受賞者に話題をさらわれてしまっていましたが(その際の自分の記事はこちら)、今度は直木賞に該当作が無い中での単独受賞。別に出身校つながりというだけでそれ以外に何のつながりも無いのだけど、やっぱり素直に喜ばしく思っております。
 取りあえず、今は消滅してしまった学校の名前まできちんと経歴に書いてくれた文春と読売新聞にありがとう!と言いたいです。別に筆者がありがたがる必要は全くどこにもないわけですが、何故かそう言う気持ちが湧き起こってきたのは不思議な気がします。
 ちなみにそれぞれの記事へのリンクは次のとおりです。
 文藝春秋|各賞紹介|芥川賞
 第136回芥川賞に決まった青山 七恵(あおやまななえ)さん 23 : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

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2007.01.13

1年の計?

 今年の元旦~2日にかけて帰省した際、往復の道すがら書店に寄って購入したのはこんな本でした。

 (元旦購入分)
 となりの801ちゃん / 小島 アジコ著. 宙出版 (2006.12)
 (2日購入分)
 辣韮の皮 1 / 阿部川 キネコ著. ワニブックス (2002.2)
 辣韮の皮 2 辣韮の皮 3 辣韮の皮 4
 シャアへの鎮魂歌 / 池田 秀一著. ワニブックス (2007.1)

 文章本でもマンガでも読むのが遅いので、やっと『辣韮の皮』以外を読了したところです。『801ちゃん』は28歳の男性から見た所謂「腐女子」の彼女とのおつきあいを、下書きっぽい4コママンガ形式で描いたもの。現在もブログで連載されています。読んでると作者も十分オタクなのだけど、それでも腐女子ってやはり違う生き物に見えるんだなあ、と不思議。801ちゃんは……色々な意味で若いなあ、と思いました。
 池田さんの御本は、書店で偶然見かけて衝動買い。内容は、「シャアとわたくし」(笑)でした。ガンダムつながりだけど流石に元の奥様のことは書かれていないのね、と思う自分の汚れ加減はどうかと思いつつ、池田さんが旧Zガンダムでのシャアの情けない扱いに違和感を抱いていたが新作Zを演じることで気持ちに折り合いを付けることができた、というくだり等を興味深く読ませていただきました。鈴置さんや井上瑤さんとのエピソードが泣けます。あと、エピソードの端々から見える池田さんの酒豪っぷりが微笑ましいです。

 そして『辣韮の皮』。地方の高校の漫研メンバーの暴走するオタクな青春を描いた4コママンガです。ずっと前から気にはなっていたのですが、2日に非常につまらないことで機嫌を悪くしていたこともあり、八つ当たり的に1~4巻を一挙購入してしまいました。実際は5巻まで出ているようですが、そこの書店にはなかったので未購入です。
 日常の合間合間に細切れで読んでいるので、ようやく2巻まで読了。彼らの高校生活は、自分がその年頃に「こんな生活してみたい」と思っていた暮らしそのもの。つまり、この年齢になって振り返るととてもイタタな感じなのだけど、その痛さ加減が絶妙で面白いのです。しかも、ごく断片的には彼らに類した生活を送っていたので、懐かしさもこれまたあったりして。で、月刊誌連載でコミックスが5巻まで出ているということは、若い読者層にもそれなりに受けて長期連載されているということなんでしょうね、これ。連載誌まで追いかける根性はありませんが、続きを読むのが楽しみなマンガが1つ増えました。

 これから1年、こうしてまたずるずるとはまり物が増えていくのでしょうか……。

(追記)
 ところで筆者、『辣韮の皮』2巻の年越し名作上映会で出てきた特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』、リアルタイムで見た記憶があります。物心ついたばかりの頃だったので、内容まではほとんど覚えてませんけれど、円谷プロ制作だったと今回初めて知りました。30年以上記憶の奥底に封印されていたのに、このマンガのせいで無性に見てみたくなっております。どうしてくれよう。

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2006.10.29

創作者のプライドと著作権

 かなり今更ですが、ここ2週間ほどの間に出てきた、松本零士vs槇原敬之(マッキー)問題とかテルーの唄盗作(?)問題とかについて思ったこと。
 どうも追及している側もしくはマスコミの皆さんが、著作権法上の権利と創作者としてのプライドの問題をごっちゃにしてるような気がして仕方がありません。

