カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2010.07.11

議論苦手者とTwitterとブログ

 たびたびこちらの記事でネタにしておりますとおり、自分はTwitterにも投稿(ツイート)しています。

 先ほど、暇だったので、過去の自分の、双方向で議論などしているツイートを読み返した所、
「人に言葉尻を突っ込まれると行き当たりばったりで、全く持ってろくな返しをできてない」
ことに気がつきました。
 いえ、「気がつきました」って、元々分かっていたことではあるんですけれどね。改めて気づいて痛く刺さったということです。

 自分はリアルでもネット上でも、瞬間で脳内に発生する自己の意志をその場で正確に言葉で返せるタイプではありません。否、多分、「その瞬間に思ったこと」は言えているのだと思います。
 でも、それはあくまで言葉尻を突っ込まれて「むかっ」とくるなどして脊髄反射で言ったことです。返事を返す前には当然、手元で参照できる資料や、頭の中で自分の望む引き出しを高速サーチしていますが、そのサーチの結果は必ずしも自分が望んだ内容になっているとは限りません。また、例え的確なサーチ結果であっても、それが言語化(文字化)される時には、その場の感情に支配されて、歪んだ形で言語化(文字化)されることもあります。これは怖いです。

 もっとも、実際に人と三次元的に――という言い方が適切なのか分かりませんが――対面する場では、流石に若い頃に比べれば、後で後悔しない程度に議論の場で物を言うことができるようにはなりました。職場の会議の主催者側ひな壇に並び、答弁する機会もありましたし。
 但し、三次元会議の場合、答えるまで取りあえず相手は待ってくれます。最悪の場合、「後日きちんと回答します」の技も使えます。
 ところがTwitterの場合、考えている間にどんどん議論は進んでいってしまうのですね。議論が白熱すると、私考えてるの、ちょっと待って!と言う隙もありません。
 ついでに、1投稿につき140字までしか投稿できないのも、だいぶ慣れましたが、それでも自分が言いたいことのせめてエッセンスだけでも伝えられたのか?ともどかしい時はあります。まあ、あまり長々と書き過ぎると途中で飽きられる怖れもありますが:-p。

 これは余談ですが、ある時、私が事実の確認不足なまま不用意に呟いた一言に、フォロワーさんからかなり強く突っ込まれたことがありました。しかし、私の方で、相手からの重要なリプライを受信から取りこぼし、それを読まないままトンチンカンな返事をして火に油を注いでしまったのです。
 こちらからしてみれば、何で相手がいつまでも食いついてくるのかが分からなくて、私そんなに悪いことした?と思っていたのですが、後から調べた所、リアルタイムで使用していたTwitterのクライアントツールではそのリプライが取りこぼされていたのでした。後から別のクライアントツールでその未読のリプライを発見し、冷や汗をかいたものです。
 以来、自分のPCではTwitterの公式Webとクライアントツールを両方立ち上げて(場合によってはiPodも併用)、リプライやRTのチェックに取りこぼしが生じないようにしています。

 閑話休題。
 恐らく、自分の場合、ツイートで議論するよりは、ブログの方が向いているのだと思います。例え最近月1回程度しか更新しないブログであったとしても、まとまった考えを述べるにはやはりTwitterよりブログ、と考えています。
 Twitterには、自分の考えを1センテンスずつ140字以内に区切って連続投稿している事例も多く見かけますが、個人的には極力それはやりたくありません。どうしても必要な場合は承前としてURLを引用しています。これはあくまで好みの問題であり、その手法がダメと言っているわけではありません。
 よく、「頻繁に更新できないので」「当初想定していたテーマで書けなくなったので」だからブログを止めます、という律儀な人がいますが、このブログスペースを残してあるのはそういう理由からです。

 もちろん、Twitterで「議論」ではない会話や、リプライ返しをするのは割と嫌いではないので、Twitterも止める気はありません。
 ついでに、Twitterでの議論参加スキルの向上もまだ諦めていないので、自分の知識レベルが追いつく範囲の気になる議論がTLに発生したら、多分食いつくと思います。このブログをお読みの方でフォロワーな方がいらっしゃいましたら、その際には容赦ないやり取りをお願いいたします。

