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2007.07.23

『世の途中から隠されていること』を読む

 300p以上ある本を全ページ読了する目的で図書館で借りることはめったにありません。何故なら読むスピードが遅すぎて、図書館の貸出期限までに読み切れない恐れがあるからです。これが原因で手を出さない(出せない)作家や作品は結構多いです。
 にも関わらず借りてしまったのが以下の本。

 世の途中から隠されていること : 近代日本の記憶 / 木下直之著

 広島の平和塔(旧日清戦争凱旋碑)のように、第二次大戦敗戦後、突然別の意味を持つ物に造り替えられてしまったオブジェだとか、「古墳時代以降の日本文化は天から降臨してきた天孫がもたらしたものであって、それ以前の石器時代人は現代人とは別の先住民族である」という説のように、ある時代を境に無かったことにされてしまった学説であるとか、文字通り美術史の「途中から隠されて」しまったことについての検証が、この本のテーマです。
 返却期限の前々日に何とか読了することのできた感想としては……木下先生、ごめんなさい、という感じです。自分の興味の方位磁針はどちらかと言えばサブカル的にオブジェや歴史を面白がってしまう傾向にあるのですが、この本では、純粋に学芸員そして美術史研究者として、ある時代に当たり前に存在していた美術品やそれに対する評価が恒久的に同じものではあり得ない、という極めて真面目な視点からオブジェの存在意義や学説の正当性が覆った過程について語られていました。
 無知なことに石器時代人先住民族説だとか、特別名勝兼六園の中に建っている明治紀念之標がごく一部で余計物扱いをされていた(でも平成4年に解体修理は完了している)なんてこの本で初めて知りましたし、その他の美術史上「隠されたこと」についても知らないことだらけで、大変勉強になる本でした。また、オブジェや学説が最初に造られた(唱えられた)時代、そして作者や研究者に対する敬意も文面から感じ取れて、読後感も良かったです。
 ただ、ごく個人的趣味で言うと、同じように世の中に残されている違和感をもたらす物件について語るのであれば、どうも建築探偵とか超芸術トマソンのようにアーティストの目線から見た美術批評の方が心にフィットするようです。自分的にはもっと詳しく語って欲しいポイントを、淡々と語って流されて肩透かしを喰らってしまうようなそんなところがこの本にはありました。
 とは言え、この本の文中に一貫している、「隠されていること」をそのまま「無かったこと」にしてはならないという視点はやはり大事であると思います。例えば、著者が1995年当時兵庫県立美術館の学芸員として体験した阪神・淡路大震災の直後、大学の研究室に依頼して彫刻の耐震調査を行った際に「彫刻の重さ」を聞かれて、それらの縦・横・高さについてのデータは存在したものの、重さのデータは全く存在せず答えられなかったことに愕然とするエピソードなどは、まさにそれまで常識と信じられてきたことが覆され、逆に新たな常識(=彫刻にも地震対策が必要であり、その為には重量のデータが必須となる)が生まれた瞬間を切り取ったものと言えるのではないでしょうか。現在彫刻の地震対策はごく当たり前のように行われていますが、以前はそれが当たり前ではなかったという事実を忘れてはならないのだと考えます。

 地震と言えばちょうどこのエピソードの章を読み終える前後の7月16日午前、新潟県中越沖地震が発生しました。3年前の中越地震の影響が癒えないうちに再度被災した住民の苦しみは未だ続いています。被災者が1日も早く苦しみから解放され、傷が癒されていくのを願うばかりです。

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