イラク人質事件報道について
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4月10日付け記事でもちょっと触れた、イラクの人質事件のうち先に起きた方について、その後の報道のされ方などに何か違和感を覚えて仕方なかったのですが、どうも、日本政府の意見とマスコミ(主に週刊誌)の意見が被害者を非難する方向で一致しすぎているからだと思います。
被害者3名のイラク行きは確かに善意から発したものではありましたが大変無謀なものであったのもまた事実であり、また、被害者の家族とその取り巻きによる政府批判(家族は感情としてやむを得ない面もありましたが取り巻きが便乗したのがちょっと・・・)が、陰で工作を続けていたであろう政府関係者の感情を逆なでしたのは想像に難くありませんし、また、報道を見聞きした人々の中にはカチンときた人もいるでしょう。ただ、マスコミと政府の意見が奇妙に一致していて、世論もそちらに傾いている感じがするのが何だか気持ち悪いです。結果的にそうなっただけかも知れませんが、政府のお墨付きを得た報道というのに抵抗感があります。
今回の一連の報道について、個人的には、被害者たちが脅迫されて過剰な恐怖の演技をしたことがどうして責められるのかがよくわかりません。というか演技であろうがなかろうがどちらでも良いではないかという心持ちです。待遇が悪くなかったとはいえ、逆らったら何されるかわからない状態に置かれたら何でもするのが、特殊訓練を受けていない人間としては自然だと思いました。危険に満ち文化も違う異国の地へ特殊訓練も受けず、十分な生命の覚悟もなく生半可な信念のみで行くのは無防備である、というのが批判する側の論旨であり、それは確かにその通りなのですが、だからと言って無防備な人間があのような状況下で示す当たり前の反応を鬼の首を取ったように責めるのはつまらないことです。
被害者たちがPTSDのため記者会見拒否、に対する批判についても同様に「つまらない」という印象を持ちました。事件の状況が彼ら自身の言葉で解明されない以上、PTSDについて邪推することも、逆に全面的に納得することもしてはならないと考えます。もっとも、被害者のうちジャーナリストの方には仮にも報道をメシのタネにする立場である以上口を閉ざさず語って欲しかったと残念に思いました。
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