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2010.01.01

2010年

 確かそういうタイトルの映画があった気がしますが。新年明けましておめでとうございます。
 大晦日は前日にお風呂の給湯機が壊れ当日朝から修繕の人をお願いした上、婚家への帰省予定があるというのに無謀にも冬コミ行きを強行。ピンポイントでスペースを巡回し1時間で買い物を完了しました。やればできるもんだ。
 そして紅白で永ちゃんを見るなどしているうちに「2010年」を迎え、年明けはテレビの向こうの国技館にいるさだまさし様とともに過ごしました。
 何となく、あまりテンションの上がらない新年です。正月休みがカレンダー通り、しかも月曜から仕事始めという楽しい状況なので、心身のペースを崩したら大変だ、という意識を働かせた結果、あまり新年気分になれずにいる状態です。
 でも、婚家でお節やお雑煮をいただいたり、女衆で台所に立ったりしているうち、だいぶそれらしい心持ちになってきています。夕方親戚衆が来て久々に話がはずめば、これで完璧にお正月は完成です。
 何はともあれ、皆様、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

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2009.12.30

2009年年の暮れ、私が望むものは……。

 あっという間に2009年も暮れようとしております。
 年頭に「夢25個」とか言っていたような気がしますが、あまりにも理想が実現できていない状況なので、どれが叶ったとか叶ってないとかを声高に言うのは止めておきます。あ、残業は少しだけ減ったかな。あと、荒廃していたベランダでは唯一、スイートバジルの鉢植えが細々と生きています。部屋は11月に新しいテレビを友人に譲ってもらった時に頑張って一部片付けましたが、1ヶ月経ってまた物が増えつつあります。『レ・ミゼラブル』の原作本は買ったまま積んである状態です。
 ……やはり情けないので、これ以上書くのはやめておくことにします。

 叶うかどうかわからない夢よりも、今、最も現実的に真剣に自分が手に入れたいと望んでいるのは、
「心の病を抱えた人を適切に、できれば回復に向けてサポートするための、患者の身近にいる者のケーススタディができるだけたくさん欲しい」
ということです。
 心の病の治療薬はたくさんあり、専門の病院も存在します。しかし、心を収めている肉体という器の質は1人1人違うので、ある人に効いた薬が別の人に必ず効くとは限りません。また、人間が日々生きるということはすなわち「心を使う」ことであり、それにより心に何らかの負担が確実にかかります。その負担のかかり方も患者の数だけあると思います。
 「患者の数だけある」と書きましたが、それはすなわち、患者の身近にいる人間の数もそれだけいて、患者を取り巻く環境のバリエーションもそれだけ存在する、ということです。
 もちろん、症状の改善・回復は結局は患者本人の健康状態、性格、色々なものが鍵になるわけですし、身近な者が心を砕いてもそれが100%報われることを期待してはいけないと思います。患者は身近な者に気を遣うより、少しでも治療に前向きになって欲しいというのも本音です。
 それでも、身近な者(家族に限らず、職場や隣人、友達も含む。当然、どんなに身近でも、その者の存在自体が根本的な原因・病巣になっている場合を除く。)によるサポートは、やはりどうしても欠かせないものであると思うのです。何だか、患者の身近な者も巻き込んだサポート体制という物が、病院からも、公からも放ったらかしにされている気がしてなりません。そりゃ患者本人も含めてそれぞれ「個」の生活があるわけで、手厚いサポートというのは難しいのかも知れませんし、一番身近な人間が最大の病巣になっている場合もあるのでしょうけれど、もうちょっと闘病プロセスのケーススタディや克服後のケアに関するヘルプとか、そういう情報があれば良いのですが。できれば、患者やその身内本人ではなく、医師や看護師、あるいは第三者の視点で私情を入れず、具体的かつクールに記録されたもの。
 と、書いたところで思い立って、図書館屋の端くれらしくCiNiiで検索すると、医中誌でいくつかサポート、ケア関係の興味深そうな文献が引っかかります。これらの原報をいくつか読めば、少しは知識が厚くなるのかも知れません。もっと原報入手の敷居が低ければ言うことがないのですが。
 以上、私は医学系の人間ではないので、言葉の使い方が厳密さに欠けていたら申し訳ありません。
 多分、このエントリが今月2個目にして今年最後の投稿になるかと思います。皆様、よいお年をお迎えください。

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2009.12.11

とろ、何とかならないか?

