もうちょっと人の善意を信じられないかな?
少々ダークな話題ですがご容赦下さい。
三十数年生きてると色々なことがあります。
他の人のたたいた自分に関する陰口が偶然自分の目や耳に触れる場所に飛び込んできてしまうとか。逆に自分が誰かに対して陰で吐いた悪意の言葉が相手に伝わってしまうとか。(そういう出来事があったのは最近ではなく、もう少し過去のことです)
「思い出バトン」の記事にもちらりと書きましたが、小・中学校時代人間関係であまりいい目にあったとは言えないこともあって、人間の言葉には善もあれば悪もあるということを幼心にたっぷり思い知ってしまったので、大人になってから人の悪意に触れても、
「あぁ、やっぱり。まあ相手も人間だし、自分にも落ち度があったし仕方ないや」
と受け流す訓練ができてしまいました。
しかしながら、やっぱり受け流そうとしても、こつん、と心に引っかかって外れなくなる時はあります。また、そういう状況を受け流せずに辛い思いをしている人も知っています。
#そういう状況に陥っている、と思いこんでいる場合もあるかも知れませんけれど。
だから、受け流せない人を「人間ができていない」と笑うことはできません。魚の骨をのどに引っかけたように取れなくなる、ささいな物事へのこだわりも、また人間ならではの習性なので。
でも、心の健康のためにはできるだけ受け流した方が良いと思います。そして、人の善意というものを少しでも信じるようにしてみてはいかがでしょう?だって、
「この人は本当は自分のことが嫌いなんだ」
とか、
「自分の行動や仕事が認められないのは、みんな自分を陰でバカにしているからだ」
とか思い始めたらそれだけで辛いではありませんか。
もっとも、自分に向けられた人の気持ちをあまりにスルーしすぎると、物の機敏を何も感じられない精神状態に陥ってしまいそうなのでそこだけは気を付けるということで。辛いときはそういうセルフコントロールが難しいのかもしれませんが、これからもうしばらく生きていたいならばそうしようよ、と言い聞かせてみたり。(誰に?)
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