 まず、松本先生の主張(MSN毎日インタラクティブ10月19日記事より)には、何よりも先に創作者のプライド故の傲慢さを感じ取ってしまいました。筆者自身は999のコアな読者・視聴者ではないのであのフレーズは存じませんし、ましてやマッキーが本当に知らなかったのかなどは分かりません。ただ、あのフレーズには無意識に身体に染みこんで来るパワーはあるんだろうな、と思います。とはいえ、松本先生の付けてきた因縁苦情は、その創作者の身体に染みこんだ(かも知れない)ものについて今更「返してくれ」と言っているようなものなので、ちょっと解せません。
 この松本vsマッキーの件については、その後大人の和解が進みつつあるようです。松本作品もマッキーの曲も大好きな人間として今回の争いは辛かったので、少し胸をなで下ろしております。
 また、友人達とのやりとりの中で、松本先生が以前に某プロデューサー氏のせいで『宇宙戦艦ヤマト』の著作権問題で相当に苦しめられたということも思い出しました(参考:当時(2003年)の東北新社のニュースリリース)。そう言えば某プロデューサー氏もマッキーも過去に同じ罪状で…ということで、一概に松本先生の大人げなさを責めることはできないなあ、と今では思っております。

 もう一点のテルーの唄について。最初に見た記事はこちら。
 ゲド戦記:挿入歌の歌詞が朔太郎の詩と酷似-今日の話題:MSN毎日インタラクティブ
 詩人の荒川洋治さんという方が、月刊『諸君!』の2006年11月号で指摘されたらしいです。原典は未見なのですが、記事の文面から察するに荒川さんが本当に主張したいのは、
「先人の名作にインスパイアされて作るなら作るで、もっと創作者としてひねりのあるものは作れなかったのか?」
ということなんではないかと思いました。そもそも朔太郎の作品は既にパブリック・ドメインになっているのだから、素材として使われること自体には著作権法上の制限はない筈。ですが、もう少し作品としてひねりを効かせるとか、拡がりを出すとか、何とかならなかったの?あなたには創作者としてのプライドはないの?大ジブリの作品なら何をやっても許されるの?と言う嘆かわしい気持ちの発露の結果が今回の荒川さんの記事なのであれば、大変良く理解できます。
 だから、今回のテルーの唄問題について「著作権問題に詳しい日本文芸家協会副理事長、三田誠広さん」にコメントされると非常に腹立たしかったりします。何故あなたがこの問題を語る?みたいな。それはもしかしたら筆者の三田さんに対する個人的感情かも知れませんが(笑)。コメント中では「盗作とは言い難い」「モラルの問題として、朔太郎への感謝の言葉を入れるべきだ」「先行する芸術への尊敬の気持ちが欠けている」という正論を一応吐かれていらっしゃいますので。
 ――で、その後この問題に関してジブリ側が出したコメントがこちら。
 スタジオジブリ - STUDIO GHIBLI - 「テルーの唄」の歌詞の表記の問題について
これまでの事務面・広報面での対応に特に問題があったわけではなさそうですが、何だか創作者の尻ぬぐい的印象が否めないのはどうしたものかと思います。

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2006.08.03

佐々木丸美さんの訃報と著書復刊

 以下の記事を読んで、作家の佐々木丸美さんが昨年亡くなられたこと、また、佐々木さんが生前ひたすら拒まれていた、絶版になった著書の復刊が、ご遺族の許可を得て実現することになったことを知りました。

 Copy & Copyright Diary - 著作物は誰の物
 復刊ドットコムblog: 佐々木丸美復活!

 高校在学中に母校がこの方原作(後から振り返るとストーリーはかなり違ったけど)の映画『雪の断章』のロケに使われたことで初めてお名前を知りましたが、実際に『雪の断章』に始まる連作小説を友人に借りて読んだのは大学生になってからでした。どっぷりはまるというまでは行きませんでしたが、あの独特のファンタジックでほんのりミステリーの香りも漂わせた、異なる作品の登場人物同士がゆるやかに連環している佐々木ワールドには一時期かなり惹きつけられました。そんなわけで、訃報を聞いてひたすら嘆息しています。

