カテゴリー「図書館」の記事

2015.11.02

海老名市立中央図書館に行ってきました(後篇)

(前篇のあらすじ)
海老名市立中央図書館に出向いた筆者一行。撮影禁止の館内でスケッチとメモ取りで観察を試みるも、つい噂のオモシロ分類やガラスの向こうの郷土資料に目が行き……。

ということで、海老名市立中央図書館レポートの後篇にまいります。

図書館3Fでは割と疲れる出来事が多かったですが、気を取り直して2Fへ向かうことにしました。

2Fを見渡したところ、先程『魔都ノート』の棚番として検索機から示された「729242」に近そうな棚番があることに気づきました。探したところ、ありました!……天井近くの書架に。『魔都ノート』の分類は「アート/演劇・舞踊/演劇/演劇一般」なのですが、下の棚にはファッションフォト関係の資料が並んでいました。多分、天井にある本と下にある本とでは排架の流れが異なっているので、天井の本は館内マップでは適切にレコメンドできなかったものと思われます。

但し、この棚の天井は比較的低いので、キックステップなどの踏み台に乗れば普通に手が届く高さです。なお、下図のスケッチでは「720242」が大きく記載されていますが、実際には上の棚板にしっかり「729242」が表示されています。

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ここで、我々一行(と言ってもたった2人ですが)はいよいよ疲れ切ったので、2F中央の吹き抜け回廊になっているエリアで休憩がてら定点観測することにしました。

吹き抜け部分にある書架には、「食卓のレシピ」という棚見出しが付けられ、「食」関係の資料が排架されていました(下図参照)。図では小さくなってしまいましたが、棚見出しには必ず英語と中国語が併記されていました。このような12段の書架が、横に11連、回廊にぐるりと並んでいる様子はかなり壮観です。

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他の書架でも同様ですが、各棚には「ライフスタイル分類」の見出し板も付けられています。
調味料に関する本で、塩や酢については「塩 084」や「酢 085」といった分類が用意されているのに砂糖には分類がなく、『砂糖の歴史』(ISBN: 9784309225449)や『砂糖の事典』(ISBN: 9784490107630)といった資料が「調味料・保存食 083」の分類に収められていたりするのは、日本人の砂糖離れを如実に示しているのだろうか?等と考えながらじっくり観察しました。

「健康ごはん 057」と「その他健康ごはん 067」の違いはどこにあるのか?や、「スープ 024」と別に「野菜スープ 071」の分類が立てられているのは何故か?など、ちょっと系統的に理解できない要素は数々あります。これは確かにTRCが、資料を正しい場所に返却できない、とキレた意味が分かるわ、と思いました。

しかし、各資料の裏表紙には、下図のように排架分類ラベルが貼られていました。このラベルと背ラベルに従えば、恐らくどんなに慣れていない素人アルバイトスタッフであっても、ある程度正しい場所に排架することは可能であると思われます。ただその代わり、スタッフが排架した本は必ずしも著者順に並んでいなかったりもしますが、そこは誤差の範囲内なのだろうと想像。こういう所はCCC、流石本屋さんです。

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また、同じスタッフが何度もこまごまと本を抱えて目の前の書架に詣でており、何でだろう?と目の端で思っていましたが、ここで図書館退屈男さんが「ここのスタッフ、排架にブックトラックを使っていない!」と気づきました。理由は尋ねたわけではありませんが、レファレンスカウンターにはブックトラックが置かれていたので、恐らく、ブックトラックによる騒音や開架スペースの占拠を回避するための配慮であろうと推察されます。もちろん、普通の公共図書館においても、利用者には十二分に配慮しながら排架作業を行っている筈ですが、これもまた本屋さんならではの工夫なのかも知れません。

(2015.11.3追記)
上記の「本屋ならではの工夫」、Twitterで友人とやり取りしていて少々疑問が生じましたので、以下、Twitterで募った投票を貼っておきます。少し言い訳をしますと、退屈男さんと自分は公共図書館勤務ではなく、あくまで利用者としての、あるいはン十年前の図書館実習での記憶の寄せ集めで上記を書いたので、ちょっと認識が甘いかもです。

(2015.11.6追記)
投票結果の考察について、Twitterで呟きましたので、貼っておきます。

(追記ここまで)

吹き抜けでふと上を見上げると、3F部分にぐるりと書架が置かれていました。数えると、何と6段書架×22連。全ての資料の背表紙を確認できたわけではありませんが、主に郷土資料、灰色文献類が排架されている模様です。ちなみにこの書架には、また汚い絵で恐縮ですが、下図のとおり、両端がフェンスで塞がれており、開架スペースから直接立ち入ることはできません。中間に2ヶ所出入口があるので、必要な場合はそこから出入りするようです。
あまり言いたくはないのですが、「また郷土資料のモニュメント化か……」と思いました。

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何だかんだで1時間以上は休憩しながら定点観測していたでしょうか。
気づいたらとっぷりと日が暮れていたので、最後に少しだけ1Fを見学して帰ることにしました。

1Fの書店スペースで扱っている本は、公共施設なので当たり前と言えば当たり前ですが、ゴシップ系の内容のものや、R18なグラビアが載っているような雑誌は置いていませんでした。たまに興味がある内容や贔屓の役者さんが載っていたら買う演劇雑誌があれば買っていこうと少し思いましたが、その雑誌の販売はなく残念でした。

また、前篇の最初に、図書コーナーには図書館蔵書書架スペースと書店陳列書架スペースが共存している、と書きましたが、これは本当に同じ室内の入口から向かって左が書店の書架、右が図書館の書架、と言った具合になっていたので、「棚見出しが白地なのは書店、黒地は図書館」と図書館退屈男さんに教わるまではかなり当惑してしまいました。なお、左が書店、右が図書館、のサインは床にもきちんと掲示されている上、販売書籍購入と蔵書貸出は共通セルフレジで行うようになっているので、万一誰かが図書館蔵書と間違えて売り物の本を持ち出したとしても、恥ずかしい思いをすることは恐らくないと思います。

最後に感想です。

海老名市立中央図書館、図書館員の視点で考えると、「ライフスタイル分類」は不可思議過ぎますし、この分類を系統的に理解することは、相当難しいです。それ故なのかは分かりませんが、分類間違いも(修正は進められているという噂は聞きますが)あまりにオモシロすぎます。

また、郷土資料を飾りやモニュメントとして文字通り棚上げする姿勢も、地域の公共図書館の役割を半分以上放棄したのと同然という印象を与え、許し難いものがあります。
加えて、参考資料(二次資料)と一般資料(一次資料)が同じ並びで混架されているので、系統立てて資料調査を行おうとすると少々苦しそうです。

しかし、あくまで「本を借りて読むだけ」の利用者の視点で考えると、実際のところ、ライフスタイル分類は当初想像していたほど使いにくいものではありません。中では美味しいコーヒーも飲めますし、気持ちの良い空間と座り心地の良い椅子で心置きなく、ある者はくつろぎ、ある者は自習に励むことができます。それだけでなく、図書館に借りに来て見つからなかった本は、絶版書でさえなければその場で購入または注文することができます。

日本の社会において、
「本を借りて読むだけでなく、時には調査研究の場となり、時には起業の場ともなる公共図書館」
「司書がその地域のニーズを汲み取り選書し、棚作りを行う公共図書館」
という図書館に対する認識は初めからなく、今後もそうした認識が広く理解される可能性は薄いのではないか?と若干心が折れそうになっています。否、そこでやはり何らかの抵抗は必要である、でもこのまま「ツタヤ図書館」が成功例、好例として人々の記憶に残り、浸透してしまったら、それを覆すのはかなり大変なのではないか?と、あまり希望的観測が抱けない心境に陥っています。

なお、郷土資料の軽視については、地域ごとの特性や図書館のカラーというのは、均質化されたブランドや文化の浸透こそが真の狙いであるCCCに取っては、実は邪魔者に過ぎないのではないか?という説を図書館退屈男さんが提唱されていました。

これについては強く賛同するところです。日本のどこに出かけても同じ物が手に入るのはありがたいことである一方で、同じ物しか手に入らず、手に入れることでそこそこの満足を得てしまい、それ以上の物を得たいという熱量が下がるのは、日々の生活はともかく文化の向上という面においては果たしてどうなのでしょうか。この件については、いずれ提唱した本人の言葉でも語られることを期待しています。

(2015.11.6追記)
図書館退屈男さんのブログに記事が掲載されました。
海老名市立中央図書館に行ってきました - 図書館退屈男

全国どこでも図書館,書店,カフェを組み合わせた図書館ができる.それ自体は否定しない.だが,そこで得られる情報資源は均質なものになるだろう.資料の質とその運用を全国で均質にするには,特殊な資料群を切り捨てるのもやむなしなのか.

の一文が重いです。「全国どこでも」同じ本や文化を手に入れられるようにすることと、「全国どこでも」はお目に掛かれない本を視界から消し去り、地域固有の文化の色を薄めることとは、本来はどちらか一方を立てればもう一方が立たない、という種類のものではないと思うのですが、CCCがそれを実践してしまったというのは、各地域の公共施設の運営者として望ましいやり方ではないのではないか?疑問がずっと拭えずにいます。

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海老名市立中央図書館に行ってきました(前篇)

2015年11月1日、突如思い立って、図書館界隈だけでなくマスコミ界隈でも話題になっている、あの海老名市立中央図書館に、図書館退屈男さんとともに出かけてきました。
つくばから圏央道経由で約2時間。圏央道を行けば少しは近い筈、と思っていましたが、それでも少々遠かったです(^_^;)。
さて、海老名の図書館は館内撮影禁止とされていますので、現地で撮影した写真は下の玄関風景のみでした。

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以下は記憶と、現地でのスケッチとメモに基づく館内レポートです。
地下部1階、地上部4階建ての建物ですが、4Fの児童室には行っていません。行かなかった理由は特にありませんが、もし行っていてもメモ取りなどしていたのでただの怪しい人になっていたかと思われます。
館内は、1Fがスタバ、雑誌販売コーナー、図書コーナー(図書館蔵書書架と書店陳列書架の2つのスペースあり)、蔦屋書店カウンター、図書館カウンターでした。
スタバは予想通り混み合っており、スタバ席以外の閲覧机もほぼ満杯でした。
取りあえずB1Fに降りることにしました。
1F雑誌販売コーナー近くの階段を降りてすぐ左側の書架をスケッチしたのが下図です。最上部2段はダミーで、全集物がその下3段辺りに収められています。図の例は漢文学ですが、他の国の文学の全集物も同じ様な感じで収められていました。

