あまりにも年末年始
年末年始の行動覚え書きです。他人に見せるようなものではないかもしれませんが、まあ、こんなお正月を送りました。
12月31日:積雪の中、婚家に到着。連れ合いの両親、義兄一家とにぎやかに紅白を見る。平原綾香の「Jupitor」に癒される。マツケンサンバを「綺麗」と思ってしまった自分が悔しい。さだまさしさんの「遙かなるクリスマス」の歌詞の重さにぐっと来る。入浴して出てきたらチャンネルが民放に替えられていた。紅白のトリを見られなかったが別に残念ではない。8歳の甥っ子が何と粘って起きており、除夜の鐘を聴きたいと言うので再びNHKを見る。無事2005年を迎えることができてなにより。
1月1日:朝いちで甥っ子にお年玉授与。家族で年始の挨拶。昼前に新宿に車で出て、ヨドバシカメラの福袋を物色。バスでの帰省なので購入は諦める。義兄が買った箱を開けたところ、DVDプレイヤーなどが入っていた。以前は微妙に使えないポケットカメラとかが入っていたがだいぶ質が向上したかもしれない。午後は近所の八幡様へ初詣。近隣の人が行列している。並んでやっとお参り。おみくじは引かなかったが錦のお守りを買う。夕方から伯母一家が年始のご挨拶のため来訪。他愛ない会話が楽しい。一気に4人分のお年玉が出払う。甥っ子は連れ合いの従姉の息子さんたちとわーわーと遊ぶ。盛り上がった揚げ句、そのまま甥っ子は伯母宅に泊まりに行く。と言っても伯母宅までは徒歩1分(^_^)なので親も安心して預ける。甥っ子のおじいちゃんがひとりさびしがっていた。
1月2日:朝食はとろろご飯。ちょうど良いと思っていたとろろの味付けは義父や義兄には薄かったらしい。覚えておこう。午前中は家族で甥っ子のポケモンすごろくにつきあう。ルールが多少複雑化してもすごろくはすごろくなのでそれなりに面白かった。ババ抜きにもつきあう。ザ・お正月である。遅い昼食を摂った15時頃義父の車で東京駅に送ってもらう。どこの道路も渋滞で東京駅まで1時間かかる。一所懸命抜け道を選んで走ってくれた義父に深く感謝。下りの高速バスは嘘のようにスムーズにつくばへ到着。1時間ほど自宅に滞在している間に洗濯、年賀状の返事書きを済ませ、今度は筆者の実家へ。後は夕食をいただきこたつに入り時代劇をぼうっと見て入浴して寝ただけだった。
1月3日:朝食はお雑煮。少し母親のPCの面倒を見る。たいがいこのマシンもおんぼろになってきた。昼食はちらし寿司。昼食を摂りつつBSハイビジョンの「風と共に去りぬ」を見る。何度か見ているはずだがとりあえず飽きない映画。スカーレットのひたすら意志の力で突っ走る行動には「すげー女」とただ口を開けて見ているしかない。見ている分にはいいけど現実で友だちにするならメラニーだろう。病弱で大人しいけど芯はたぶんスカーレット以上に強い。バトラーは自由奔放でしたたかな男性なのだけど、本当に愛するスカーレットを手の内に納めることができず、代用品のように娘を溺愛する。そして娘を喪ったとき彼は何かを諦めて去っていってしまう。物語のラストでそんな彼が大変哀れに思えて仕方なかった。―そんなことをしているうち時刻は夕方に。翌日4日を出勤日にしたことをちょっと後悔しながら、夕食前に自宅に戻る。食べ続けてお腹がつらいので、夕食はかけそばにした、はずだったが、麺の量が多すぎてより一層お腹が張って苦しむ。でも食後のお茶請けにいただくお菓子は別腹に収まるのが不思議。
・・・こうしてわが家のお正月は終了しました。例年のことではありますが、今年は休暇が短い分なおあわただしかったように思います。来年は絶対余分に年休を取るぞー!
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