 最近精神的に物事への感動が薄くなりがちな上、身体は肩痛に悩まされることが多く、ただでさえブログの更新が滞り気味なのに、それに拍車がかかっています。もっとも肩痛については指圧等の加療を受けているので、だいぶ軽快になってきました。また、日帰り人間ドックも受けてきましたが、ややメタボ気味なことを除いては内臓には異常はないようです。じゃあ、この感動の薄さの原因は一体何なんだろう?と思うと、そういうのを検出できない西洋医学って不思議だなあ、と思って見たり。

 しかし、感情も感動も薄くなっている筈なのに、何故かこの歌が心に沁みて沁みて沁みまくり、耳について離れてくれません。

【ニコニコ動画】【鏡音リン】中島みゆき『とろ』【カバー】

 歌詞のとおり、本当に、今の自分の仕事の処理速度は自分の理想では全くなく、何とかならないか?と考え考え仕事しているうちに日が暮れていく昨今です。
 そして毎日考えるけど、結局は上の映像のトロのように行き当たりばったりに眠ってしまうのですね。ちなみに「とろ」(Too slow)は中島みゆきさんが幼き日、そう呼ばれて育ったとか。うぅ、未だに自分、脱却できないんですが。どうも中身のない記事で申し訳ありません。

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2009.11.01

たかが4コマ漫画、されど。

 お久しぶりです。10月は全くブログを書かないまま11月になってしまいました。
 最近かなり精神が停滞気味です。逃げたい現実は多すぎるくらい多いですし、Twitterの図書館クラスタは現場事情に関する知識を最新にアップデートしていないと絡めませんし、U40も遠くから見守るだけでしたし、歯医者で大きい虫歯を治療中に虫歯があと2本発見されて当分通わないといけないことが確定しましたし(長くてすみません……)。

 こういう時の自分は、何か家事などをしている間は良いのですが、ふとした日常の隙間に脈絡のない厭世観に囚われてしまう傾向があります。そこから脱出する方法として、大体次の手段に走っています。

  1. 観劇に出向く→たっぷり半日は時間が必要。資金もそれなりに必要。
  2. 何か甘い物を食べる→手軽だがカロリーの関係で無制限摂取は不可。
  3. ブログやTwitterに何か書く→携帯電話またはWeb接続端末さえあれば可能。
  4. 4コマ漫画を読む→雑誌代・単行本代はかかるが手軽に家の中でできる。

 異論はあるかも知れませんが自分の中でのお手軽度は4>3>2>1の順番となります。1は家ではできませんが2~4は可能。2は確実に体重増加に貢献しますが(加齢により身体の代謝が落ちているので)、3、4は少なくともノーカロリー。また、3は頭を使いますが4は使わずとも可。ポイントは「4コマ漫画」であり、ストーリー物、例えば士郎正宗作品のように欄外にまで細々描き込まれているものではないという所にあります。あれはあれで面白いですが。
 但し、自分が単行本まで買って読む作家はみずしな孝之、小坂俊史、ひらのあゆ、樹るう、といったラインナップですが、前のお二人はともかく後のお二人はどちらかと言えば「ストーリー4コマ」的な作品の方を得意とされています。もちろん4コマの文法を比較的守っている作品も好きなのですが、そうでない作品も好きなわけで、そう言う人間が本当はあまり大きい声で「4コマ漫画が好き」とはあまり言ってはいけないのかも知れませんが。でも「好き」と言わせていただきます。

 ということで、上記の作家さん方の中では、樹るう『わたしのお嬢様』(1巻2巻3巻)に最近癒されています。「なんちゃってヴィクトリアン」と言いつつ19世紀イギリスの空気をしっかり取り込み料理していて、ギャグとシリアスのバランスが取れていて読み応えがあります。Amazonのレビュー(上のリンクはbk1ですが(汗))で「日曜にやっていた名作アニメを4コマホームコメディにしたような」という評価があるように、安心して読めますし。それなりに影を引きずって生きているキャラ達の描写に悪意がないのが上手い、と思います。
 この方の作品では『ポヨポヨ観察日記』や『そんな2人のMyホーム』(1巻2巻)もキャラが立っていて可愛くて、お話も面白いです。
 ちなみに一応図書館系ブログらしいことも書いておきますと、『わたしの―』と『そんな―』にはちょっとだけ図書館も登場します。前者は3巻に、主人公の思い人が通う大学の図書館が登場。館内描写等は背景として出てくるだけなので調べてませんが、恐らく「なんちゃって」だと思われます(^_^;)。後者は1巻に、主人公の舞ちゃんが公共図書館らしき場所のカウンターで、エプロン姿の司書に「忍者文字」についての本のレファレンスを依頼する場面が出てきました。多分作者さんの日常に図書館の存在が割と自然に溶け込んでいるのだろう、と思わせてくれる雰囲気で、割と好感が持てる場面でした。

