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2010.04.18

井上ひさしさんの死に寄せて

 4月9日に井上ひさしさんが亡くなられたことが、11日の各新聞の報道で発表されました(スポニチの記事

 以前もこちらに書いたことがあったように思いますが、井上作品には特に大学生の頃、その豊かすぎる日本語表現と、放送作家、小説、エッセイ、戯曲という八面六臂の活躍の素敵ぶりにどっぷりとはまりました。どれだけはまっていたかと申しますと、岩波ブックレットで出ていた『井上ひさしのコメ講座』を読みふけるぐらいには影響を受けていたと思います。はまりすぎて卒業研究で書誌編纂に取り組んでしまったぐらいです。
 その卒業研究は、当時愛用していたワープロ「文豪」(CRTモニタ!)で記述し、2DDのFDに保存していました。そのうちPCのファイルに移し替えねば、と思いつつ時が流れ、今ではFD自体がどこに行ったか分かりません。
 ちなみに、せっかくまとまった論文を書く機会であった筈の卒業研究を、書誌という作品提出で済ませてしまったため、未だに「論文、あるいは総説であっても学術的文章を書ける人」に対し劣等感を抱いているわけですが、それについては今回は触れません。

 井上さんに話を戻しますと、ここ10年ぐらいは、学生時代程には活動を追いかけなくなっていましたし、卒業研究をアップデートすることも全くしていませんでした。戯曲の上演は『シャンハイ・ムーン』の初演を吉祥寺の前進座劇場で観たのと、2年前にチェーホフを題材にした『ロマンス』を観に行った程度です。それでも発表される新作の評価などにはゆるやかにアンテナを張り続けている作家の一人でした。
 ご本人を拝見した最初で最後の機会は、2007年の全国図書館大会での講演会でした。分科会などに一切興味はなく、本当にこれを聴くためだけに大会に参加した非道な会員です(だから出張ではなく年休を取っての参加でした)。その時の模様は、こちらのブログでもレポートしています(記事リンク)。ご自身と図書館との関わりや、「遅筆堂文庫」の設立エピソード等について語られていました。

 ところで、亡くなった直後に、「井上ひさし」でググった結果を見てみた所、賞賛と非難、両極端の評価が目に飛び込んできました。テレビ脚本・小説・エッセイ・戯曲と多岐のジャンルにわたる名作の数々。憲法改正反対論に代表される極左思想。元の奥様からのDV被害告発、等々。
 晩年に発表された戯曲の、穏やかで達観した老練のストーリーテリングの中に鋭い視点を秘めた作風も良いですが、一方で、初期のどぎついエログロに彩られたどす黒い作風にも捨てがたい物があります。かなり好き嫌いを選ぶ内容ではありますが、あれは人間というものに希望を抱きつつ、真っ黒な絶望がお腹の中で暴れ回っていたからこそ書けたものではないでしょうか。人間の希望というのは絶望に裏打ちされているということを身をもって体現した作家であったと思います。

 とりあえず、訃報を聞いてから10日近く経って、やっとここまで井上さんについて書けるようになりました。昨年ガン闘病中であることが公表されてから、70代半ばというお歳も踏まえ、ある程度覚悟は決めていたものの、思いの外自分の受けたショックは大きかったようです。
 前記のように、作品と無関係な部分でネガティブな評価も多い方であり、それはまあ仕方ない面もあるとして、個人的には、あれほど博覧強記で、ストーリーテラーで、かつ耳も目も良い(ミュージカルでも純粋なストプレでもない「音楽劇」の作り手でした)作家はそう多くはありませんし、これからも滅多には出ないと信じています。

 なお、当分、この方の名前でネットをググることはないと思います。
 ご本人は全部承知の上で堂々と自分を全うして生涯を終えられたと想像しますが、1人のフォロワーとしては、まだネガティブな悪意に満ちた言葉に耐えられそうにありませんので。 それが怖くて、自分が訃報をブクマしたはてブのコメントページすら見られない状態が続いております。実はTwitterのタイムラインに現れる、リアルでの友人・知人以外の関連コメントもスルーしておりました。お願い、そんな批判ブログのURLなんて張らないでー!などと。
 これが自身に対する批判であればもっと耐えられるのに。自身が汚され傷つけられるよりもっと辛い気持ちになるのは一体何故でしょう。

 学生時代に集めた井上作品のほとんどは、実家に置いてきてしまいました。これから、それ以降に発表された作品を少しずつ読んで、空白を埋め、そしてできれば上に述べた「気持ち」の意味を自らに問うていければ。そう考えています。

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