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« 学校司書と学校図書館について考える | トップページ | 第36回生物医学図書館員研究会(2009.9.12) »

2009.09.19

司書のIT化の話

 丸山さんのブログで取り上げられていた日本の司書のIT低順応性問題の話(先輩方がIT化の流れについていかなかったこと)について思ったところをごく簡単に、例により考えの浅い人間なのでぼろが出ない程度に一言だけ書いておきます。

 IT化=人間軽視とされていた時代はかつて確実に存在しましたし、そんな時代が20年ほど前の私にもありました、と思い返しました。公共図書館においてはIT化よりも利用者との対話だとか、実地のOJTで学ぶ実務経験の積み重ねが大事だという思い込み。
 今にして思えばそれはコンピュータ嫌いだった自分への言い訳だったような気もしますが。今でもそっちの才の無さにため息尽きっぱなしですが、それはさておき、少なくとも20年前にも図書館情報学の教育課程にコンピュータ関係の演習科目は存在していました。司書講習は知りませんが大学の司書課程の科目にもあった筈です。
 しかしどういう訳か、図書館でのIT技術において要は使う心構え次第であるという意識が進んだのは意外と最近かと思われます。どこで図書館界、特に公共図書館界は間違えたのか?と考えて、前記のような人的要素重視のあまりそうした意識改革が遅れたんじゃないか?という考えに至ったわけです。「多分」であり、それが本当に正しいかは分かりませんけれど。

 まあ、今は少なくともIT対応なしでは生きていけない図書館が多数なわけですし、少なくとも20ン年前からITもそうじゃないものもきちんと勉強していた人はしてたのですから、そういう人が反省を込めてこれから考えていけばいいんじゃないですかね、と無責任なことを考えています。所詮この分野では外野ですので、放言すみません。

 あ、上のブログで言及されていた、「図書館の非正規職員が何か言っている」「図書館の非正規職員が何か言っている2」はともに読んでます。確かに図書館だけが人生ではなく、能力の発揮は他でも可、というのはそりゃそうだと思いますが、少なくとも現時点で図書館の正規職員ではない人(あ、これは自分も『図書館の』という意味では同じです)が、上から目線で非正規職員をdisるなよ、ついでに既得権益を守ろうとしている正規職員を鼻で笑うような真似はいくら匿名でもするなよ、と、ちょっと悲しかったです。

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図書館」カテゴリの記事

コメント

米国の図書館におけるIT化の歴史を日本語で読めるものがあれば,日米での図書館におけるIT化への取り組みを比較できるのかもしれませんね(とりあえず今のところ見たことがありませんが…)。

ただ、米国ばかりではなく、シンガポールの図書館やお隣の韓国、中国(特に上海)の図書館など、図書館の基本的なサービスとしてITへの取り組みに積極的な様子を感じてます(ちなみに、シンガポールは英語圏として捉えて良いとおもいますが、韓国や中国はハングル後などの漢字文化圏。日本が漢字を使う国だからという言い訳は出来ない状況)。また日本においても文科省は2000年に「2005年の図書館像」を表し、その後も「これからの図書館像」を発表しているにも関わらず、多くの公共図書館はそれを実現できていない…という現状。デジタルアーカイブなどはその一つだったりします。

過去をあれこれ言ってもしかたがないので、これから日本の図書館をどうしていくか…それを本気で考え本気で実現しなければなりません。実現しなければならないと…思うのです。

丸山さん、コメントありがとうございます。

これまでの取り組みについて資料の裏付けがあれば一番良いのですが、こうして書いておけばそのうちどなたかその道に知見のある方が見つかるかも?と思い、あえて裏付け無しに記してみました(他力本願(^_^;))。

また、今の中韓、シンガポールについてですが、恐らく、
「文化・経済の発展から国益に結びつけるために図書館でもそうした取り組みが必要」
という意識が極めて高いのではないでしょうか?
公的事業を内容を問わず一括りにして、いかに減らすかにきゅうきゅうとし、政権交代でそれがより加速しつつある殺伐とした日本国において、そうした意識が醸成されるかはちょっと苦しいのではないか、という気がしてなりません。

諸外国の図書館のあり方を、
「文化・経済の発展から国益に結びつけるために図書館でもそうした取り組みが必要」
と読み解くのは、さすがですね。まさにその通りだと思います。

そう考えてみると、実は日本の図書館は、戦後の「図書館の自由に関する宣言」の中で、『国益のための機関にはならないよー』を高らかにうたっているようにも思います。なので、政府(国家)がなんらかの図書館政策を持つことをそのものを、図書館の先人たちは拒否しているのではないか…と。

そう考えてみると、文科省が作成した「2005年の図書館像」も「これからの図書館像」も、国家政策としてトップダウン的に「これからの図書館はこうしなさい」というのではなく、あくまでも地方自治体や図書館自身の自主性にゆだねている(現状の図書館界に対して国家の図書館政策として「こうしなさい!」は通用しない)。といった背景があるように、強く感じますね。

>丸山さん

> 政府(国家)がなんらかの図書館政策を持つことをそのものを、
> 図書館の先人たちは拒否しているのではないか…と。

はてブ(http://b.hatena.ne.jp/entry/hibiki.cocolog-nifty.com/blogger/2009/09/it-59c2.html)でも言及されてますが、多分そういうことだったのでしょうね。国による施策すなわち「国家による図書館の管理」であり統制につながるものと見なされたと申しましょうか。

もし図書館事業基本法が成立していたら、少なくとも大学と公共とで現状ほどに乖離することはなかったのではないかと思います。
まあ、あれは大学の学術情報事業を囲い込みたい人達がいたから、という事情が一番大きいですし、成立もしていない法律の是非をどんなに言っても「もしも」にしかなり得ませんが。

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