 というわけで精神的リハビリ手段その3にお付き合いいただきありがとうございました。この次はリハビリではなく普通に書きたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

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2009.07.29

突然、夏休み中。

 別にわざわざ宣言する必要もないかも知れませんが、一応業務連絡的に書いておきます。

 ただいま、夏休み中です。正確には今日は先日の休日出勤の代休で、明日から来週月曜日までお休みします。
 元々お盆は仕事で休めない予定だったのですが、更に職場で今年ちょっと役員を務めている労働組合がかなり大変なことになってしまった関係で、8~9月の予定が全く読めなくなったため、先週急遽、えい!取ってしまえ!と決めてしまいました。
 というわけで、こんなことになるとは思わなかったので土日は家族抜きで観劇の予定を突っ込んでしまった上、どこか旅の宿を取るなどもしておらず、色々真っ白なまま休みに突入してしまったわけですが、それはともかく、今週は若干連絡が取りづらくなるかも知れませんのでリアル知り合いはよろしくご了承ください。

 これだけでは何なので。テレビを午前中からぼんやり付けっぱなしにしていたら、昔の月9ドラマっぽい何かが始まりました。『ビーチボーイズ』って観てはいなかったけどタイトルだけは聞いたことがあります。調べたら本放送は丁度12年前だったようで。反町隆史の歌い方はやっぱり電池切れっぽいよな、そういや彼の『利家とまつ』の信長のすんばらしい演技が目眩ましになって、同じドラマに出ていた佐々成政こと山口さんの存在を完全スルーしちゃったんだよな、とか、この頃の広末涼子はふわふわきらきらして実に可愛かったんだなあ、とか、そういうことをつらつらと考えながらぼうっとテレビを眺めております。たまにはこんな日も良いです。

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2009.07.04

で、「10.19」って結局何が起きたの?

 一度Twitter界隈にも書いた話ですがこちらにも。

 Wikipediaで偶々見つけた、「10.19」の解説文のお話。

 「10.19」が日本プロ野球史上重要な事件らしいことも、ファンには思い入れの深い試合だったことも伝わってくるんですが、結局この試合の結果何が起きたのかが非常に分かりづらい解説です。

 ちなみにWikipediaの「10.19」文頭部分に記された概略。論文で言えばアブストラクト。

10.19(じってんいちきゅう)は、1988年10月19日に川崎球場で行われた日本プロ野球のロッテオリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ、以下「ロッテ」)対近鉄バファローズ(のちの大阪近鉄バファローズ、以下「近鉄」)第25・26回戦(ダブルヘッダー)を指す。「10.19の悲劇」とも称される。

日本プロ野球史上、最もドラマチックだった日のひとつであり、かつ昭和時代のプロ野球最後の名勝負としても長く記憶されている。

 ……ロッテvs近鉄の試合の結果はどうなって、その結果何が起きたのか何も書いていません。

 一方、同じくスポーツ界でよく知られる「ドーハの悲劇」の解説の文頭部分。

ドーハの悲劇(ドーハのひげき)は、1993年10月28日、カタールのドーハで行われた日本代表とイラク代表のサッカーの国際試合(1994年アメリカワールドカップアジア地区最終予選の日本代表最終戦)において、試合終了間際のロスタイムにイラク代表の同点ゴールが入り、日本の予選敗退が決まった事を指す日本での通称である。

 「いつ」「どこで」「誰が」「何を」して「その結果」どうなったかが、この字数によくまとまっています。

 「10.19」の記事を読むと、ダブルヘッダー第1試合終了から第2試合開始まで僅か23分しかなかったことも、当時の近鉄とロッテがともに名将、名守備、名打者、そして名投手を抱えていたことも、よーくわかります。

 しかし、「10.19の悲劇」が日本プロ野球史上に残る名勝負であった、という事実と一緒に、
「近鉄がロッテとのダブルヘッダー2試合を制すれば逆転リーグ優勝の可能性があったが、第2試合において延長10回の接戦の末引き分けとなりリーグ優勝を逃した。」
という事実をどうして併記できないのでしょうか。
 もっとも、「10.19」は実際にはその試合を見たことがなく(野球に興味薄)、「ドーハの悲劇」はテレビでその場面を見たことがあったので(開幕から数年間はJリーグにも興味があった)、それにより後者への理解度が上がったのが大きいとは思いますが。