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B1Fは文学関係の書架でした。ここも閲覧机はほぼ満席。
神林長平は雪風シリーズが『グッドラック』しかないのか、でも『魂の駆動体』はちゃんとあるな。ああ、栗本薫も定番っぽいのは置いてあるな。等とざっと眺めていたところ、下図のような検索機が何カ所かの書架に設置されているのを見つけたので、試しに使ってみることにしました。

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検索機はiPadを使用したタッチパネル形式のもので、画面メニューは下図のような内容でした。

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図書館蔵書と販売書籍を両方検索できるのか、と思いながら、取り急ぎ、図書館蔵書を適当に検索してみることにしました。
適当に選んだ検索キーワードは、「著者=中島梓」。理由は、「世間的にメジャーな作家であると同時にマイナーであり、一定の需要はあるが万人受けはしないので所蔵数が限られていると思われる」から。……と言えば聞こえが良いですが、実は私がそういう位置付けの著者をほかにほとんど知らないだけです、はい。
取りあえず検索し、その中から『魔都ノート』(ISBN: 4062044021)を選び、館内マップ表示ボタンをタッチして該当資料の排架場所マップを出そうとしたところ、何と検索アプリが突然強制終了し、iPadの操作画面が表示されるではありませんか。
元の検索アプリを起動しようとしばし試みましたが起動すべきアプリが分からなかったので、仕方なく別の検索機で同じように検索~マップ表示に再チャレンジ。今度は「排架場所はスタッフまでお問い合わせください」という内容のメッセージが表示されました。致し方なく、書誌事項をプリントアウトしたのが、下図になります。

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「棚番729242? 飾ファッション??」
と疑問を覚えつつ、取りあえず上階へ向かうことにしました。
まずは3Fを散策。
通常は参考図書コーナーなど1箇所にまとめられていることの多い、辞書・事典類や、レファレンスでお馴染み、日外アソシエーツのツール類が、他の一次資料と混架されており、結構不思議な風景でした。
新聞バックナンバーの収納架の上は、本来は新聞の閲覧台として使える筈ですが、何故かそこが大型地図置き場になっており、邪魔くさいなあ、と思いつつ、NDCで言えば2類、3類辺りの書架をうろうろ。別にオモシロ分類を見つける意図はなかったのですが、「歴史・郷土/日本史/伝記/伝記」の書架に『ケネディ家の呪い』(ISBN: 4777710033)(下図参照)を発見してしまい、ビミョーな気持ちに。

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更に、CCC運営第1号館である武雄市図書館でも話題になっていた、「鍵付きのガラスケースに収められている郷土資料」をチェック。
『神奈川県史』や『海老名市史』、『海老名市史資料所在目録』『海老名郷土かるた』などもケースに収められていました。これらは鍵が掛かっているというだけで申し出れば利用は可能なようですが、モニュメント的に扱われている感じで、少々利用のハードルは高いような印象を受けました。ガラスケースの中のかるたは、下図のように各種ラベルを貼った状態で収められています。
なお、後で調べたところ、同じかるたが開架スペースにもあるようです。分類は「スポーツ」のようです。かるたは「競技」なのでまあ、スポーツなのだろうと思います。

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長くなりましたので、後篇へ続きます。

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2015.09.13

Code4Lib JAPAN Conference 2015に参加してきました

2015年9月5日(土)~6日(日)にかけて、「Code4Lib JAPAN Conference 2015」に参加してきました。
プログラムコードのひとつも書けない者ですが、システムを「私、分からない」で終わらせたくなくて、この集まりの周辺にへばりついてきました。
今回は海外(インドネシア)の方からの発表などもあり(しかも同じ方が2件発表!)、かなり発表内容が充実していたという印象です。
具体的にどんな発表があったか?については、
をご覧いただいた方が話が早いと思います。あと、雰囲気を味わって補完するなら以下のTogetterをどうぞ。

自分は昨今図書館周辺で活用されているWeb周りの技術、セマンティックウェブとかLinked open Dataとかについて、「分からない」ことが圧倒的に多い癖に、末端のお手伝いなどしている立場です。
うわあ、前提説明なしでこの用語を語られても分からないよ!話進んじゃってるよ!などと心で叫びながら現場にいただけなのですが(^_^;)、そんな人間でもプラスマイナス様々な意味で心に響いて勉強になった発表がいくつかありましたので、以下、感想として述べさせていただきます。

まず、何と言っても小林龍生さんの基調講演
編集者としてキャリアをスタートした方らしい豊かな文化的教養に根ざしながら、しっかり技術的好奇心をも満たしてくれるストーリーテラーぶりにすっかり引き込まれました。
ハイパーリンクな聖書の存在は実は知らなかったのですが、そうだよ、聖書の構成ってハイパーリンクだし、特に福音書なんて相関関係だらけじゃないか!と目から鱗が落ちまくりでした。

打ちのめされたのは、NDLの方によるNDC-LDの発表。
私、分類論の単位(司書必修)を取るのに2年かかったくらいには分類が苦手、NDCの構造を満足に理解できていないので。発表で当然のように使われる用語や概念にほとんどついていけず。
確かに図書館の実務を離れて早10年にならんとしておりますが、司書としてこれはないだろう、と猛省しました。
ただ、そんな自分でもNDC-LDはぜひともオープン化して、データとして広く使えるようにしていただきたい、と、素朴に思ったわけでして。無論NDCが抱える大人の事情は承知の上の思いです。

是住さんと小林巌生さん(小林龍生さんのご子息です)のお二方の発表を聴いて「自分でもやってみたい」と思ったのは、ウィキペディア・タウン。
「やってみたい」というのは、イベント参加者(街歩き調査&資料調査&街のページの編集を行う立場)とファシリテーター(イベントを構成し仕切る立場)のどちらも、という意味です。
ただ、実際にウィキペディア・タウンのイベントを仕切ったことのある方にお話を伺ったところ、イベントの成否は関係する社会教育機関(図書館など)との事前調整と根回しの成否に左右される面もあるようで、やはり仕切り(と、お役所の一つでもある社会教育機関への根回し)のノウハウをしっかり会得することは重要なのだろうと思いました。

残りの発表、それぞれに「こんな発想があったのか」「こんな凄いこと(面白いこと)ができるのか」とひたすら敬服していましたが、特に心に残った内容は次の3つでした。

まず、協賛団体セッションでの、田辺さんによるNext-L Enjuのお話。Twitterからの自己引用になりますが、以下のツイートにあるDOI管理モジュールの開発の件。ああ、弊社もこんな風にDOIとORCIDを紐付け活用できたら皆で幸せになれるのに。
それから、常川さんのビブリオバトルLoD。高いシステム構築技術を持った人が、趣味を実益として皆に還元しまくってくれるのはありがたいことです。ビブリオバトルを知らない人の興味を喚起するだけでなく、「バトルに使われた本」のデータも収集・提供することにより、図書館、出版社、書店にも多分貢献することになるかと思います。


そして、江草さんの発表「コードを一行も書かないでオープンソースプロジェクトに貢献する方法」にはかなり勇気づけられました。
メッセージを思い切り端折ってまとめると、「求む!Next-L Enjuプロジェクト参加者!」ということなのですが、「ユーザ側のスキルしか有していない者に、果たして何ができるのか?」についてのヒントと提案が、5分間の発表に凝縮されていたので、「私システム苦手なんですが、何かできることはないですか?」という人は必読だと思います。

ごく個人的好みとして、
「システムのいろはを熟知している人が」
「システムそのものや、システムが適用される対象・業務を熟知している相手にもそうでない相手にも言葉が届くように」
工夫された発表につい心が傾いてしまいます。
もちろんCode4Libの発表にはそういう発表だけでなく、分かりやすさは追求しないが技術的に大いに評価すべき発表も必要だと勝手に思っているので、上記のはあくまで「個人的好み」であることを強調しておきます。

最後に、1日目の夕方に開催されたエクスカーションについて。今回、イトーキ社の「SYNQA」を見学させていただくことができました。

一部の職種を除いては固定の机というのがなく、カウンター机、アドレスフリーのオフィス(3Fのイトーキさん使用エリア)。最新型の、がっつり座って仕事しても疲れなさそうな椅子。細やかな調光機能を備え、会議机上がプロジェクタ、壁全体がホワイトボードとして使える会議室。シンプルな会議室予約システム(2Fの貸し会議スペース)。机に貼られたシート式の無線LANアンテナなど、とことんすっきり、親しみやすい空間として設計された図書室(図書も買える)、カフェと繋がったお仕事空間(1F)。
多分、大学でラーニング・コモンズ等学習・自習スペースの充実を図られている方には、大いに参考になったかと思います。

私自身は、手の届くところに大量の資料や紙、文房具をがっちりキープして仕事する傾向にある(公私ともにそうなので、家族から『営巣』と命名)ので、実は最初、
「イトーキさんに就職したら、私、この3Fオフィスでは生きていけない!」
と半泣きで思いました。
しかし、後から反芻してみると、イトーキさんのオフィス、個人ロッカーが充実しているのですね。PCはノートPCを使って、退勤時にはしまえるようになっている。あと、業務資料も整理、共有して保管する専用スペースがしっかり確保されている(そして恐らく組織としての資料管理ルールのほか各自でも整理する習慣がある)。
職種にもよりますが、これ、公私の区別がきっちり付けやすい空間で、「そういうもの」として意識して習慣づければ、私のような者でも行けるかも?とほんの少しだけ光明が差しております。

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2015.04.19

図書館の「参考調査」とわたくし

こちらではすっかりご無沙汰しております。何と1年4ヶ月ぶりの更新です。

本業がちょっと多忙になったり、プライベートでごく最近身内に不幸があったりはしましたが、そのことはここの更新頻度とはあまり関係がありません。強いて言えば、
「もともとまとまりのない長文が、加齢による持久力の衰えでますますまとめられなくなって、書くのが億劫」
「ブログには記事タイトルが要るので、タイトルを考えるのが面倒」
「図書館実務を離れて久しいし、図書館周りのエピソードや知見を語るのは図書館業界最前線でこまめに情報収集と議論、発信を続けている才気煥発な若手がいっぱいいるし、そんな中で何か書いてもそちらにはかなわない」
などが更新頻度低下の理由でしょうか。

あと、個人情報に踏み込んだ日常話はFacebookやmixi(まだアカウントあり)で読者限定で書いているので、無理してこのブログに書かなくても良い、というのもあります。

