わたくし的この10年+α(4)
コンピュータセンターから異動した先は、図書館関係の部署が担当していた広報関係の職場。詳述はいたしませんが、上の方の指示に従って、ある時は職場のWebサイトのCGIスクリプトの改造に励んだり(中身はもう綺麗さっぱり忘れてしまいましたが)、またある時は購入理由書を一筆必要とするような高額な機械を買ったり、別の時には展示会に出張したりという日々をひたすら送りました。ここでは上に言われるまま動くばかりで、また、仕事の内容も他の系列館に手本を求めることができないような独特な種類のものであったため、今振り返ると井の中の蛙状態だったのだろうと思います。また、個人的にはこの頃結婚して生活環境が変化した上、家庭の事情でばたついていたこともあり、あまり周囲の空気を読んで冷静に考える余裕がなかったようです。
直属の課長がさすがにそのままでは職業人としてまずいだろうと考えられたのか、ここにいた最後の頃には印刷物に関わる仕事も少しですがやらせていただきました。その時先輩に鍛えられつつ学んだノウハウは、今も印刷物を取り扱う上でだいぶ役に立っていると実感できます。
結局この職場には2年半ほどいました。もう自分は図書館には勤められないのかも?と諦めつつあったある年の春突然、同じ部署が担当していた図書館に異動することになりました。その図書館は同じ系列の図書館の中では比較的規模が大きい所でしたが、働く人間の数は非常勤職員を含めて6、7人程度とさほど多くはありませんでした。しかし各人毎の分業は比較的はっきりしており、筆者は寄贈図書の図書館システムへの登録と、ILL業務を担当することになりました。そう、知らぬ存ぜぬで通してきた中央館の図書館システムに、とうとう触ることになったのです。このシステムは当時改良の過渡期にあり、操作には多少の慣れを必要としましたが、操作の流れ自体はすぐ覚えることができました。NIIのILLシステム講習会に参加したのもこの頃のことです。目録システム講習会も参加したかもしれませんがあまり覚えていません。
ここの館では親組織が大きかったこともあり、問題利用者に出会う確率が多かったように思います(例.図書室のソファで寝る方、督促状を自分に対するいじめと解釈して怒鳴り込む方など)。また、人間関係でも多少悩みました。しかしお金に困ったという記憶は特にありません。仕事に使うソフトの購入など、割と好きにやらせてもらったように思います。予算が潤沢であることのありがたさが身にしみてわかったのは、今の貧乏職場に移ってからのことです。予算があると言っても外国雑誌の購入中止問題などは存在していました。しかし、その事実がどんなに大きい問題に根ざしているか、その頃の自分には全く理解できていませんでした。(この項つづく)
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