本当の無礼講とは
先週、突然「明日、4月に転勤してきた方々を囲む宴席があるのでよろしく」と言われたので、都合を付けて翌日参加してきました。
その飲み会でとある新しくいらした目上の方とお話ししました。その方と飲み会をご一緒するのは二度目でしたが、一見強面でありながらたいそう多趣味でちょっとオタク入っているかも?な雰囲気で、話題も豊富でお話ししていてとても気持ちがよいのです。そうした気持ちになるのはどうも話題の豊富さだけではないことに気づきました。何でだろう、と思いしばらく観察していたところ、理由らしきものが見えてきました。その方、話題の上でとある人をネタにして落としたとしても、必ずまたぐんと持ち上げてほめるのです。例えば、
「Aさんはあの時こんなバカなことを言ったけれど、でも、一所懸命仕事してすごく良い結果を残してくれた」
「見習いで勉強に来ている彼は今回こんな至らないことをしたけど、本来はきちんとしたふるまいのできるまじめな奴だ」
等々。また、人の言動を揶揄したとしても人格攻撃はしない。話題の対象が目の前にいるかいないかとか、上司であるか後輩であるかとかに関係なくそのスタンスは変わらない感じ。一見べらんめえ調にも見える語り口の影で、大変繊細な気配りをされているのだな、と思いました。
飲み会の席というのは自分も含めてどうしても気持ちがゆるむわけで、そのためか「それはどう考えても人格攻撃だろう」とか「ここにいない人を口汚く中傷しているだけ」という話題をされる方もいて気分を害することも少なくありません。自分自身を振り返っても、最近ではほとんどなくなったものの、気づいたら相手をかちんと来させていて後悔先に立たず、ということが若い頃何度かありました。
公的な飲み会に参加する方にはこのようにあってほしい、と思うのは、ごくごく親しい者が少人数で差しで飲んでぐちを吐き捨てる飲み会ならともかく、ある程度の無礼講が容認されたような場であっても人の人格は常に尊重していただきたいということ。どんな欠点のある人にも裏返せば美点はあるわけで、人を貶めっぱなしにするのはやめてほしい。そのような言動は発言した人自身の人格についてもまた貶めるだけだから。そんなことを考えさせられた宴席でした。
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