これからも、誰でも見られるここに書きたくなったら書く、書きたくなければ放置、というスタンスでゆるゆると続けたいと思います。

さて、最近、以下のブログ記事を拝読しました。

誰かのことは永遠にわからない(けれども諦めたらそこで試合終了だよ) - 腐ハウスブログ

この記事を読んで抱く印象は人それぞれと思いますが、東京に生まれ、東京通勤圏(首都圏ではなくあくまで「通勤圏」)に育ち、ティーンエイジの大半を北国の政令指定都市で過ごした者としては、上の記事の書き手の方が生まれ育ったような田舎に対してはかなり別世界の感が強いです。

書き手の方の親御さんが大学を出られていて、田舎でありながら書き手の方が上級学校に進む選択肢を採ることができたのは、そのことも影響しているであろう、という記述を読み、
「そう言えばうちは両親とも高卒で就職した人達だけれど(学力よりも主に家計の事情や「女に学問は要らぬ」な事情による)、一応うちの兄弟全員大学は出してもらえた。でも、もし、進路の選択肢が限りなく少ない田舎で育てられていたとしたら、同じ道を進んでいたかは分からないな」
などと考えていました。

上の記事の内容について、Facebookで、都市圏と田舎との格差、と言うか結構な田舎しか知らないと、学業や就職に多様な選択肢が存在すること自体に気がつかない、というお話をされた方がいらして、そのお話の派生として別の方が、
「そもそも図書館環境が周囲に乏しかったので、図書館が調べ物をする場所だという概念がなかった」
というお話をされていました。

というわけで、自分がいつ、図書館がそういう調べ物、専門用語で言うと「参考調査」を行う場所だと知ったか、何十年かの記憶を遡って見ました。

……と、書くと大仰ですが、以下はただの思い出話で、全くためにならない内容ですので、お付き合いいただける方だけどうぞ。

その用語を知ったのは、明らかに、図書館情報学というものを教える大学に入学してからのことです。
幼児期に東京生活をしていたお蔭で「図書館」という場がどういうものかは知っていたのですが、小学校時代は東京通勤圏とは言え関東の片田舎で学校図書室にしかご縁なし。政令指定都市に転居後通った中学校は校内暴力激しい時代で開かずの図書室に落胆。徒歩圏に公共図書館はありませんでした。そして高校時代は学校図書室を専ら友達とのお喋りと、当時趣味にしていたマンガのペン入れに使用するという不良利用者状態。

以上のとおり、図書館へのご縁が薄かったこともあり、
「本が置いてあってそれらを借りることができる所」
「探している本が図書館のどこにあるか聞けば教えてくれる所」
という概念しか抱いていませんでした。
また、周囲にそこまで細かく「図書館の仕事」について教えてくれる人もおらず、それに自分自身、司書という職業を強く目指していたというわけでもありませんでした。

図書館情報学とか言う勉強をする大学に入ってから、図書館でそういう調査を業務として行っていることを初めて知りました。
更に、大学の授業で、参考図書とやらを使って、調査依頼事項の回答を探したり文献を特定したりするという演習の内容にすっかり魅せられ、
「ああ、図書館では、実はこんなに面白い業務がなされていたのか!そして、こういう知的調査のために図書館を使う利用者というのが存在していたのか!」
と、いそいそと取り組んでいました。

手に職を付けておけ、という親の勧めに従い、
「他の大学も受からなかったし、まあ、浪人するよりは」
と、やや消極的に入学した図書館学校でしたが、もしそういう面白い仕事ができるなら、図書館という場で是非働いてみたい、と思ったポイントの1つになったと言っても過言ではありません。……まあ、2015年現在で図書館業務には就いていないわけですが、それはさておき。

少しだけ補足しますと、当時から「参考調査」には「レファレンス」という呼び名が存在していましたが、授業の正式名称が「参考調査論」であったこともあり、何となく「参考調査」の方が格好いいと思っていました。

また、その時代ももちろん「参考図書」だけでなく「データベース」というものが存在していました。しかし、学生が使えるCD-ROMやオンライン検索データベースはごく限られていたので、図書資料を使うことを前提とした調査課題がメインでした。

もし図書館のことを勉強する学校に進学しなければ、
「図書館を構成する重要な業務の1つに参考調査(レファレンス)というものが存在する。また、その調査を依頼する利用者の需要というものが存在する」
という事実を自分が知る時期はもっと遅かったように思います。あるいは永久に知る機会を得られなかったかも知れません。

ただ、今にして思えば、
「『何とかは○○である』という事実の典拠は本に書いてある」
という発想自体は、図書館とは無関係に身に付いていたように思います。

子供の頃、自宅には、上のきょうだいが買ってもらった子供向けの図鑑や百科事典がいくつもありました。
子供の頃から十代半ばまで、何かと上のきょうだいと張り合って、相手のすることは自分も、とむやみに真似をしたがる子供だった私は、恐らくは読書についても真似をして、それらの本を眺めていたのだと思います。

わが家には、誰がどういう目的で買ったのか、大人向けの百科事典もありました。全6巻+索引巻という超コンパクトなものでしたが、60年代半ばの少々古めかしいカラー図版を眺めるのが楽しかった記憶があります。

上のきょうだいは幼少のみぎりは結構な本好きで、
「この本にこんなことが書いてあった」
「この本(とある子供向けミステリクイズ本)は面白かった」
などと下の子(私)によく語ってくれました。

「そんな面白い本なら、私も同じに面白く読めないと悔しいから(そこかい)、学校の図書室から借りて読まねば」
と借りて読んでいたら、
「それよりシャーロック・ホームズの方が面白いよ」
と言われたので、また悔しくて今度は少年向けのホームズシリーズにチャレンジする、などを繰り返していました。

少し大きくなり、上の子の真似をしても同じ人間にはなれないと悟った後は、
「○○って何?どういうこと?」
と上のきょうだいに素直に物を訊くことができるようになりましたが、そこでまた本が登場します。
「○○は、こういうことだ。それについてはこの本にこういう説明があるぞ」
と、おもむろに書棚から本が取り出されます。

対話→質問→本。対話→質問→本。
大事なことの典拠は、大抵何かの本を調べれば書いてあるのだ、ということを、私はこの繰り返しで教わったような気がします。

うちの両親ともに、自分でこつこつ調べるタイプではなく、どちらかと言えば分からないことは「人に訊く」タイプなので、どう考えても、
「分からないことは本に訊く」
という発想は上のきょうだいから受け継いだとしか思えません。

先生(誰)、地域環境や親によって与えられた環境って、何なんでしょうね?と、少し思いましたが、更に自分達きょうだいの生育環境を顧みると、

  • 親や親戚が読書を推奨し、本の購入に寛容
  • 読みたい本が整っている学校図書室
  • 公共図書館は寂しいが、町の本屋さんが機能(但し関東の片田舎の話。十代後半で住んだ政令指定都市は近場に公共図書館がなかっただけで大規模書店は非常に充実)

というものであったことに思い至りました。

実は今まで感じていなかっただけで、「本」にまつわる環境には比較的恵まれている方だったのかも?と今更気づいています。

なお、上のきょうだいは本と全く無縁の仕事に就いてはいますが、未だに「本を使った調べ物」をすることはあるようです。但し、私がへっぽことは言え一応司書持ちであるためか、調査方法について多くは語ってくれませんが……。

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2013.12.31

2013年を述懐する

2013年も残り1日で終わろうとしています。今年1年は精神的に苦しい時期が多く、節目節目のことを思い出すだけで辛い気持ちになってしまうのですが、以下、何とか今年の出来事やニュースを、図書館関係中心に振り返ってみました。

2013年1月
南三陸町図書館のオーストラリアから贈られた「コアラ館」の再開作業お手伝いへ出向きました(1月19~21日滞在)。コアラ館の図書館はあくまで次のステージに向かうまでの仮設です。
ちなみに、この作業から帰還した一週間後、身内に不幸があり遠出することに。自分にしては移動距離の長い月でした。

【連載】県立図書館「廃止」を問う(3)=手に取ることで「出会う」/神奈川:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社

神奈川県立図書館の蔵書閲覧・貸出廃止案と、県立川崎図書館の移転問題。
その後閲覧・貸出廃止案は異論が提示され撤回されたようですが、移転問題は今なお継続検討中のようです。

2013年2月
自分自身の話ではないのですが、職場の大先輩のお子さんが震災ボランティアをきっかけに東北に移住し、復興支援事業に従事しているという話をこの頃知りました。その後めでたくご結婚、ご夫妻で現地で生活を始められたように聞いています。ええ話や。

代替時給180円 図書館で行われた低賃金労働 〈AERA〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)

この事例により業務委託自体が全否定されるわけではありませんが、これはあんまりにもあんまりな事例だと思います。
そう言えば、司書は厳密に言えば「国家資格」じゃないぞ、という指摘がTwitterでありました。講義の受講と単位の取得で資格は得られるけど、国家試験で取得する資格ではないということで。

2013年3月
月初めは筑波大の震災シンポジウムを聴講するなどしていました。

シンポジウム「大災害における文化遺産の救出と記憶・記録の継承 ―地域コミュニティの再生のために―」(2013.3.2開催)聴講感想: 日々記―へっぽこライブラリアンの日常―

この月には、自分の部署異動の後半年を経て、すっかり頼りまくってきた上司の異動が決まったのですが、その月末に大きなトラブルが勃発。詳細は伏せますが、4月に来た新上司とろくに対話もできないままで走り回り、結局収束まで1ヶ月近く、気の抜けない日々を送りました。

国立国会図書館東日本大震災アーカイブ(ひなぎく)が正式公開 | カレントアウェアネス・ポータル

これは、「ひなぎく」の業績自体、言うまでもなく素晴らしいのですが、“Hybrid Infrastructure for National Archive of the Great east japan earthquake and Innovative Knowledge Utilization”=HINAGIKUというフルネームと略称の対応付けを考えた人も凄いと思った案件でした。

2013年4月
前月末のトラブルをほぼ1ヶ月間引きずっていて、精神を削られる思いをしたので、細かい事はあまり思い出したくありません。
何を置いてもこの月最大の出来事はこれだったと思います。

