『真面目な人には裏がある』批判について
ただいま夏休み中です。当初遠くへの家族旅行をもくろんでいましたが諸般の事情でそれは叶わなかったので、取りあえず近場に避暑の宿を予約し、後2時間ほどで出発予定です。帰宅は明後日になります。
さて、川原泉さんのマンガ『真面目な人には裏がある』(『レナード現象には理由がある』所載)について、同性愛者の描写に偏見があるとする批判が起きていることを知りました。
昔々のちびくろ・さんぼ論争の時にも感じたのですが、こういう問題は相手が「差別・偏見の対象になった」と感じてしまったらそれはもう、対象でない(と思ってる)人が違うと考えても「差別」「偏見」として認められてしまうのだと思います。
実際、例えば主人公とその親友が、クラスメイトの少年にホモ測定の悪戯を仕掛ける場面や、主人公の兄のゲイパートナーである青年(クラスメイトの少年の兄)の作中「バシリスク」と呼称される過激な性格設定は、カーラ教授、ちょっとやりすぎたかも知れません。
ただ、1点気になったのは、問題の批判を書かれている方はご自身の性的マイノリティを穏やかながらきちんと前に出して主張されているということ。一方で、『真面目な人には』のゲイカップルはかなり両極端。片方は過剰なまでに強引に自らの志向をマジョリティな人たち(主に自分や相手の家族)に主張して丸め込もうとし、もう片方は多分初めから自分の志向がマジョリティに理解されることを諦めています(ある意味乗り越えているような気もする)。つまり、後者のカップルには「中庸」というのが存在しないわけです。
この辺の設定が、性的マイノリティを「異形」ではなく数ある性格や志向の一つとして包み隠さず認めてもらった上で穏やかにありふれた生活を送りたい人達には、うんざりするものでしかないんだろうな、と思います。そして、マイノリティに対して比較的平らかな視点を持っていると信じていたカーラ教授の作品で、性的マイノリティをおちょくるような描写が現れたことは許されないのでしょう。
このあたり、自分は少なくとも性的にはマイノリティではないので(他にマイノリティな所は山ほど持っていると自負してますけど)、あくまで想像でしかありませんが。
本音を言えば、あのバシリスク氏の強引さに隠された内面とか、主人公の兄のどこがバシリスク氏を惹きつけたのかとか、また主人公の菩薩のような性格の兄がバシリスク氏を選んだ経緯とか、あの作品で直接描かれていない物語を読んでみたい気持ちはあります。決して川原作品に限って、本当に「ゲイの側が家族からあんなにひどい仕打ちをされてもほとんど怒りも悲しみもしない」ということはないと思うので。
でも、カーラ教授にそれを描くことは求めません。だって正面切った恋愛物はお得意じゃないだろうし。そもそもあの方の絵柄でベタな恋愛描写は読みたくないですし(暴言?)。
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