 以下、さっき事実を知ったところなので、後で気持ちが整理されて変わるかも知れませんが。
 一般にリリースされた著作物は既に著者だけのものではなく、読者のものでもある、という考えは、本当にそうだと思います。しかしその一方で、それでも著者の固い意向があるなら仕方がない、著者がそう願っているのなら諦めもつく。そのように納得していた自分がここにいます。権利問題というのは情実抜きでシビアに判定されるべきものであり、ご遺族が了承されたということなので文句を言う筋合いはどこにもないのですが。…でも作家本人の遺志がどんなに強かったとしても、ご本人がこの世からいなくなられた以上、今やどうにもならないのだな、と思うとやはり「複雑」なのです。

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2006.07.31

NII流連想検索データベース料理

 ここ2年ほどの間に、NII発の検索データベースがちょこちょことできているようです。
 ちょっと思いついて書き出しただけでもこんなにあります。

 新書マップ~テーマで探す新書ガイド~
 BOOK TOWN じんぼう
 治療の体験記を病名から探せる 闘病記ライブラリー
 想-IMAGINE

 特に、最も最近公開された「想」では、新書マップ(テーマ/本)、Webcat Plus、Wikipedia[ja]、BOOK TOWN じんぼう等、計7種類のデータベースを検索できるらしいです。検索してみたところ、脈絡があるようなないような検索結果は、連想検索という細い蜘蛛の糸でつながってぷかぷか浮かんでいる本でできた雲の海にたゆたっている感じで、何だかなごみます。
 だけどNII、こんなに手を広げちゃってどうする?と言うか、何を目指しているんだろう?料理に例えると、それぞれは違う食材を使っているのに、何となく味付けが皆同じように感じられてしまうのは気のせいでしょうか。そろそろ違う味付けも楽しんでみたいぞ、と思うのは欲張り?
 もっとも、プログラム一つまともに組めたことがないくせに、所謂システムライブラリアンと呼ばれる方々には根拠なきコンプレックスを抱いているので、上の印象もその反動なのかも知れません。すねた視点からではなく、もう少し前向きに今後の成り行きを見守ることにします。

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2006.06.25

物みなは歳日と共に亡び行く

 あのアップルストアがついに札幌にもできたというニュースを耳にしました。

 アップル、6月24日に直営店「アップルストア札幌」をオープン - CNET Japan
 フォトレポート:700人の大行列--アップルストアが札幌にやってきた - CNET Japan

 ちなみに筆者、アップルには特に思い入れはありません。どちらかと言えばあの1ボタンマウスが苦手な方ではありますが、普通にiPodは1台持っていてもいいかな?と思う程度です。
 お店の場所は札幌三越の隣。え、三越の隣?何か引っかかる、ちょっと待て…と思って確認したら、やはり丸善南一条店があった場所ではないですか。調べたところ、丸善は2005年10月16日をもって閉店し、苗穂に移転と相成ったようです。あの京都河原町店の閉店と同時期。会社本体の経営不振によるとは言え、大きくて品揃えもきちんとしていた本屋さんが無くなったのは残念です。輸入品や文具を見るのも楽しかったのだけれど。
 いや、大通近辺にはまだパルコ札幌のブックセンターがあるじゃないか!と思い直そうとしましたが、パルコブックセンター冨貴堂もどうやら撤退してしまったようです。…まあ、1年前には紀伊國屋の札幌本店も移転オープンしているらしいし、ポールタウンにあった旭屋書店札幌店もJR札幌駅方面に移転したらしいし、本屋の中心は大通周辺からJR札幌駅周辺に移ったということなのでしょうか?

 本屋とは全く関係ありませんが、オーストラリアで健在だった、ダーウィンと面識のあるカメ、ハリエットさん(175)もついに先日(6/22)大往生を遂げられたそうですし、物事に永遠というのはありえないと頭ではわかっていますが、実際に移り変わりゆく様子を見聞きすると感慨深い物があります。
 ハリエットさん、誰かカメ語を話せる能力のある人などがいて、彼女の昔語りを聞き書きしてくれていたりしないかな?(妄想)

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2006.03.18

『リサ ママへプレゼント』感想

 後2週間足らずで他の職場に移ると言うのに、相変わらず残務処理がはかどっておりません。昨日などは、月曜日用事があって休むつもりでいるところへ、夕方になり水曜日の朝が期限の仕事が飛び込んできたため、残務処理そっちのけで残業。加えて定時過ぎだというのに周りで小さいトラブルが発生して巻き込まれることを余儀なくされたり。おかげで折角夫が出張から帰ってくるのに夕食も用意できず遅い時間に帰宅する始末。

 ついてないなあ、と憂鬱になっているうち、夫がやむを得ず外で食事を済ませて帰宅しました。彼の手から「買ってきたよ」と差し出されたのは、何と「リサとガスパール」の最新巻!