 せっかく「10.19」の試合の経過や前後のエピソードなどがとても詳細に記述されているのに、アブストラクトのまずさにより、この事象に関する予備知識のない者の脳内に「?」を発生させまくってしまうという残念な記事です。事象に対する過剰な思い入れ故の饒舌さは時に真実の伝達に大きい支障を及ぼすということが良く分かる事例でもあります。

 以下は全くの余談ですが、自分の場合、本業でよくシステムのマニュアルに目を通す機会があります。そういうマニュアルで、メーカ公式マニュアルであるにも関わらず、作業の詳細は記されているのに、
「その作業はどのようなシステム上の権限を持った人ができるのか?」
「その作業により最終的にどんな結果が得られるのか?」
「その作業の後、システム上でどんなアフターフォローが必要か?」
についての記述が不足しているか全くないものというのがあります。
 逆に記述が冗長すぎて困るものもたまにあり。そういうマニュアルを面倒がって「読みながら」作業をしたりすると、最後に極めて重大な結末――例えば「この作業を行った結果、○○ができなくなります」――が書いてあり、取り返しのつかない(あるいは取り返しがとっても面倒な)ことをした!と悲鳴を上げたりするのです。

 今回のWikipediaの記述を見て、何故かその経験を思い出してしまいました。いえ、業務マニュアルを作成する上で「事象に対する過剰な思い入れ」もへったくれもないと思うので、両者に何の関係もない筈なのですが。共通点は、キーワードが「残念」というだけで。

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2009.05.16

ポメラにあんになりました

 本日、新型インフルエンザの国内感染者発生を受けて、国内対策が第2段階(国内発生早期)に移行しました。
 今回は神戸での感染ですが、こうなったら東京、そしてつくばの地にいつウィルスがやってきても何の不思議もありません。首相官邸のサイトに掲載されている「確認事項Q&A」(新型インフルエンザ対策本部幹事会)のPDFファイルを読みつつ、せめて人混みへの外出時のマスクと、帰宅時のうがい、手洗いは真面目に実践したいと思いますが、既に連休明けから何度かうっかりマスク無しで上京して、人混みに揉まれています。感染した場合は、それはもう、粛々と行政措置に従うしかなさそうです。

 さて、唐突に、上記とは全く関係のない本題に入りますと、先週、「ポメラ」を買いました(写真参照)。

Image256s キーピッチは意外に広く、女性の手なら十分な感じです。
 日本語変換にATOKが採用されているのは、私的に高ポイント。流石にPCと同じレベルの語彙というわけには行かないものの、日常語は十分フォローされています。
 また、ケースに入れても文庫本サイズなので、持ち運びも気軽。厚さは京極夏彦の文庫本位ありますけど(いや、作品によってはポメラの方が薄いかも(^_^;;))。
 単4乾電池2個で動作するのも良し。電源投入後の起動も速いです。USB端子やminiSDでのデータのやり取り等、PCとのデータのやり取りに当然のように配慮しつつ、ひたすら「文房具」として作り込まれているのには好感が持てます。
 よく、ポメラがネットワークに接続できれば良いのに、という話も聞きますが、ネットワークアダプタを備えていた場合、セキュリティに配慮すべき機器として、職場での利用に届け出が必要になったりして大変なので、これはスタンドアロンのみの利用でちょうどよろしいのではないかと思います。ただし、miniSDというリムーバブルメディアが使用可能である以上、ポメラで不用意に機密情報を持ち出さないような注意は、もちろん必要でしょう。

 私は、ブログのネタは出先でメモツールに綴り、後からネットにアップするということをしています。このブログの記事はまだポメラで書く機会はありませんが、別のブログの記事はポメラとPCの間でminiSDを往復させつつ、自宅や電車の中で数日間かけて推敲しつつ書き上げました。推敲してこの程度の文章か、という文句はスルーします(^_^;)。
 これまで使ってきたメモツールには、紙のノート、携帯電話、ノートPC、そしてiPod touchのメモ帳機能といったものがありましたが、今後しばらくはこのポメラを使うことになりそうです。

 ところでこのポメラを新宿西口のヨドバシで購入したのは5月9日なんですが、その3日後に限定色ポメラの発売が発表されました。
 ついでに今週になり専用ケースDMC1(上の写真のケースがそれ)を購入したところ、来週月曜にはもう少し安価なインナーポケット付きケース2種類が新発売されるそうで。
 ……何か色々と思いきり外したタイミングで買っているような気もしますが、(ジョン・カビラ風に)いいんです!だって本体はトワイライトオレンジの温かみが気に入ってそれにしたわけですし。でも限定色のレーシングシルバーの古き良き時代のメカっぽさにも多少惹かれることは隠しません。
 それに新発売ケースにはポストイットが付いてませんし。ポストイットの新製品が出たら使おうが使うまいが試し買いせずにはいられない程のポストイット好きとしては、このケースが良いのです。ファスナーではなく平ゴムで蓋を止めるようになっているのも好き。ゴムが伸びた時が面倒そうではありますが。

