図書館員が「働く」ということ
「笛と私と図書館と」のエントリー「図書館員は図書館好きじゃない?」を読んで自分の身に置き換えて考えたことをつれづれ。
筆者の勤務先は研究所に附属している図書館が中心で、人事異動の際には系列の図書館を渡り歩いております。系列であっても異動してみると仕事のやり方とか予算の使い方の細かいところに違いが多いので、その都度新鮮ではありますが「一からやり直し」するのがそれなりに大変でもあります。だから仕事そのものに飽きることはあまりありません。
ただ、異動しても上位にある組織は共通なので、勤務先が変わっても根本的に変化しない問題―人員配置や予算配分方法などの問題とか、世間のバッシングで年々厳しくなっていく業務環境とか―に対する閉塞感はあります。そうした状況下でもがんばってやってやるぞ、という気概を持っているつもりではいますが、同時に、
「これ以上仕事が増えたらどの受け持ち業務も中途半端にしかこなせなくなってしまうし、体力的にも限界がくる。お願い仕事よ増えないで・・・」
と考えてしまうのも事実です。その「仕事よ増えるな」という心理は自分の仕事に対する誇りとは全く別の場所から出ているのだと思います。
もうひとつ、「図書館の仕事に対する熱意」について。筆者の勤務先の恐らく他と比べて特殊な状況に触れますと、いくつかある系列の図書館のいずれもが所属研究所の広報部門や論文刊行部門、ひいては内部のコンピュータシステム管理部門を兼ねています。従って、異動した先で必ずしも「図書館の仕事」ができるとは限りません。しかも現在の自分の立場では、上記の仕事を広く浅く担当すると同時に図書館業務も担当しています。だから、図書館の仕事に専念できる、すなわち熱意を発揮できる立場にある人がうらやましくあります。せっかくどっぷり図書館の仕事をしているのにぜいたく言うなー!という感じです。もっとも違う立場から見れば、「少しでも図書館に関わることができているだけあなたの方がまだまし」という考えもあるかもしれませんが。だいたい管理職になってしまえば図書館の実業務なんてほとんどできないわけですし。
一足飛びにごく私的な結論。図書館の多くがどこかの組織の一部として機能しなければならない以上、熱意を抱いても報われるとは限りません。逆に報われない熱意を発揮することで閉塞感が増幅されることもあります。しかしそうした閉塞感の増幅と、図書館員が仕事に臨むにあたり尽くす誠意の度合いとは必ずしも比例しないと思います。比例してしまっているとおぼしき人も世間には存在しますが:-p、そうした人は図書館の仕事の面白さを理解していないか、あるいはそもそも図書館の仕事ではなく何らかの違う仕事に資質を有している、つまり図書館員に向いていない方なのでしょう。向いていない仕事を職務命令でこなさざるを得ない悲劇というのが社会にどれほど存在することか。さて、我が身を省みて、自分は100%図書館員に向いている、と断言できる方は何人いらっしゃいますか?ちなみに筆者はレファレンスや目録業務は好き(得意とはあえて言わない)ですが、整理整頓とか予算の取扱いとかは苦手なので、図書館員度は比較的低いと思われます。それでもたぶん、図書館の仕事が割と好きだからこの職業を続けていられるんでしょうね。
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