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2007.10.31

全国図書館大会に行く(その2) : 文化の力 図書館の力

 引き続き、全国図書館大会全体会の参加レポです。前エントリはこちら

 

 10月29日15時5分過ぎにいよいよ井上ひさしさんの記念講演「文化の力 図書館の力」が始まりました。
 まず最初に山形県川西町にある、井上さんの蔵書を元に設置された「遅筆堂文庫」のスライド写真数枚とスペック(収蔵能力、職員数等)が投影されて、その後井上さんのご登場と相成りました。登場早々、演台の位置を1人で客席に近づけて動かし始める先生と、あわてて飛んでくるスタッフという構図が笑いを誘っておりました。
 「まずは(図書館大会に対する)祝辞から、ということなので」と、これほど長く続いた集まりは日本でも珍しい、とご挨拶。この集まりに参加すれば竹内悊(さとる)先生にお会いできるので、とおっしゃっていました。遅筆堂文庫の成立に至るまでには竹内先生のアドバイスが多くあったらしく、講演の随所で竹内先生のお言葉に言及する場面が見られました。
 小説家志望で夭逝したお父様の蔵書を「本をまたぐのは父親をまたぐのと一緒」と大事にし続けたお母様のエピソードや、高校時代の新聞部のエピソードの他、最近一部で良く知られるようになった上智大学時代の図書館からの貴重書泥棒事件(そのきっかけになった時間に厳格な図書館アルバイトの大学院生とは、後のこの方だそうです)についても触れられていました。
 在学中の昭和28年、言葉(方言)へのコンプレックスから吃音に陥り、夏休みに一旦お母様のいる釜石に戻って地元の図書館でアルバイトを開始。釜石の図書館から戦時中に遠野に疎開していた江戸期の黄表紙コレクション(江戸期から製鉄で栄えていた釜石の小間物店からの寄贈資料)を釜石に運び戻し曝書するという作業に携わる合間に、黄表紙の世界の面白さを知り……というのが今回のメインの話題でした。この黄表紙のストーリーの紹介や当時の出版界にまつわるエピソードが実に面白かったのですが、ここでは割愛。18世紀の駿河国小島藩(現在の静岡市の一部)の江戸詰用人であった恋川春町の『金々先生栄華夢』、同じく秋田藩留守居役筆頭という武士であった朋誠堂喜三二の『親敵打腹鼓』(挿画は春町が描いています)、唐来参和『莫切自根金成木(きるなのねからかねのなるき)』といった作品が紹介されていました。
 寛政の改革という不況に悩まされ、寿司職人すら手鎖の刑に遭った理不尽な時代において、勧善懲悪の否定(親敵打腹鼓)や、無欲故に財産を疎んじ使い切ろうとするが全て裏目に出て財産が増えていく夫婦の物語(莫切自根金成木)等のパロディに満ちた黄表紙がもてはやされたのは当然の流れであり、明日の暮らしも分からない市民を元気づけていた。この時代の悩みは構造改革で疲弊している現代にも共通するものである。失意のうちにあった筈の自分も、江戸期の人々同様に元気づけられ、言葉の問題で悩むのはやめにしようという気持ちになり、まずは看護婦の女の子にもたくさん出会えそうな(笑)国立療養所で働き始めることにした、とのことでした。講演では省略されてましたが、しばらく療養所で働いた後に井上さんは上智大のフランス語学科に転籍復学し、無事卒業されています。

 

 後半は遅筆堂文庫の設立にまつわるエピソードについて語られました。前の奥様との離婚で自宅を手放すことにした際、状況を知った神田の古書店や某大学(伊能忠敬の真筆の落札を井上さんと争ったことあり)が蔵書の買い取り交渉に訪れたが全てお断りし、結局生まれ故郷である川西町の農業青年に蔵書を託すことにした等の話は、著書『本の運命』にも紹介されていたので、改めて反芻しながら聴いていました。文庫には年間で5,000冊程度の寄贈を現在も続けられているそうです。
 文庫および複合施設の設置にあたっては、竹内先生の「人の集まる場所に」「司書と利用者の目線を同じに」というアドバイスが重要であったようです。特に前者の「人の集まる場所」については、複合施設に700人規模の劇場が設けられることにより実現できた、とのことでした。井上さんは周囲に人の集まる場所=盛り場を作りたくて、かつての自分の母親と同じ立場の未亡人を招いて団地を造って酒場などを開いてはどうか、と提案したが実現しなかった、というお話を披露して会場に笑いが起きていました。
 最後は図書館というのがどういう場であるかというお話に移りました。例えば天皇陛下が世界中の元首とお知り合いであるように(ここで陛下を持ち出すのが井上さんらしいですが)、図書館というのは(本の世界を通じて)世界中の人と知り合いになれる場所であり、そして人と人とのつながりを作る場所であると思う、そうした場になるようこれからも図書館の皆さんには頑張っていただきたい、という言葉で講演が締めくくられました。

 

 ディープなファンでは無いものの一応卒業研究で井上さんをテーマにしたこともあるファンの端くれとしては、この講演の為だけに(分科会要旨集等の大会資料はしっかりいただきましたが)7,000円の会費を納めたことが全く惜しくない、実に幸せな2時間でありました。いつの時代も変わらず存在する悩める若者の運命を1冊の本が変える可能性や、図書館という場の可能性についても、ちくりと社会風刺を交えながら温かい口調で語られ、きっとファンではない図書館員や学生さんにも楽しく聴けたのではないかと思います。
 黄表紙作家達については井上さんの『戯作者銘々伝』に詳しい筈なのですが、そう言えば買うだけ買って積ん読にしたまま実家に置いてきてしまったかも知れません。いや、そもそも購入していたかどうかも疑わしいのですが(^_^;)。そのうち帰ったら探してみよう。

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コメント

詳しいレポありがとう。
ずっと楽しみにしてました。
さすがMIZUKIさん、詳しく丁寧な文章で、私も一緒に聞いた気になれます(笑)
「戯作者銘々伝」は小沢昭一さんがいっさいの脚色無しで一人芝居にしてたのを見たことありますよ。
一人称で、戯曲も書く井上さんの小説だから出来る技、と仰ってましたが、頭の上に被ってた手拭いを肩に掛けて猫背になるだけで老婆を表現した小沢さんを見た時はナマでガラかめ体験をしてしまった……! とおののいたものでした(笑)
あの頃は舞台ハマリしてませんでしたけどね。
私も思い出して自らの本棚を漁ってみましたが、あるはずの本がない! がーん。

どうもありがとうございます。お読みいただき何よりです。
観に行かれた1人芝居は『唐来参和』でしょうか?良い物を観ましたねー。調べたら、小沢昭一さんがとうに喜寿を越されたお歳だと知り驚いています。
そういえば会場には手話通訳と文字通訳が入っていたのですが、文字通訳の方が戯作者の名前を文字に起こせずお困りのご様子でした。恋川春町が「ホイカワハルマキ」になってました(笑)。「トウライサンナ」なんて確かに文字に起こしづらい名前の読みですよね。

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