ある友人の死
水曜日に、大学時代の仲の良い同級生友人グループの1人だった女性の訃報を知りました。今年の年賀状が彼女のお父様の代筆で記されていたので、あれ?とは思っていたものの、あまりにも突然でした。ちょうど今週は怒濤の会議ラッシュ週間だったので、昼間は仕事に没入できていましたが、夜帰宅して気が抜けると途端にどかんと落ちる、ということがここ2日ほど続きました。
学生時代の彼女は、非常に真面目で聡明で、司書にでもなっておくしかないかと入学した筆者とは異なりちゃんと勉強するぞという意志を持って進学してきていて、だけどとても純朴で可愛らしいところもある女性でした。友人グループで順繰りに誕生パーティーやクリスマスパーティーを開いたり(当然のように女子オンリーでした)、同じストーリーテリングのサークルだったので市立図書館(1~2年生の頃は学内にあった公開図書室)等で共に活動したりもしていました。卒業後は地元の図書館に就職したのですが、子供の頃から患っていた持病の為に中途でその道を諦めざるを得なかったと聞いています。地元が離れていることや病気のこともあって、彼女とはついに再会できずじまいでした。
もう何年も入退院を繰り返していたようなので、この日が来ることを全く予感していなかったと言えば嘘になってしまうけれど、地元で静かに無理せず養生しながら暮らしていて欲しいと願っていました。彼女は敬虔なクリスチャンでしたので、この世から旅立った今は、神の御許で病の苦しみからも解放されているかも知れませんが、それでも、もう少しこちらの世界にいて欲しかった、直接会う機会が今一度あれば……と思います。
ごく個人的な思いなので、こちらに書こうかどうしようか迷いましたが、すみません、少しでも落ち着きたくて書いてしまいました。――いくら書いても彼女の死に対する悔しさは晴れてくれないのですけれどね。あと、色々思いつつも自分の日常生活は普通に回しているという状況が結構わびしかったりします。悲しくってもお腹は空くし、今日しかできないこともあったりするのですよ……。
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コメント
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その女性は、病の床に就きながらも
MIZUKIさんに年賀状を出したい、と思っていらっしゃったんですね。
そのことに感銘を受けました。
私がそんな状況になった時、同じことが出来るのか、そうしたいと思う友人がいるのか…
悲しくて悔しくて、何も考えたくなくて、
ロボットみたいにスイッチを切って全てお休みしたくても、
私たちは人間なんですよね…
投稿: すいすい | 2007.02.11 13:21
すいすいさん、ありがとうございます。
彼女は例えばお正月に病状が重くて入院しており、年賀状の返事が出せなかったとしても、後から必ず近況報告と聖書の祝福の言葉とを綴ったハガキをくれるようなそういう人でした。
多分、私だけでなく、誰に対してもそのように誠実に向き合う子であったと思います。
彼女のことがやがて日常に紛れていってしまうとしても、ずっと忘れずにいたいです。
投稿: MIZUKI | 2007.02.11 23:19