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« 極私的「図書館広報」論……と言いつつ大幅脱線しますが | トップページ | 司書のIT化の話 »

2009.09.06

学校司書と学校図書館について考える

 半月ほど前、公立中学校の非正規職員の学校司書として勤められている方の実録同人誌を某所で入手してまいりました。そのサークルさんの本は初めて入手しましたが、学校図書館で働くことの楽しさも息が詰まるような苦しさも、どちらも赤裸々に綴られている重い内容でした。

 学校図書館ってワンパーソンライブラリの宿命とはいえ、担当教員との相性がかなり仕事の要になってるっぽいのはちと辛そうだとか、管理職(校長や教頭)は逃げちゃあかんよ、とか、また、仕事へのプライドは主張しすぎると日本では遠吠えに聞こえてしまいがちだよね、とか、いくつか考えさせられる点はありました。
 しかし、一番身につまされたのは、その学校司書が選書権はしっかり与えられていながら、経費支出の権限などがない故に、例えば折角選書した図書の発注が先述のような担当教員関係のトラブルで中断する等、ある局面で歯噛みするしかないというエピソードでした。
 もう一つ問題の根深さを感じたのは、実はこれが今回一番言いたいことなのですが、学校司書が、業務運営に不満を感じていてそれを上に訴えようとしても、非正規の立場であるが故にそれを行うための技術、特に文書作成技術が鍛えられていないということです。
 今回読んだ本の中に、作者の方が学校図書館間の連絡会議に提出されたという意見書が掲載されていたのですが、切々とした言葉から「今の状況では不満で苦しい」ということは分かっても、んではどうして欲しいの?ということが理路整然と伝わってこないのです。

 自治体が「役所」により運営されている以上、その中で何事かを成すための文書は「役人が、役人として、役人のために書いた文書」でなければならないと常々考えています。つまり、伝えたいことがどんなに複雑であっても簡潔な説明にまとめられていて、その説明を裏付けるためのデータが数値や図表で明解に示されている文書。

 しかし役所の文書も、一般から見ると分かりづらい書き方をしてるじゃないか、と言われればそれまでですが、あれはあれで役所の中の人には理屈として成立する書き方になっています。批判はあるでしょうけれど、残念ながら所謂お役所な書き方をしないと、書類に目を通してすらもらえません。
 図書館業務のスキルアップは、図書館員が意欲と持続力さえ有していれば正規・非正規の別を問わず行うことができ、実際に、非正規職員で正規職員を遥かに超える高い図書館業務の技術を身につけている方も多くいらっしゃるのではないかと思います。しかし、文書作成技術だけはそうは行かないのではないでしょうか。
 学校司書さん、もしかしたら日本のどこかでは正規職員のケースもあるかも知れませんが、非正規雇用の方がほとんどという印象があります。経費支出権限や業務の決裁権がない以上、初めからそういう能力は求められていないし、発揮する機会もない。だからいつまで経っても役所向けの文書能力は鍛えられない。そういう側面はありそうです。

 とは言え、本来そうした業務改善の汲み上げと訴えを行うべきは、図書室の運営責任職員である管理職、あるいは担当の教諭なのだと思います。というわけで、これからもずっと非正規職員の学校司書を便利に使い続けるつもりなら、そうした人達――これからは「司書教諭」資格を有した先生方も多くなるでしょうか?――が、児童・生徒の教育技術だけではなく、もっと学校司書と連携し、かつ学校の経営母体=自治体の施策とも連携するために、一自治体職員として、自治体の一業務として学校図書館業務を動かしていく技術を身につけていく必要があるのではないだろうか、と考えました。

 実際に司書教諭課程を受けたことはないので間違っていたら申し訳ないのですが、恐らくは図書館を活用した教育を効果的に行うことが、司書教諭に最も求められている役割ではないかと考えています。しかし、それだけではなく、学校図書館を効果的に運営するための考え方や動き方についても是非学び、実践してもらいたい、と思うのです。

 と、偉そうなことを書きましたが、現実問題、先生方は本当に忙しいのだとは思います。なかなか理想通りにいかないとは分かっているつもりです。
 それから、文書作成技術について申しますと、自分もあまり人のことは言えません。未だに文書を作ると上司その他に真っ赤っかに添削されて戻されたり、そのまま突っ返されたりしています。
 この件、もうちょっと早く、できれば8月中にブログに上げたかったのですが、どう書いても問題が問題だけに重くなり、また、自分の悪い癖で長文になってしまうのを何とか短くしようとしているうちに、今日になってしまいました。しかも相変わらず文章なげーよ>自分。結局8月は1回しかブログ更新しなかったなあ。

 なお、これは蛇足かも知れませんが、非正規雇用=悪 とも、非正規の立場で働いている方=悪 とも、どちらとも考えてはおりませんことを申し添えます。

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コメント

「司書教諭に最も求められている役割」は、子どもへのレファレンスサービス、「子どもが読みたいと願う本」を提供し、読むことの楽しさを多く感じられる機会を用意することだと思います。

はじめまして。大学で司書教諭の養成に携わっている者です。

「もっと学校司書と連携し、かつ学校の経営母体=自治体の施策とも連携するために、一自治体職員として、自治体の一業務として学校図書館業務を動かしていく技術を身につけていく必要があるのではないだろうか」
まったくその通りだと思います。ただ,学校(司書教諭)の場合,図書館運営は数々ある校務の中の一つにすぎないわけで(専任司書教諭もおられますがほんのわずか),そこが難しいところでしょうか。

司書教諭課程でも,教育課程の中でいかに学校図書館を有効活用していくかというところは力説しますが,マネジメントについては必ずしも時間をかけない傾向はあるかもしれません。私自身,学生には,学校図書館の認知度が低い現状,司書教諭として説得力のある主張をできる力をつけておくことは重要なことですよ,と事あるごとに伝えてます。

皆様、コメントありがとうございます。

>てんさん
それも司書教諭の大きい役割のうちの一つであり、手間や努力を厭わずそれができることは司書教諭(そして学校司書)に必須の資質だと思います。
決してその役割に目がいっていないわけではありません。
また、今回取り上げた同人誌にも、子供の読書欲求を汲み上げ交流していくことの面白さが取り上げられています。その辺りを本文に書き切れなかったのは自分の筆力不足です。
ただ、それだけが仕事ではないんじゃないか?という素人なりの疑問を持ちまして、それで今回の記事を書かせていただきました。

>lomolibさん
私の見間違いでなければ、確かTwitterでもお世話になっていたかと思います。よろしくお願いいたします。
「学校図書館の認知度が低い現状,司書教諭として説得力のある主張をできる力をつけておくことは重要なことですよ」
仰るとおりと思います。
何となく、教員としての資質とマネジメントの資質は必ずしも両立しないのかも?という気はしますが(司書についても同様)、学校司書の働きがもうしばらくは欠かせないとすれば安心して学校司書が活動するために、また、専任司書教諭であるなら自身が充実した仕事をしていくためにも、やはり学校図書館を運営するための力を付けることは大事なのだと考えています。

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