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2009.05.15

この牛丼、賞味期限から4年5ヶ月。

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 先週、連休中に更新した記事で「賞味期限から4年4ヶ月経過した冷凍牛丼の試食にチャレンジ」した、と書きましたが、あれは間違いでした。
 正しくは、「4年5ヶ月」です。左の写真をご覧いただくと分かるのですが、 「賞味期限」(消費期限ではなく)の欄には「04.12.07」としっかり書いてあります。ちなみに「製造日付」は「03.12.09」。更に申しますれば、このブログを開設したのは2004年3月7日。牛丼も作られた当時にはまさか自分より若いブログに書かれるとは思いも寄らなかったことでしょう。


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 そしてお鍋で温められる牛丼パック達。

 何故この牛丼がこんなにも我が家の冷凍庫に放置されたのか?きっかけは、2004年2月に、前年米国でBSEが発生し、米国産牛肉の輸入が禁止され、結果吉野家の牛肉在庫がなくなったのを受け、牛丼等の販売が自粛された(参考:Wikipedia)ことでした。
 たまたま生協の宅配で購って自宅の冷凍庫にしまわれていた2パックの牛丼を見つめながら考えた、当時の心境を再現すると、大体以下のとおりです。
 我が家のこの吉野家の牛丼が消費されたら当分市井ではお目にかかれなくなる。かといって、帯広式の豚丼の旨さを知っている元北海道民としては、あのつゆだくっぽい吉野家の豚丼は許せない。では、もったいないからしばらくこの牛丼は食べずに置こう。どうしても我慢できず食べたくなったら、吉牛の栄光の日々を偲びながらしみじみと食べよう。

 ……と思って、冷凍庫への保管を始めたわけです。
 しかし、誤算だったのは、意外と牛丼を食べずとも我慢できてしまったということでした。牛丼をいただくなら他のお店でもいただけますし、コンビニでも牛丼弁当は売っております。やがて薄情な人間の脳からは吉野家の牛丼の味の記憶も薄れ、冷凍庫内のパックの存在すら去りつつありました。


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 ところが私は忘れていても、連れ合いは存在をしっかり覚えていたようで、今年5月、連れ合いから、私が恒常的にサボっている冷蔵庫・冷凍庫の中身整理の必要性を突っ込まれた際に、
「冷凍庫の吉野家の牛丼も何とかしないと」
という発言があり、記憶の封印が解かれたのでした。
 と言うわけで、遅く起きた憲法記念日の朝、台所にはブランチとして牛丼を温め始める私の姿がありました。

 温め終わったパックを開封し、ごはんに盛りつけ。七味は何となく振ってみました。そしてこわごわと試食。

 どうかな……???……!!……!!!!

 妙な匂いもせず、お肉やタマネギの歯触りも良く、意外と美味しく食べられるではありませんか。そうか、そう言えば吉野家の牛丼ってこんな味だったっけな、と急速に記憶がよみがえってきて、懐かしくいただくことができました。

 実は食後も半日ぐらいは、何か胃腸に影響が及ぶんじゃないか?と気にしていたのですが、全くそのようなこともありませんでした。
 今は、長年ひっそり連れ添ってきた仲間が去っていったような、そんな心持ちでいます。でも、やっと食べられて良かったという気持ちの方が強いです。
 もっとも、まだ冷凍庫には、永年保存状態になっている食べ物やら氷枕やらがいっぱいで、それらを片付けるのは追ってこれからなのですが(^_^;;)。

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2009.05.10

未来予測の限界?

未来予測の限界?
 JR御茶ノ水駅に来ると、いつもこのアーチが気になります。
 いくら昔の日本人が小柄だったとは言え、低いにも程があるんですが。これを設計した人は異人さんを見たことがなかったのか?日本人体格向上の未来予測はできなかったのか?などと、つい言われなき邪推に走ってみたりしてしまいます。
 ……と思っていたら、どうもJR御茶ノ水駅は地形の都合からホーム上の構造物の融通が大変やりづらいらしく、そのためあのように最小限の空間しか開いていない、と云うことのようです。意外に普通の理由でした。

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