武雄市図書館 2013年4月1日(月) 9:00 リニューアルオープン

図書館の指定管理者を決める際のいきさつ、純粋に装飾目的で設置されたと思われる手の届かない書架、スタバ専用席、物販エリアを通過しないと行き着けない図書館エリア、所蔵雑誌の扱いの軽さ等々、ツッコミ所満載の図書館ですが、自分は現地に行ったことがないので細かい論評は避けます。
ただ、ウェブサイトの「お知らせ」を見る限り、スタッフはコンスタントに仕事している感じがするので、良きにつけ悪しきにつけ器の要素ばかりが注目されて(それが市長殿の戦略なので仕方ない面もありますが)、図書館としての活動の評価に結びつかないのは、この図書館の不幸であると思うのです。
図書館がどんな設備を備えているか?だけでなく、市民がこの図書館を使って何かを実践するために図書館がどんなサービスを提供しているか?が問われるのが最近の潮流だと思うのですが、これまであまりその辺の話が見えてこないのですね。

この図書館の美点も問題点も比較的公平に並べて評価しているのは、以下でレポートされている「図書館総合展」のフォーラムでの糸賀先生のご発言かと思います。

図書館総合展「"武雄市図書館"を検証する」全文(樋渡啓祐市長、糸賀雅児教授、CCC高橋聡さん、湯浅俊彦教授)―激論、進化する公立図書館か、公設民営のブックカフェか?
図書館総合展「"武雄市図書館"を検証する」全文(樋渡啓祐市長、糸賀雅児教授、CCC高橋聡さん、湯浅俊彦教授)―激論、武雄市図書館の今後とCCC図書館の全国展開

2013年5月
あまり記憶がありませんが、広報業務の研修出張などもあり、結構楽しかったのではないかと思います。嵐の前の静けさ。

学校司書の図書の転売事件の感想まとめ - Togetterまとめ

中学校の学校司書の方が学校図書館に蔵書として納品された本を3千冊転売し、代金を生活に充てており、しかもそれが3年間発覚しなかったという事件です。
この犯罪の背景には学校司書(基本は非常勤職員)の薄給という問題もありますが、「誰も気づかなかった」という事実が、この学校で図書館業務がいかに任せきりでチェックされていなかったかを如実に示しているという点で、かなり切ない事件でした。

「検索してはいけない」で有名な、あの愛生会病院HPが閉鎖へ | ICT Headline directed by P検

愛生会病院のHP(あれは正に『ウェブサイト』ではなく『HP』でした)と言えば、管理者は至って真剣であるにも関わらずネタサイトとして認知されてしまった代表例ですが、2000年代初頭にあのサイトで楽しませていただいた一人としては、閉鎖は誠に惜しいことでした。

2013年6月
この辺りから新しい仕事で少しばかり忙しくなってまいりました。その余波がこれを書いている現在でも継続中です(^_^;)。

大学図書館職員初任者マニュアル 第二版

東北地区大学図書館協議会研修部会で作成されたマニュアル。人を育てる余裕が無くなってきている、という事情は多くの大学図書館(蛇足ながら研究図書館も)が抱えていると思いますが、こうしてきちんと業務マニュアルを共編でまとめ上げられる所に大学図書館のポテンシャルの高さを感じました。

図書館デジタル化の波紋、パブリックアクセスと出版は両立するか | カーリルのブログ

理屈では「それは違う」と言えるけれど、では汗水垂らした人の感情をどう収めるのか?ということについて考えさせられた件でした。

2013年7月
仕事面では精神的にかなり落ちてました。生活面では『あまちゃん』にどっぷりはまってました(^_^;)。

千代田区ホームページ - 千代田区立日比谷図書文化館における映画「選挙」上映会に関する区の対応について

TRCの脇の甘さと千代田区の他人事感で満ちたコメントとに、「どっちもどっち」と思わずにいられませんでした。

TSUTAYA、宮城・多賀城市の図書館をプロデュース 「お酒も食事もできる図書館に」 - ITmedia ニュース

多賀城市の件は、最初に報道されたのは5月でしたが、CCCと市が合意したのは7月11日の話でした。あまり気をつけてウォッチできているわけではありませんが、取りあえず経過観察が必要かと思います。

2013年8月
月初めから盛り上がったのはこちら。

ラピュタ図書館員 - Togetterまとめ

第44回大学図書館問題研究会全国大会(会場:つくば)に参加しました。前年の京都大会に引き続いての参加でした。

第44回ダイトケン全国大会20130810-12 - Togetter

分科会はディスカバリサービスとオープンアクセスに参加。自分は大学所属ではない上、現在図書館担当ですらないので、問題を共有しきれない点が山ほどあって寂しいところもありましたが、現状の課題の把握と認識には役立ったと思います。

E1459 - DSpaceコミッター就任の鈴木敬二さんにインタビュー | カレントアウェアネス・ポータル

この記事に関して思った所は次に記しました。

「システムを作りたい人」、そして「システムを作ること」について考えてみた。: 日々記―へっぽこライブラリアンの日常―

全国で水害が多発したこの月のもう1つのニュースはこちら。

番外編:水害からの復旧::山口大学総合図書館改修日記

記事の文面と写真から、被害の大きさと復旧作業のハードさが伝わって来ます。当時改修工事のため休館中だった図書館も、12月現在では無事改修が成り再開しているようです。
なお、実はその後、自分の館も軽微な水損被害に遭い、復旧作業を行いましたが、新聞紙は吸い取り効果抜群でした。

2013年9月
以下のイベントに参加しました。

E1486 - Code4Lib JAPANカンファレンス宮城県南三陸町にて初の開催 | カレントアウェアネス・ポータル

このイベントで心に響いたことはいくつかあるのですが、特に感じ入った内容を当時のツイートから抜き出しておきます。

このカンファレンスの参加者ツイートのまとめは以下に掲載されています。

Code4Lib JAPANカンファレンス2013 #c4ljp - Togetterまとめ

ところで自分は講演やシンポジウムをTwitterで実況する際には、ある程度「ストーリー」を意識して記述することにしていますが、打ち込みが遅れたり、内容への自分の理解度のおぼつかなさが原因で要約が上手くいかなかったりすることがままあります。上記まとめに含まれる自身のツイートを読み返すとそうした力不足が非常にもどかしく、「これ、記憶が新しいうちにもう少しきちんとしたレポートにまとめておくべきだった」と悔やんでいます。当時、現実には時間と心の余裕が不足していて、レポートを書くどころでなかったのは惜しいです。

なお、このイベント以前にも南三陸町は2回ほど訪問していましたが、この訪問の時、初めて町役場の防災庁舎跡で震災犠牲者の冥福を祈りました(それまでは遠くから見つめるだけでした)。自分は震災の後「3階建てなんて、低い建物に逃げてさえいなければ」と嘆いていた者ですが、3階建て、意外に高さがありました。外壁が存在していた頃を生で見ていないので断言はできませんが、これだけ高さがあり堅牢そうな建物なら皆信頼を置くだろう、と感じ入った次第です。

2013年10月
3時間だけ図書館総合展に参加したのは、この月末のことです。

第15回図書館総合展駆け足参加報告(2013.10.29): 日々記―へっぽこライブラリアンの日常―

われわれの館~図書館司書就職支援の館~

の閉鎖も10月20日のことでした。

E1503 - われわれの館~図書館司書就職支援の館~管理人インタビュー | カレントアウェアネス・ポータル

のインタビューを読むと、個人の力で運営していくのはガチで限界だったようですので(痛いほど理解)、やはり継続性のある事業として志が受け継がれていって欲しい、と考えます。

それから、次のツイートも10月のことでした。
作家さんの心情も理解できますが、公共図書館側にもそうしなければならない予算面での事情というのがあるだろうし、でも、市民に対して丁寧にお願いすることで逆に作家さんに無礼な結果になるとしたら、じゃあ一体どうしたらいいんだろう?と、もにょもにょした案件でした。

2013年11月
前述の図書館総合展の武雄市図書館に関するフォーラムにおいて、登壇者の方が来場者名簿を読み上げ来場者を名指しした件が、以下のブログで問題として採り上げられました。

何であなたが知っているの?|浅慮相乗のブログ

この件は、ある登壇者が来場者を名指しし発言を求めながら議論を展開させる傾向の強い方でいらしたこと、また、別の登壇者の中に「個人の所属などを教えたら何をするか分からない」と一部に認知されている方がいらしたことなど、かなり状況が特異なケースだったと思われるので、あまり一般化はできません。
一方で、「登壇者や会の参加者には渡すのが普通。むしろ渡さなくてどうする」という常識と「例え名簿の配付範囲が限られていても不用意に渡すべきではない」という常識とは併存し得ますし、現実に併存しています。
自身で譲れない常識の一線を保つことはもちろん大事ですが、他人の常識を単純に非常識と一刀両断することは自分は好みませんし、非常識と判断するには議論が尽くされるべきと認識した一件でした。

2013年12月
12月5日に、以下の声明が日本図書館協会から発表されました。

特定秘密保護法案に関する声明_JLA図書館の自由委員会

この件について思う所は、12月上旬からほとんど変わっておりません。
強行採決という手段は全くいただけないものであったと思います。また、戦前に起きた、軍需工場の工員をモデルに絵を描いただけで逮捕された事件のようなことが再度起きて欲しくない、とも考えます。
ただ、国家安全保障の必要性と、閾値としての法律の必要性は感じているので闇雲に反対するつもりはありません。今後、単に今後法律を運用する役人が判断と措置を誤らなければ良いだけのことです。役人の、恣意に左右されぬ公明な判断力が今以上に問われることになると考えています。

明治大学和泉図書館のブックツリー - Togetterまとめ

これについては散々書いたので(^_^;)、ここでは省略します。
この件に関する意見や議論を総括した以下のまとめが秀逸です。

ブックツリーを実施するときに気を付けるべきこと - 発声練習

……振り返りは以上です。それでは皆さま、良いお年をお迎えください。

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2013.12.29

蛇足ながら、ブックツリーについて更に思う

この忙しい年末にお前は一体何をやっているんだ、と怒られそうですが、

ブックツリーについて思う: 日々記―へっぽこライブラリアンの日常

に関連して、他のブログでブックツリーに言及している記事を2点ほど拾い上げておきます。

なぜブックツリーに胸が痛むのだろうか、を考えてみた: egamiday 3

個人的には、ああ、そうそう、これだよ!と共感した記事でした。
私自身は、ブックツリーに対して書物の「著作としての人格や尊厳の否定」までの強い思いを抱くには至っていません。しかし、
「ユーザからの手に取るというアクセスに対して物理的以上に心理的に高い障壁を設けているのがブックツリーの構造です。」
という指摘には、例のツタヤ図書館の書架との対比と合わせて、深く納得させられます。
ブックツリーには公共図書館等での幸運な成功事例もあるようですが、あれは恐らくは図書館員と利用者との間の信頼関係の賜物ではないかと思うのです。