リサ ママへプレゼント
アン・グットマンぶん / ゲオルグ・ハレンスレーベンえ / 石津 ちひろやく

 九州某所の「どんぐり共和国」というキャラクターショップで見つけてきたとのこと。早速読み始めました。学校で母の日のプレゼント用にせっかくねんどのお皿を作ったのに、うっかり作品をだめにしてしまったリサが、仲良しのガスパールと代わりのプレゼント探しにスーパーまで繰り出したら、またまた「ひゃー やっちゃった」な事件が…というのが今回のお話。
 このシリーズの見どころの一つはどんな目にあっても(トラブルを起こしても)懲りないしくじけないリサの元気っぷりなのですが、もう一つにヘタレだけど辛抱強く心優しいガスパールの存在というのがあります。今回もスーパーでリサが乗り込んだ荷物カートの押し役を務め、売り物の香水を顔面噴射されるなどの被害を受けた上に、リサの起こした事件に巻き込まれて大人への謝り役まで引き受けるという活躍を見せていました。なんてけなげな子なんだ君は!リサは相変わらず(笑)だというのに。

 絵本を読んだからと言って、憂鬱と気持ちのすさみの原因そのものが解決されるわけではないのだけど。それでもこの子供たちの物語は不思議に心をなごませ心地よくしてくれます。ここ1、2年で急速に日本での人気が高まっており、最近はパスコのCMへの登場なども果たしていますが、どうかこの絵柄や物語に漂う温かさはいつまでも失わないでほしいものです。

 なお、ガスパールの活躍にばかり触れましたが、今回のお話における影の主役は実はリサのお母さんだと思います。我が子に対する愛にあふれた素敵な対応を見せてくれます。こういう懐の深い母親になりたいなあ。

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2006.01.22

第42回文藝賞受賞者(最年少じゃない方)

 昨日の関東地方は雪でした。にもかかわらず、筆者は朝6時過ぎのTXで上京。何しに出かけたかは別記事で書くといたしまして、そういう訳で一日活動しすぎて疲れたので、昨夜はブログ巡回もせずとっとと眠ってしまったのであります。
 そして先ほど目覚めていつものブログを巡回したところ、図書館雑記&日記兼用記事経由でこんな報道を見つけてびっくり。

 第42回文藝賞受賞 青山七恵さんに聞く(ゲンダイネット)

 文藝賞の発表の報道があったのは存じておりましたが、ニュースではもう一人の「史上最年少15歳受賞者」の方にスポットが当たっていて、この方のことは見落としていました。

 小説をあまり読まない筆者にとってこの記事のどこが驚きポイントかと申しますと、くだんの彼女のプロフィールの「05年、図書館情報大学図書情報学部卒後」というところです。学部名が間違ってるぞ、というのはさておき、筆者の後輩なんですね、知らない方だけれど。図書館ではなく旅行会社にお勤めということですが、これが昨今の情勢の下、やはり図書館の就職口がなかったためなのか、あるいはご本人の志向が図書館方面ではなくシステム系だったのか、それとも執筆の時間が必要だったためかはわかりません。

 ちなみに受賞作はこちら。
 窓の灯(あかり) / 青山 七恵著. 河出書房新社 (2005.11)

 図書館職員養成所時代まで遡ると阿刀田高さんという大御所がいらっしゃいますが、多分大学OB・OGでこういう文芸の大きい賞の受賞者は久しくいなかったのではないかと思います。筆者は小説読みではないので今回の受賞作品の位置づけ等を身体で分かっている訳ではありません。また、彼女の受賞で自分に何の変化が起こるわけではありません。でも何でかうれしいです。

