疾風怒濤?の頃のこと
本日とある場所で、母校(高校)のウェブサイトにまつわる話題を目にして、久々にそのサイトにアクセスしてみました。母校、筆者の在籍時は築約25年のオンボロ煉瓦校舎でした。卒業してから7年後、新しい校舎に建て替えられております。新校舎は外側からしか見たことがありませんでしたが、ウェブによれば、どうやら現在では吹き抜けのアトリウム(中庭というか広場?)があって、オーケストラ部(これは在籍時既に存在した)がコンサートを開いている模様。しかもクリスマスシーズンには毎年美しく飾り付けられた大型ツリーが設置されているとか。いつからそんなおしゃれ感満載な学校に・・・?
ふざけんな、くやしいぞ、と言いたいところですが、もしかしたらおしゃれじゃなかったのは自分だけかも知れません。何せ校訓が自由・自律・叡智・創造。トップに「自由」が来ております。しかも昭和40年代の学生運動で制服も撤廃されて通学は当然私服、学校で指定されているのは体育のジャージと運動靴ぐらいで、校則もほとんどありませんでした。周囲には確か化粧をしパーマをかけている子もいた筈です。しかし自分を振り返ると、化粧気ゼロ、服装はスカートもはいてはいましたがシャツにジーンズ率高し。放課後やっていることと言えば、図書委員(母校では『図書局員』と言った)に知り合いが多かったのを良いことに、自分は局員でもないのに学校図書館でたむろし、本も借りずに友達と騒いで注意されるか、自転車(冬は地下鉄)で繁華街の書店に出向いては、長時間お小遣いで買えないハードカバー本やマンガや雑誌の立ち読みをすること。一女子高生の生活としてはどうかと思います。その上、今にして思えば言動にも痛い(現代で言えば“オタクっぽい”)ところがあったので男子生徒にはバカにされていたような気がしますし。
まあ、それでも高校では友人たちに出会えましたし(卒業してすぐ引っ越してしまったこともあり今もつきあいがある相手はごくわずかになってしまいましたが)、また彼女らから数々のマンガや小説を教えてもらいましたし(『銀英伝』にはまり有志で同人誌まで出したなあ)、それなりに意義のある時間ではあったのかも知れません。振り返ると、まぎれもなく自分の原点はあの時代にあった、と確信できます。
大体、あの頃、司書という職業を目指すことを何故か親に勧められ、「そう簡単に言うことをきいてたまるか」と心の中で反発していたのですが、図書局員の友人たちが、暖かな人柄に定評のあった学校司書さんや図書館担当の先生の元で実に楽しそうに仕事をこなしているのを横目で眺めて「まあ図書館もいいかな」と思い直したのが図らずも今につながっていると言えるわけでして。
どうか、今まさに母校に通っている皆の現在が充実したものでありますように、と柄にもなくそんなことを思ってみたりするのです。
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