「なぜブックツリーに胸が痛むか」はもっと深堀りして考えてもいいのでは? - 図書館発、キュレーション行き

上記「egamiday 3」の記事への、ひいては現代の図書館員への批判的内容を含んだ記事です。
これについてあまりくどくどと語ることは避けますが、少なくとも、出版流通上の問題、情報流通の効率化、知的書評合戦の裾野の広がり……論点の違うものを全部引っくるめて「書物を殺す試み」に図書館員が荷担した、と言い切っている論旨には、元のブログの論旨からわざわざ論点をずらしている印象があって、申し訳ないながら、ちょっと「違う」と思いました。
江上さんのブログでは、
「私のいくつかあるポケットのうち、このポケットの中身はこんな感じだよ。でも他の人のポケットの中身とは違うかも知れないよ」
と言っているのに、
「そのポケットの中身はちょっと行きすぎだと思う。貴方の他のポケットや、他の人のポケットの中身が良くないから、そのポケットもそんなんなっちゃったんじゃないの?」
と言っているように読めて、少々的外れだと感じました。

まあ、論点のずれを承知で、図書館員を皮肉るための材料としているのであれば、引っかかるけど仕方ないかな、とは思いました。
ただ、図書館員が「書物を殺す試み」に荷担している、という点だけは少々聞き捨てならぬ、と感じましたので、少しだけ釣られて反駁してみます。

例えば電子的な情報の流通の話で言えば、図書館で働く者においては、広く利用されるべき情報の流通手段の効率化が問われている分、そうした流通に適さない情報の重要性はより強く意識されるべきであり、また、取扱いノウハウも着実に共有して引き継がれなければいけない、という使命感のようなものがあります。
図書館員が主に携わっているのは、情報を闇雲に「消費」するための試みではなく、言わばそれらの命を繋げ、多くの人に命を伝えていくための試みですので、そう言う意味では書物を殺すというのとは、あえて挑発的なワードを使っているとしても随分「違う」なあ、と思います。
一方、予算やスペースに限りがあるので、残念ながら全ての命に対して平等ではいられない、という厳しさも現実にありまして。そこでは「割り切り」も発生して、命を伝える仕事もなかなか単純ではありません。
その割り切りを「思考停止」と捉えるかどうかは、これまた個人の考え方なので、善し悪しを論じることはできないかも知れませんが、それこそがあまりにも純朴な非難でありすぎて、ちょっとどうしたら良いか分からない、というのが正直な考えです。

……と、ここまで書いて改めて思ったのですが、図書館員が書物を殺しているかどうか?という話と、利用者に書物の利用を提供する手段として果たしてブックツリーってどうなのよ?という話って、全然関係ないですよね(^_^;)。
なので、この件について語るのはひとまずこれで止めておきます。

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2013.12.23

ブックツリーについて思う

はじめに、このブログの筆者は、最先端の技術や考え方、業界の最前線の動向に対する視点や論点というのは持ち合わせておりません。いや、一応目で追いかけていても、それを独自の知見で語るとか、そういうことは全くできない人間です。
ですので、あまりここを読んでも実入りにはならないと思いますが、それでも読んでくださる方、ありがとうございます。

さて、昨今話題の明大のブックツリーの件、Twitterの方にもいくつか駄文を書きまして、更に投稿主さんとも少しだけやり取りさせていただきましたが、色々思う所があります。明大図書館に全く知り合いがいないわけではありませんが、比較的ご縁は薄いのを良いことに、ちょっと語らせていただきます。

まず個人的には、所謂貴重書でなければ、ツリー企画自体は「ダメ」ではないと考えています。本は利用者にサービスするために大事にこそすれ、廃棄すべき時には廃棄するし、過度の神聖視は業務上の妨げになる、という考え方の持ち主なので。
ただ、この学生が忙しい時期に全く利用する可能性がないとは言えない蔵書の排架場所が、ツリーに使われたことで分からなくなるとしたら、それはクレームが来ても仕方ないだろう、と思いました。図書館側で所謂「動きの少ない」本をツリー構成メンバーにセレクトしていたとしても同様です。
あと、積み上げ型でツリーにしなくてもいいじゃないか、とは思いました。本を取り出しづらい形で積んでツリーの構造物にする以外にも、例えば普通の展示棚でツリーっぽく見せるなど、やり方はいくつかありそうです。
もし、明大図書館のTwitterでコメントされているように、本の存在を知って貰うことが目的だったのであれば、書名リストを添えておいて、更に元の書架には代本板等で「12月○日までツリーに展示」とか示しておけば良かったのでは?と思います。
と、考える一方で、「紙の本を笑うものは紙の本に泣け」という考え方も正しいと考えるので、紙の本を大事にしないのは気持ち悪いこと、という考えを全く否定したくもありません。ここは上手く説明しきれない矛盾と揺らぎがあります。

一方、同じ図書館員でも、紙の本、現物が命の分野の人については、ツリーに対して否定的な考え方を持たれる方もいらっしゃるかと思います。これについては、こういう場末のブログへのお返事でなくて良いので、どこかできちんと考え方を伺えたら、と考えています。

そして、この件で、ツリーの是非よりも気になったのは、図書館側と投稿主さんとの意思疎通がどの程度成立していたか?という点でした。
投稿主さんは口頭で意見を呈そうとしましたが、それを図書館側が「意見は投書箱へ」と提示したそうです。

この点について投稿主さんに、
「もし投書していたとすれば、その回答を得る前にTwitterに投稿したのはアンフェアだったのでは?」
というツイートを送りましたが、これ以上は感情論になってしまうので、ということで、残念ながら明確なお返事はいただけませんでした。

図書館員から見ると、利用の不便さよりも書物へのイコン的な思い入れが強すぎるように見えたこと(実際最初の投稿からはそう読めますし、投稿主さんもその思いに個人差があるだろうことは認めていらっしゃいます)、そして、何より口頭でのやり取りで行き違いを生じる可能性を恐れたことからの提示であったと推察されます。

それから、投稿主さん(学生さん)の立場で考えてみると、何となく、学生時代、特に高校生ぐらいまでの間は、「先生や学校の人の言うことは絶対」という雰囲気があって、だから先生や学校の人に「それはちょっと……」と言われたらもう「ダメ」と理解してしまう所もあるのかな、と。
図書館側が学生さんのそこら辺の心理を上手い事酌み取れなかったとしたら、残念な面はあります。

ただ、図書館側としても、基本のバックグラウンドと価値観が異なっている可能性が高い(と判断された)、不特定の匿名の人も含めた相手と徹底的に対話するよりは、無難に撤去するのが大人の判断だろうな、とは思います。だから、明大が公式Twitterでぐだぐだ説明しなかったのは当然でしょう。
繰り返しになりますが、図書館側の考え方を投稿主さんや他の学生さん達に伝えきれないまま、また、何故あの形のツリーが受け入れられなかったのかが検討されないままで撤去されたとしたら、かなり残念です。
また、投稿主さんにも、Twitterという公開の場に写真を投稿して世間の本好きさんの同意を求めることで圧力にするのではなく、ご自身、あるいは他の学生さん達との共同でも良いですので、是非図書館に直接書面で物申していただきたかったな、と思うのです。学生もまた大学という組織の一員であり、かつ図書館の利用者である以上、物を申す権利はあるのですから。あ、個人的にも社会人的にもTwitterは「書面」に入らないと考えています。

ということで、あまり綺麗な結論は出ないのですが。

自分がこの件で最も引っかかり、かつ最も言いたいのは、ブックツリーを作った図書館員は本に対して薄情とも見えますが、必ずしもそういうわけでもないので、
「図書館員“なのに”本を大事にしない」
というステレオタイプな見方でなく、もっと多面的に見て欲しいし、図書館員は自分達の多面性をもっと語ってもいいんじゃないか?ということです。
あと、所謂「本好き」さんにも、ブックツリーを「本を粗末にするなんてひどい」と受け止める人もいるし、「焼いたり汚したりするわけじゃないから別にいいじゃん」という人もいます。「本好き」にも色々な種類があり、単純ではない、ということは、本に携わる人は常に頭に置いておいても良いと思うのです。

……以上です。いつもいつもエエ加減でまとまりのないオチですみません。

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2013.11.24

第15回図書館総合展駆け足参加報告(2013.10.29)

ご無沙汰しております。こちらのブログ、ほとんど季刊化しつつある気がしますが、まだ一応更新は続けております。
さて、ご報告が遅くなりましたが、今年もパシフィコ横浜で10月29~31日に開催された「図書館総合展」に行ってまいりました。
今回は本業の関係で、ぎりぎりまで予定が読めなかったため、まる1日の参加を断念。半日だけえいっと休みをいただいて――と言っても休日の半ドン出勤の振替を取っておいただけですが――会場入りしたのは15時過ぎのことでした。しかも翌日は朝から普通に出勤なので、あまり夜遅くまでは横浜にいられないという状況で。

余談ですが、実は前日に携帯が壊れてしまい、音声通話ができない状態になってしまいました。本体のバックアップだけは何とか行ったものの、しかもメールと電話帳のバックアップパスワードをど忘れし、時間がないのでそのままお店に預けるという軽く自分にいらつく状況だった上、全く使い慣れない携帯と時間の無さ加減に気もそぞろなまま横浜へ向かったのでした。
到着後すぐに、目当ての「Library of the Year 2013」(LoY)の選考会場近辺へ。
……え?何?この待機列。ええと、着いたら少し近隣のブースを見てから、と思っていたけど、これじゃすぐここに並ばないと間に合わないよ?と、渋々列に並ぶ自分。何とか選考会場に入れて、ようやく息をつくことができました。
選考会では、メインイベントである優秀賞のプレゼン開始前に、特別賞として、映画『図書館戦争』の表彰がありました。大串先生からの講評後、受賞者代表として、TBS映画事業部の辻本プロデューサーが登壇されていました。
辻本Pの受賞挨拶によれば、自衛隊が、実在の「自衛隊」の組織名が登場しない(作中で活躍する組織はあくまで「図書隊」)映画に撮影協力を行ったのはこの映画が初であったとのことです。初耳でしたが、そう考えると画期的な映画だったのでしょうか。

