『図書館の近代』感想
6月20日付け記事でも記した『図書館の近代』について研修途中に読み終えていたのですが、なかなか感想を記す時間がありませんでした。
全体の印象としては、第1~3章までの密度の濃さにくらべると第4章が少々駆け足のように思いました。第1~3章には戦前の国家による国粋教育に組み込まれた図書館活動や、植民地で展開された図書館政策など言わば負の図書館史に関する興味深い記述が続いただけに、4章について残り少ないページの中に細かな話題を数多く詰め込み過ぎの感がぬぐえませんでした。それでも、これまであまり取り上げられていなかった負の図書館史について掘り起こそうとした試みは面白かったと思います。
ただ、全章を貫いている、国家が統一的な図書館政策に乗り出すことすなわち思想統制とする視点に対してはどうしても賛同できません。例えば日本図書館協会が成立のための旗振りを行っていた「図書館事業基本法(振興法)案」については、公共、大学、専門などの館種ごとに縦割り状態の図書館界を連携させるというのも一つの目的であったようなのですが、公共図書館界では国家統制により図書館の自治が失われると主張することにより、同法を廃案に追いやったそうです。もっともこの廃案には『ず・ぼん 9』のインタビュー(参照:6月14日記事)によれば、旧文部省の思惑も大きく働いていたとのことですが。
図書館の役割の一つに、本という広範な知識情報の実体化したものを取り扱い利用者に提供するというものがあります。知識を得る権利というのは国家の政治体制がいかなものであろうと左右されることがあってはならず、このため、図書館員は情報の提供にあたって主体性を持って行う必要があると確かに思います。『図書館の近代』でもふれられている1960年代の日野市立図書館の発展は、そうした主体性なしには生まれなかったでしょう。
しかし、日野市の図書館計画の立役者である有山氏や前川氏について重要なのは、それまでの行政を批判するだけではなく、市民および為政者に働きかけて賛同を得、必要な資金を確保するような説得力を有していたということです。行政側は公共図書館にとって大事な出資者(金づる)となります。その金づるに対し、目先のことしか考えず説得力に乏しい闇雲な反発を行うことは、自分で自分の首を絞めかねないと考えます。
国が地方の図書館政策の動きを妨げるような場合は慎重に行うのが望ましいですが、行政制度が国―地方というルートで成り立っている以上、国家政策=敵と見なす発想は硬直的すぎるのではないでしょうか。もう少し柔軟に、多少の意見の違いは割り切ってしたたかに立ち回ることで、公共図書館にとり広い道を拓くことができると思うのですが、それは甘い考えにすぎないのでしょうか。そんなことを深く考えさせられた本でした。
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