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2004.09.30

癒しのための時の流れ

 本日帰宅したところ、連れ合いあてに、彼の高校時代からの親友の奥様から手紙が届いていました。親友が2ヶ月半前に天に旅立たれたとの報せでした。連れ合いと彼とあと2人が高校時代からの4人組仲良しグループで、互いの結婚式には当然のように呼ばれ呼び合い、私も新婚家庭にお邪魔したことがありました。ここ2、3年は忙しさにかまけて年賀状のやりとりぐらいしかできていなかったものの、元気に暮らしていると信じていたのですが・・・。
 亡くなった状況等、手紙には一切記されていなかったので詳しいことはわかりませんが、連れ合いの衝撃は察するに余りあります。自分も高校時代に仲の良かった友人を大学生の頃交通事故で亡くしましたが、その子との思い出―とりわけ2人きりで修学旅行の班行動を抜け出して回った旅先の思い出―が、もう自分の心のうちにしか残っていないのだと思うと悲しさでいっぱいだった覚えがあります。十数年経過した今になってやっと、それらの思い出を温かく慈しむことができるようになったように思います。それだけの時間が必要だったのでしょう。
 せめて、奥様の今後の幸福を祈りつつ、今夜は筆を置くことにします。

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コメント

「もう自分の心のうちにしか残っていないのだと思うと悲しさで」
 これは悲痛ですね。
 記憶共有者の完全な喪失は、しんどいことだと思います。

 加齢とともに、自然にそういうことが増えてくるので、私も身につまされます。

コメントありがとうございました。
上記の友人の時は、事情があって葬儀に出ることができず、直接別れを告げることがかなわなかったため、自分の心に区切りをつけるのに余計に時間がかかったのかもしれません。
死者を弔うために積み重ねられるさまざまな儀式というのは、死者自身の魂を癒やすだけでなく、家族や親しい者が現実を徐々に正面から受け入れ納得するために存在するのかもしれない、と今回あらためて考えさせられました。

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