ご挨拶の終了後に、いよいよメインイベントの開始です。
今回のLoYの優秀賞は、伊那市立図書館、千代田区立日比谷図書文化館、長崎市立図書館、まち塾@まちライブラリーの4団体でした。
トップバッターの伊那市立のプレゼンターは青山学院大の小田先生。
「知の消費ではなく知を育む」取り組みを行っている、という言葉が印象に残りました。旧・高遠町(現・伊那市)は内藤藩に属していたので、内藤新宿の繋がりで、新宿区立四谷図書館ともコラボしているとか。
また、図書館が地域通貨「りぶら」を発行し、除籍本の交換券として使える商店街との連動イベントを開催したという話は、図書館と地元のリアル社会との繋がりを重視した面白い試みだと思いました。
実は「図書館で地域通貨を発行」という事実のインパクトが、イベントの時にはあまりピンとこなかったのですが、良く考えると普通「図書館」で地域通貨を発行する事例はあまりないのではないでしょうか。

(参考)
長野県の伊那図書館が除籍本と地域通貨を絡めたイベントを実施 | カレントアウェアネス・ポータル(2011-12-16掲載)

2例目の日比谷のプレゼンターは、六本木ライブラリーの小林さん。
小林さんはかつて、都立日比谷図書館を千代田区に移管する際の検討委員(?)を務めていらして、その際に、
「本を読みに来る場ではなく、人と情報が交流する場にして欲しい」
という意見を述べたそうです。
プレゼンの評価としては、個人的に、この小林さんのプレゼンが最も高かったです。
小林さんのプレゼンを拝聴していて、日比谷図書文化館は何となく場の綺麗さが強調されがちですが、地域との繋がりや知的文化の魅力への導きを意識的に行っている、と気づかされました。資料費の少なさには賛否あるかも知れないけど図書館の魅力の正体について考えさせられたりもして。
LoYの候補館としては、
「日比谷はもうさんざん高評価を受けてるんだからいいじゃん」
的な心境があったのは否めませんが、こういう聴き手に「気づき」を与えてくれるプレゼンは良いですね。

3例目は長崎市立図書館。プレゼンターは川崎市の舟田さんでした。
地元の医療健康情報の情報入手の入口的役割を果たすプロ司書集団「チーム・ナガサキ」。このネーミングが格好良かったです。
数年前、「長崎市には図書館がなかったのでこれからできる」という話を聞いて、あんな大都市に市立図書館がなかったなんて!とかなり衝撃だった覚えがあります(調べたら、公民館図書室を束ねる図書センターはあったようです)。その図書館がこういうLoYという場で採り上げられるまでに成長したということで、図書館運営側は感慨深かったのではないでしょうか。

トリの4例目、まちライブラリーのプレゼンターは、ダイヤモンド社の千野さん。
小林さんとは異なる意味で、印象の強いアグレッシブ過ぎるプレゼンでした。
本を持ち寄り「植える」という意図で開催された「植本祭」。そして「蔵書の見せびらかし」というコミュニケーション。大阪中心に活動が広がる「大阪流 知の方程式」。
これはLoYの実況ツイートでも書いたことですが、こういう活動を可能にする大阪という商都のエネルギーの正体は一体何?という点にそこそこ関心があります。人同士の繋がりを重視した結果、パワーを生み出す一方で、お上に依存しない個々の人間の力に自信があるから、関東だと躊躇するような人を知事や市長に担いでしまう民意も生ずるのかなあ、と思ったりして。

で、個人的にはこの横紙破りの「まちライブラリー」を推していたのですが、蓋を開けると大賞を受賞したのは伊那市立図書館でした。
まちライブラリーは会場票では最高票を獲得していました(82票)。次点の伊那市立図書館(44票)の倍近くでしたが、逆に審査員票ではまちライブラリーが0票だったという事実が面白いです。
会場にいた癖にあまり細かい講評を聴いていないのですが、何となく、最近の公共図書館界のトレンドは「地域振興」であり、伊那市立はそこを既存の公共図書館の枠内で奇をてらわず新しく、かつ地域にお金を落とすことにも貢献している、という点で評価されたのだろう、と理解しました。
そして選考会終了後、閉館までの40分ほどで会場内を駆け足見学しました。
ポスターセッションは3分の2ぐらい見られたでしょうか。キハラ&カーリルブースで、くまモン、kumoriほかの可愛いミニブックトラックや『夜明けの図書館』コラボパネルに見とれましたが、図書館ゲームはやり損ねました(泣)。
入口から向かって左側の壁ブースで、saveMLAKで旧知の皆様にはご挨拶したのに南三陸町図書館や国立教育政策研や皇学館大の皆様にはご挨拶し損ね。当然豆本教科書や伊勢うどんは自力ではゲットしておりません(後から別口で入手)。
あと、帝京大学メディアライブラリーセンターの「共読ライブラリー」に、先程LoYの優秀賞だった「まちライブラリー」ブースだけはどうにかチェックしましたが、時間がなくあまりゆっくりじっくり堪能できず残念でした。

こういう慌ただしい参加の仕方、やはりあまりやるべきではありませんね。フォーラムを聴講するか、会場巡りに専念するかのどちらかにしておくべきでした。色々とおざなりになってしまった……。

そんなわけで今年はトンボ返りになってしまった総合展でしたが、その代わり、FabLibブースのLEGOコーナーに、折り紙で作った豆本をこっそり何冊か展示していただきました。その中に私の髪の毛を筆にして描いた(信じないように)絵本を1冊紛れ込ませておいたところ、「羊図書館」のブログに写真を載せていただきました\(^o^)/。

羊図書館 第15回図書館総合展に行ってきました!@羊図書館

ちなみに折り紙豆本の折り方は、最初に参考にしたブログが何故か消えてしまっていたので(泣)、同じ折り方で作っている別の方のブログへのリンクを貼っておきます。

2-663)折り紙・豆本 : 三百六十五連休(一)

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2013.08.10

「システムを作りたい人」、そして「システムを作ること」について考えてみた。

ここしばらく、また、本業多忙につきろくにこちらで語れていませんでしたが、以下のブログや記事を読んで、今も癒えていないちょっとした心の傷口が開き、スイッチが押されましたので、少しだけ自分語りします。



実は自分、大学のシステム系の授業が苦手で、プログラミングの課題はできる人の作品を借りて少しだけ改変して提出してお茶を濁していた癖に、システム(ズ)ライブラリアンを目指そうかと思った時期が少しだけありました。
しかし、研究者の方と共同で、フォームから入力されたテキストを定型フォーマットに変換するための簡単なシステムを、Perlで書いて発表する機会を、一度だけ与えられた時。深夜までコードとにらめっこして、いくら研究者の助言をいただいても、どうしてもPerlのライブラリという概念が理解できず、コードを自力で完成させることができませんでした。確か何とか発表にはこぎつけたと思いますが、自分的には黒歴史、挫折感で満載の出来事でした。
そんな状況下で、せめてPerlぐらいは一からきちんと勉強して身につけたい、と思い、いくらラマ本やラクダ本を読んで勉強しても、簡単なスクリプトを書いてみても、とうとうコーディングが身に付くことはありませんでした。多分、そもそもそっちの才能がなかったのでしょう。

ついでに申しますと、その頃はシステムの完成形をきちんと頭に置いてそれを目指してスクリプトを書くなどという発想は、全く頭にありませんでした。大体、どういうシステムを作るのかをまずきちんと定義して、それを実現するためにコードを起こすのが「コーディング」であるのに、それができていない時点で初めから間違っていたのだと思います。

では、それから十数年が経過し、システム構築に詳しい人の助言をいただきながらであれば、どうにか要件定義の真似事ぐらいできるかも?というレベルにいる現在の自分なら、コーディングができるか?と言えば、恐らく無理でしょう。何故ならコーディングは「センス」だと思いますので。上手く言えませんが、自分にはそのセンスがないことを痛いほど分かってしまっていますので。
これは言い訳になるかも知れませんが、十数年の間に、業務用システムの構築まがいのことを中途半端に経験してしまったが故に、「システムを作る」ことは「楽しいこと」ではなく「責任の重いこと」という認識が身に付いてしまったというのも大きいです。

昨今では、業務用のシステムというのは、それを作ってはい終わり、ではなく、継続的にメンテナンスして、そのシステムでコアな業務を担当する人達(図書館で言えばILL担当者や目録担当者の皆様)、そして一般の利用者(図書館で言えばOPAC検索や相互貸借・複写申込をする皆様)が常に使いやすく安心、なだけでなく、セキュリティ対策もばっちりで安全、に利用してもらうことができるようにすることが大きく問われると認識しています。
特に、システムを運用する母体組織が大規模かつ公的存在意義が大きくなればなるほど、そしてシステムがオープンであればあるほど、セキュリティ対策はかなりガチガチに問われます。その「ガチガチ」を維持することができずに消えていく(あるいはクローズドに切り替えざるを得ない)システムもあったりするわけですが。
本来システムを作る技術とセキュリティ技術は似て非なるものの筈ですが、今や切り離せないものになってきて、昔ほどシステムは気楽に作れないものに……と、話が思い切り逸れました。

無理やり話を戻しますと、もし、業務上システムを作る立場になりたいのに、システム作りとは全く別の才能を持っているが故に、昨今の人材不足の状況下、なかなか望みの業務を担当できない、というのであれば。加えて、自身にコーディングのセンスだけでなく、システムエンジニア的なセンスもあるという自負があるなら。何よりも、諦めないことが肝心だと思います。

光る才能に縁がなく、とろとろぐだぐだと仕事を片付けるしか能のない自分のような立場からすれば、光り輝く別の才能があるというのは本当に羨ましい限りで(嫌味とか褒め殺しでは決してなく、本気でそう思っています)、そっちを研鑽してもっと輝けるならそれも1つの道だろうと思わなくもありません。
しかし、システムを作ることの面白さも苦しさも、そして作ったシステムのバグフィックスだけでなく、セキュリティ的にも利用に耐えるよう維持し続けることも、そして自分と技術レベルや立場の異なる利用者を粘り強くサポートし続けることも、全部引っくるめて「自分(達)の仕事」として引き受ける覚悟があるならば。それらにやり甲斐を感じ続けることができる自信があるならば。是非、「システムを作る人」を目指して欲しい。そんな風に自分は考えるのです。

自らにはなし得なかった荒行・苦行に取り組み、それらを物にして、かつ結果を出せる(あるいは常に結果を出すために努力を続けられる)人を、自分は一体に尊敬します。それだけです。