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2005.12.06

『テレビの黄金時代』

 小林信彦さんの『テレビの黄金時代』(文春文庫)を読んでいたら、「多角経営人間」という言葉が出てきました。1962年に小林さん(当時は中原弓彦さん)のもとに取材に訪れた『サンデー毎日』の記者の発言として出てきたもので、「(テレビ界で)才能を多角的に経営している人」、つまり現代で言うところの「マルチタレント(この言い方も古いかも)」を言い表した言葉だそうです。
 当時この取材対象のラインナップに入っていたのは青島幸男、前田武彦、永六輔、そして中原弓彦の各氏だそうです。ただ、中原(小林)さんはその時既に自分がほかの三方とは異質で、文芸志向が強いことに気づいていたものの、編集部の意向により人選のバランスを取るために加えられたとか。そういえばマルチタレントという用語はごく新しいものと思いこんでいましたが、最近その用語に該当するようなタレントも含めて余り耳にしません。単に近頃テレビを熱心に見ていないので知らないだけかも知れませんが。

 日本での草創期~1960年代のテレビ界というのは作る側のスタッフが、自分たちが知的階級に属する文化の担い手であるという強い自負の元に作っていたというイメージがあり、そのイメージに対して自分は昔から興味を抱き続けてきました。それは自分が現実に体験し得なかった時代に対するノスタルジーもあるのかも知れませんが、恐らく当時のスタッフが込めたメッセージが放つ独特の臭いにも惹かれているのだと思います。
 『テレビの黄金時代』には、小林さんがかつて身を置いていたテレビ界のそうした臭い、そして、当時はビデオすら残らない「消え物」であった番組に自分たちの美学を注ぎ込もうとするスタッフの姿が、可能な限り客観的に突き放そうと試みた視点の元でたっぷりと語られています。これだけがテレビ史だと思って読むとたぶん偏ってしまうに違いありませんが(^^;)、同時代に同じ世界に生きていた他の人(青島さん、井上ひさしさん他)の著書と比較しながら読むと楽しいかと思います。
 一点だけ文句を述べるとすれば、小林さんは現代のテレビ番組を辛辣に批判されるのだけど、今の番組にも決して捨てた物ではない内容の物はあるよ、ということでしょうか。むしろ、昔より社会的制約が増えた中で作り続けることには違う面の努力が費やされているとも感じるのですが・・・。

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2005.11.11

誰のためのパクリ

 もう3日前の出来事ですが、
 飛鳥部さんの小説を回収 類似表現が多数(Yahoo!ニュース)
 ご報告(原書房)
の一連のニュースを知りました。

 まず、原書房のお詫び報告にある「許可を得ずに一部表記を引用」という表現はいただけません。「一部引用」自体は著作権法の範囲内で許された行為です。筆者は問題の小説を読んでいませんしこれからも読むつもりはありませんが、この問題について取り上げたまとめサイト(飛鳥部勝則氏「誰のための綾織」における、三原順氏「はみだしっ子」との類似点比較)や他のブログを読む限りは「エピソードや表現の盗用」という方が正しいでしょう。お詫び文のような書き方をすると、「パクリ」や「盗用」や「全文引用」だけでない「無断引用」全般が犯罪であると勘違いする人もいるので止めた方が良いと思います。

 しかしそのいきどおり以上に畏怖を覚えたのは、盗用した作家氏にも、そしてそれを見つけた読者の心にもどっぷりと染みついていたであろう、三原さんの作品表現の強烈な影響です。確かにあれは一度はまると抜け出すのは容易ではありません。20年近く昔の筆者はそれを経験しました。

 高校から大学時代にかけて、一時期マンガの自作に手を染めていた時期があります。絵柄もプロットもついにど素人の域を出ることはありませんでしたが、その頃の絵柄やセリフ回しの端々には小学校高学年~中学生の頃読みふけった『はみだしっ子』の影がちらついていました。
 ここでいけなかったのは、同時期に川原泉さんの作品にもはまりこんでいたこと。一時期はシリアス場面では三原的ちょっと大きめお目々、ギャグ場面では川原的点々お目々のキャラクターが、三原・川原作品をまぜこぜにして時にはパクった場面設定で川原風おとぼけ口調で語るというとんでもない状態に陥っていたことがあります。

 正直な話、『はみだしっ子』の作中で極限状況において仲間が引き起こした殺人(しかも本人は幻覚状態だったため罪の自覚なし)を1人で背負い込み貫いたグレアムの心情を、大人になった今も十分理解できたわけではありません。しかしながら、未だに考えてしまいます。殺人の遺族がその罪を赦すことが必ず罪人の解放につながるのか?ということや、当初は仲間を守るためだっ