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2013.03.03

シンポジウム「大災害における文化遺産の救出と記憶・記録の継承 ―地域コミュニティの再生のために―」(2013.3.2開催)聴講感想

 3月2日に筑波大学春日キャンパスで開催された、筑波大学 知的コミュニティ基盤研究センター公開シンポジウム「大災害における文化遺産の救出と記憶・記録の継承 ―地域コミュニティの再生のために―」を聴講してまいりました。
 以下、各講演の簡単な概要と感想です。そのうち公式に詳しい記録が刊行されるのを期待しています。

 最初は基盤研究センター長の杉本先生からご挨拶。続いて筑波大学白井哲哉先生から本日の趣旨についてご説明がありました。趣旨はシンポジウムのページにも載っていますがまとめると次のとおりです。

 被災地の文化遺産の救出は地域コミュニティの再生に関わる基盤情報である。図書館、文書館、博物館は地域文化遺産を収集、公開してきた。本日登壇いただくのは、文化遺産の救出・保全と地域コミュニティの記録・記憶の継承に取り組んできた方々である。

「大震災の被災地で文化遺産を救済・保全する ―茨城史料ネットの活動から―」高橋修(茨城大学人文学部教授、茨城文化財・歴史資料救済・保存ネットワーク準備会)
 「茨城文化財・歴史資料救済・保存ネットワーク準備会」(略称:茨城史料ネット)の設立は、震災の発生後、歴史学者として何か記録の継承が必要であると考えたのがきっかけであった。
 震災後2、3ヶ月で状況が変化。民家に保存されている歴史資料の保存について相談を受ける機会が増えた。こうした状況を受けて2011年7月に史料ネットが設立された。
 その後、茨城県北茨城市、鹿嶋市、ひたちなか市のほか、福島県いわき市、双葉町などの旧家で、震災で棚から落ち散乱した資料や津波浸水資料の救出・保全活動を実施した。
 また、これら活動の際には、これまで存在が把握されていなかった資料についても発見されている。
 公的な古文書が個人の家に残されているのが日本の特色。地域の記憶を伝えるアーカイブ的観点から文献資料を含めて史料保存が求められている。地域社会には指定級の文化財やこれまでの文化財の範疇にはおさまらない重要資料が大量に眠っている。

(救われない文化財について)

 一方で、いつの間にか片付けられてなくなってしまった被災資料もあった。個人財産であるという扱いから市町村が保全への関与を拒否したケースもある。
 震災はまだ終わっていない。史料ネットの活動はまだ続いていく。
(今後について)
 引き続き、未指定文化財も含めた被災文化財の実態を把握する努力や、文化財救出に当たってのボランティアも加えたコーディネートのほか、地域防災計画に文化財保護対策も盛り込むなどの対策について、今後必要であると考えられる。

「資料保存と地域博物館の現場」木塚久仁子(土浦市立博物館学芸員)
 土浦市立博物館は開館25年。自身の学芸員歴と同じである。
 震災翌日から市内の文化財(指定・登録等された蔵やその収蔵品等)の被災状況の調査に取り組んだが、これ以外の資料の救済については市民により持ち込まれたものへの対応のみで十分と考えていた。
 しかし、学芸員に茨城大学の高橋先生から資料調査のアンケートのメールが寄せられたのを機に、指定文化財以外の歴史資料調査も必要であると気づかされた。
 その後2011年9月から、6部署10名の学芸員で地区を分担して訪問、資料調査を開始した。資料調査については市の広報誌で告知、区長の了承を得て、チラシを持って訪問して回ったが、資料があるという情報があったにも関わらず訪問拒否する家や、既に資料を処分してしまい「博物館、来るの遅いよ!」と言われたケースもあった。
 博物館が資料を守ってくれるのかどうかを理解していない市民も多い一方で、東京から移転してきたボタン工場から情報が寄せられ、新たな資料(くるみボタン製造用具等)の発見に繋がったケースもあった。
 こうした歴史資料調査には学芸員が共通認識を持つことが必要であると考え、
「市民が各家庭で資料保存をしてきた時代は終わろうとしている。今後は自治体が保存に取り組むべき。」
「歴史資料は保存、次に活用を考えていくべき。」
と言った認識を改めて文章化し、責任を明確化した。
 また、市立博物館として、自館所蔵資料のみによるテーマ展「記録された天変地異―土浦の洪水・地震・大風―」(リンク先:PDF)(2012.7~9)も実施した。

課題
(博物館の役割)
 (1)ハコ(収蔵庫) (2)情報収集 (3)市民の信頼 が期待されている。しかし現状は、(1)ハコは溢れて限界 (2)現状は歴史資料の所在情報が未確認で、調査の機会や時間もない (3)学芸員の調整能力により異なる という状況である。
(博物館の現状に対する学芸員の意識)
 学芸員は、(1)歴史資料が失われていくことへの危機意識 (2)地域博物館の使命 (3)専門家としての使命 (4)他の博物館や自治体の学芸員との連携 (5)市役所の他部署との連携 について意識すべきであるが、現状は全てできているわけではない。
 また、前述の資料調査の実施に当たって決裁に時間が掛かり、震災6ヶ月後の開始となってしまった。加えて、当館の大半の学芸員の専門は考古学であり、古文書学を専門にしている者が少ないという問題がある。実際に学芸員が、古い鳥籠が愛鳥の歴史上貴重な資料であるという価値に気づかず、鳥籠が廃棄されてしまったケースもあり、その件は発表者の心に重くのしかかっている。
(今後の展望)
 学芸員の横の繋がりの強化、博物館の日常管理の充実、そして最新の保存修復情報の研修受講とその結果の共有が大事と考える。井の中の蛙にならないようにする。
 また、地域博物館だからできることは、細やかな資料の収集に尽きる。そうしたことをやってくれるのが地域博物館であることをもっと市民に広報してまいりたい。この他に、収蔵庫の確保の声高な主張、正職員としての学芸員の雇用、市民への資料保存に関する広報の義務も重要である。

「東日本大震災における被災文化財への対応と今後の課題」松井敏也(筑波大学芸術系准教授)
 自分は資料修復・保存が専門であるので、資料を救出、修復しまた元に戻す。茨城県内には保存修復を専門にしている方は少ない(いない)。
危機管理体制として、資料の所在確認、情報化、データベース化、保管、共有化、公開、そしてレスキューの組織化が必須。コーディネーターの必要性を実感している。
 また、日本の場合は公的機関では資料保存修復は実施しない。文化庁の文化財レスキュー事業は、文化財指定の有無を問わず実施されるものである。しかしレスキュー隊の派遣はあくまで資料救出が目的。保存修復までは含まれていない。

(物的被害)
 被害の大きい所では文化財調査に手が回らない。あるいは文化財として認識されていないため調査対象とならない。
(石巻文化センターでの活動)
 津波の浸水により、「毛利コレクション」などの資料が被災した。救出された文書はクリーニングを行った。誰にでも簡単な技術でできる方法を採用した。
 また、作業環境として適切かなどの判定のため、「空気質調査」を実施したところ、  1階収蔵庫が通常の博物館ではあり得ない値で有機物汚染されていることが分かった。
(山田町での活動)
 資料を調査に行ったが、まず町の方に「我が町にもポルシェが!」と見せられた、津波で漂着して引っかかっているポルシェに衝撃(笑)。
 ここでは文化財が収蔵庫ごと津波に遭った。流失しなかった資料が仮テントに保管されていたので、収蔵庫を綺麗にした後運び込みを行った。文化財レスキュー隊は、 指定資料のみを綺麗にして置いていった。そうせざるを得ないのであるが……。
 また、ここでは三菱商事の支援により、マッコウクジラ標本修復も行われた。
(石巻雄勝伝承館収蔵資料)
 指定管理者管理施設。指定管理者が撤収完了し、建物の解体決定後に入ったところ、津波被害を受けた文書が残されていたことが判明した。筑波大学で被害文書を修復。ここでは学生に30分手順を教えればすぐできる技術(メチルセルロースを使い保全、和紙で修復)を採用した。
(その他)
 今後は福島の文化財の放射線量調査も予定している。
 資料修復については、例えばこのニワトリの標本の場合(会場では写真を表示)、30cmまで近づいてやっと修復痕が分かるレベルの標本修復を行っている。ただ、石碑が作業工程上のミスで、上部が傾いたままの状態で接着剤の樹脂が固まってしまい綺麗に仕上がらなかったようなケースもある。
 今回は結城市にある水野忠邦の墓など、多くの墓石も倒壊している。これらはすぐ戻せそうに見えるが簡単にはできないのが実情。
(今後の課題)
 被災した現場では被災状況の把握、程度の把握が専門家がいないと難しい。筑波大学での雄勝の資料修復の場合、中身の読解は古文書専門家、目録整理は図書館で、という大学ならではの分担ができた。
 また、被災情報の収集と精度の見極め、地域との関係、複数機関との連携も大事。文化庁のレスキューが動いたことで地域独自の活動が停滞したケースも存在する。
 そして、やはり資料の救出や修復において、そうした各種調整を行うコーディネーターの存在は必須である。

「福島県双葉町における被災文化遺産救出・保全の現状と課題」吉野高光(福島県双葉町教育委員会学芸員)
 自分は震災当日は勤務先(双葉町歴史民俗資料館)の発掘調査に従事していた。
 双葉町歴史民俗資料館は平成4年に開館。自然誌資料も収集している。館長以外に正職員は自分のみであり、臨時職員も入れた体制で運営している。
 今回の震災では建物周辺が液状化し、棚にあった収蔵資料が落下した。積層棚が棚ごとずれて幅寄せされ、ガラス水槽も落下、破損した(中のドジョウ1匹は救出(2012年死亡))。
 震災直後、町内状況把握調査を行ったが途中で負傷者救出なども行い調査どころではない事態だと分かり中断した。その後は被災者支援に回り、町ぐるみで埼玉に避難し、加須市の騎西高校内に寝泊まり、勤務することになった。
 2012年4月に震災前に福島市の業者に修復を委託していた剥製標本のほか、館内に残してきた刀剣類等もあわせて福島市の県立博物館に託することになった。
 収蔵品の県立博物館への移送に当たっては、双葉町への一時帰宅物品持ち出しと同様の放射線量基準スクリーニングを実施し、安全性確認後に運び出した。なお、館内放射線量は0.16μSv/h(安全値)であった。
 その際、収蔵品には各々の測定値を記録した票を貼付した。梱包などの作業を短時間で行う必要があったため多くのマンパワー協力をいただいた。持ち出した収蔵品の線量はその後再計測したところ、持ち出し時の半分~1/3に減少していた。
 2012年5月、福島県被災文化財等救援本部が設立された。
 震災の後しばらくは、双葉町は警戒区域のため文化財レスキューの対象外とされていた。その後国の協力が得られることになったため、まずは収蔵庫として旧相馬女子高を確保し、環境測定し収蔵庫として使用可能と分かったため環境を整備した上で、梱包作業6回、搬出作業3回を実施し、コンテナ300箱弱を搬入した。対象収蔵品は県立博物館移送時同様、放射線量スクリーニングを実施した。資料館内に放置されていた標本はカビなどの害を受けていたため、燻蒸を施した。
(今後の課題)
 残してきた資料の今後の扱いであるが、収蔵庫が確保できなければ救出もできない。 加えて、国の予算は平成24年度で終了してしまうので、その後マンパワー協力をどうするか?という問題もある。
 町の遺跡(清戸迫横穴)や、大杉など指定樹木の保護の問題もある。こうした不動産系文化財はどうしようもないのが実情。仏像など重量物の救出や、保存指定建造物の倒壊をどうするかも課題。
 伝統的な民俗芸能、無形文化財の今後の問題も大きい。まず、芸能用具のレスキューを行った場合も、保管場所の問題をどうするか?という課題がある。そして、伝統芸能保存団体においては、用具が津波で流失したり、用具を現地から救出したとしても、全国に構成員が散らばってしまい練習がままならないという問題も生じている。こうした伝統芸能の伝承には、伝承者が集まり練習を重ねるための交通費や宿泊費なども考慮に入れた補助金なども必要と考えている。
 そして、救出した資料をいかに展示して活かしていくかの手立ても今後は必要と思われる。今後5、6年、あるいは130年は町に帰れないという説もある。仮設収蔵施設では間に合わないのではないか。
 これからも、以上のような状況が忘れられないようにしていかなければならない。

「北条の歴史的町並みの竜巻被害と復興まちづくりの課題」安藤邦廣(筑波大学芸術系教授)
 2011年3月の東日本大震災、2012年5月につくば市北条地区ほかを襲った竜巻の後の復興支援への取り組みを通し、歴史的街並みの保存について、災害に見舞われた場合、一体何ができるのか?について本日は考えてまいりたい。
 北条地区は、歴史的街並みで観光客を呼ぶ一方、高齢化も進んでいた。TX開通に伴いどのように街づくりをしていくか?に震災以前からつくば市、筑波大学共に取り組んできた。
 北条の土蔵造りは、川越より歴史が古い。本来重文指定されてしかるべき建物もある。しかし、つくば市の体制の弱さ、住民の関心の低さから文化財的な価値が認識されていない。
 東日本大震災で被災した土蔵については、2年かけて修復が行われた。修復に当たっては、結果として県の補助が受けられることになったが、当初は居住者が身銭を切る覚悟も必要であった。
 日本の伝統建築は、言わば「肉を切らせて骨を残す」仕組みである。瓦も落ちることで建物本体を軽量化して破壊から救うようになっている。
 地震に遭った建物は、壁のない母屋には破損がなかったにも関わらず、壁のある土蔵が破壊されていた。これは、短時間の細かい揺れが発生したため後者の被害が大きくなったものである。
 古民家の修復については、県の補助が決まるまでは、外部支援にも頼った。ベルリンフィル団員のチャリティ演奏会なども開催された。

 2012年5月6日、そのように震災被害からの修復の進んでいた北条を竜巻が直撃した。
 北条は一本の中央の通り沿いに商店街が形成されている。その後の調査により歴史的建造物が137棟存在していたことが判明した。通りの北側には旧来からの地主が居住し、南側には新興の商人が居住している。
 中央の通りは東西に伸びているが、竜巻は南北方向へ横断した。このため通り沿いで南北方向に窓のあった建物被害が拡大した。
 ある土蔵造りの建物の屋根が全面的に破損し、取り壊したいとの相談が家主からあった。行政から建物解体費用の補助は出るが、修理費は一切出ないという問題があった。しかし、専門家の目から見ると骨組みはきちんと残っていたので、修復可能と判断された。
 別のガラス戸が全面的に破壊された住宅では、物品持ち去りが発生した。当初はボランティアが片付けたと思われたが、実は災害後の混乱に乗じた骨董持ち去りであったとみられる。家主がその場にいても、被災後に気持ちが動転してどうでも良くなり「壊れた物なので全部持って行って」と任せてしまったケースもあった。
 市の建物撤去補助には支給期限があった。この支給期限が迫ると家主が焦り、急いで建物撤去に走りたがるという問題が生じた。
 伝統建築の知識と経験を積んだボランティアの育成が今後の課題の1つである。かくいう自分も大学の本業以外に片手間でやらざるを得ない面があるので……。
 北条で最も古い時期に設置されたと思われる商家(電話番号がxxx-0001番!)においては、被害を受けた明治期の住宅を比較的早期に修復するという良い取り組みを行った。また、一見昭和時代の美しくないように見える建物も、実は年代資料として貴重である(だから拙速に壊してはならない)。
 筑波大による建物の調査の結果、3分の2の建造物はまだ使えるものであった。そうした知識がないボランティアがいち早く柱をチェーンソーで切断するようなことがあってはいけない。
 一方で、自然の景観に配慮した街並みづくりも大事である。取り壊された建物がなくなって初めて見えてきた風景の美しさもある。
 平安時代以来の歴史的な街並みや自然環境を生かした復興、そしてそこに住む人々がどのように事業を興していくかが今後の課題である。

 ……ちょっと長くなってしまいましたが、講演内容の概要は以上です。
 この後ディスカッションも行われましたが、残り時間が少なく、少々駆け足の印象がありました。質疑や議論の内容を全て書き留められたわけではないので、内容は割愛いたします。

 以下、感想です。博物館分野には素人なので、素朴に思ったことのみ記させていただきます。
 実は、今回のシンポジウムは、つくば市北条地区の竜巻被害についての発表がある、というのが聴講の動機でした。北条は自分の住む同じ市内の地区でありながら、生活圏も異なる上に知り合いもいないが故に、竜巻前後を通しほとんど接点がないままこれまで来てしまったため、そこでは具体的にどのような復興支援プロジェクトが動いているのか?と言うことに関心を抱いたのがきっかけです。
 結果、期待通り、この2年間にどのような手立てが北条でなされてきたか?のお話を、建造物修復及び都市計画の視点からではありますが、たっぷり伺うことができました。
 目から鱗だったのは、北条の伝統建築物は、災害に見舞われた時には瓦屋根を落とすことで建物を軽量化し、頑丈な骨組みを守るような仕組みになっている、というお話でした。茨城県の震災被災家屋のうち、瓦屋根の家でぼろぼろと瓦が落ち、震災後しばらくは瓦職人の手が回らずブルーシートでカバーされたままになっていた、という風景を良く見かけていたので、
「あんなにぼろぼろになるなんて、瓦屋根はダメだ!」
と思い込んでいましたが、実際は家屋の全壊を防ぐための工夫であったということで、自分の無知を恥じた次第です。
 それから、これはディスカッションの話になりますが、会場からの、
「地域コミュニティをいかに再生していくかについて考えを聞かせて欲しい」
という問いに対して安藤教授が回答された、
「北条は復興が立ちゆかない状況が実際にある。後継ぎのいない家も。つくば市民がいかに事業に加わっていくかが課題。カフェやレストランの開業の話なども出ているが、そぐわない面も。古い町なので事業契約などはなじまない。利害のない学生による期間限定の事業計画などは住民にも受け入れられやすく良い案と考えられる」
を拝聴して、歴史の長い地区と新興の地区とが多様に混在しているつくば市ならではの問題(全国的に見て決して特有問題ではないと思いますが)はやはりそう単純ではないのだと気持ちが沈む一方で、学術研究機関が多数設置されているこの市ならではの手立てもこうして可能なのだ、と、心に灯りが点ったようでした。

 北条の発表以外にも、普段、恐らく学会等に所属していなければほとんど聞く機会のない方々からの発表を聴講できたのはありがたかったです。
 5名の方の発表の中で、個人的に最も身につまされたのは、木塚学芸員の発表でした。
 帰宅後に2011年9月頃までの土浦市の広報紙のバックナンバーを市のサイトでチェックしてみましたが、住宅への直接訪問調査に関する、その辺の話を見つけることができませんでした。恐らく、広報紙とは別に、自治会区レベルに個別に呼び掛けを行ったのではないかと推測いたします。ちなみに、もう消してしまったのかも知れませんが、博物館のサイトのお知らせ欄にも見当たりませんでした。
 こういう時、行政や公的機関としては、ライフラインに直結する事柄以外では、被害を声高に語るよりも、「通常運営しています」ということのアピールに向かう傾向にあるのは分かります。
 しかし、今回木塚学芸員が課題として挙げられていたとおり、行政として各家庭に眠るお宝を責任を持ってきちんと調べているという事実を知らない市民も多いと思うので、これはもっと老若男女、色々な人の眼に触れる場所でアピールしていただきたいと願っています。
 この他に心に残ったのは、高橋教授の発表にあった、双葉町で地域の記憶の継承が突如断たれたが、それはきちんと繋いで行かなければならない、という言葉でした。後の吉野学芸員の発表と合わせて考えると、よりずしりと重く響いてきます。
 「地域の記憶の継承」は、松井准教授が発表された石巻の事例や安藤教授が発表された北条地区の事例にも共通するものです。そして、それらの記憶の継承は、その地域に生きる人々の意志あってこそ生きてくるものだと思います。
 今回の各発表では、行政の被災文化財救援体制や補助制度に対する不信や疑問が、主に大学の先生方から呈されていました。もちろんそれらの公的制度が充実しているに越した事はないのですが、まず、肝心の地域住民が「歴史の証となる記録や記憶を残していきたい」という意志の下に自ら動かない限りは、どんなに良い制度ができてもそれらは絵に描いた餅になってしまうに違いありません。また、大学やその他の専門団体による文化復興支援には、コーディネーターによる細やかな調整が必須である、という訴えもありましたが、そうしたコーディネートは、地域の人々と相互に理解し、意志や意欲を適切な方向に繋ぎ、盛り立てていけるものでなければならない、と考えます。
 復興も、復興支援も、なかなか単純明快にはいかず難しい面が多いと思います。しかし、であるからこそ、今回のシンポジウムのように皆で知恵を合わせて考えながら、ゆっくりでも歩みを進めていくことが重要であり、また、苦しみながらも先に進まなくてはいけないことなのだ、と、痛感させられました。

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