図書館情報大学橘会公開シンポジウム「―絆― 図書館と震災を語り継ぐ」
10月7日、図書館情報大学橘会主催で、筑波大学東京キャンパス(文京区大塚)で開催された標記のシンポジウムを拝聴してまいりました。
当日の模様については、以下のTogetterにツイート記録(半分以上手前味噌ですが(^_^;))をまとめましたので、こちらをご覧いただけましたらと思います。人名を中心に若干の誤字や揺れがありますが、ご容赦ください。
図書館情報大学橘会公開シンポジウム「―絆― 図書館と震災を語り継ぐ」(2012-10-07 筑波大学東京キャンパス)
前半の卒業生8名の方々のショートスピーチによる体験談、後半のパネル討議を通し、個人的に印象に残った発言はいくつかありました。
例えば、嶋田綾子さんの、
「困っている図書館員がいるので手伝っただけ。支援だとは思っていない。他の図書館に手伝いに行くことで、自分の良い経験となった」
の言葉にはまさにそのとおり、と膝を打ちましたし、千錫烈さんの、
「支援は1回何かをしたら終わり、ではない。地域に根ざして続きの支援に繋げていき、図書館をもう一度スタートラインに立たせる事を目標にしている」
という言葉も感慨深いものでしたが、中でも最も考えさせられた発言は、次のものでした。
佐藤さん:震災後に様々な支援の申し出をいただくも、直後には判断の余裕もなくまた外部との通信の回復遅延等から情報発信も入手もできず、気づけば通常は年度末に行う新聞雑誌の欠号補充が手遅れの状況に。甘えかも知れないが被災地外の図書館の方にはそうした状況に気づいて欲しかった。 #大橘会
— heppoko_lib (@heppoko_lib) 10月 7, 2012
「どうしようもなかったのかも知れないけれど、利用者に提供する資料に大きい影響が出てしまった。本当にどうにかできなかったのだろうか?」
という、心のきしむ音が聞こえてきそうな葛藤が伝わってくるお話であったと思います。
なお、シンポジウムに基調講演で登壇されていた日本図書館協会の方によれば、
西村さん:佐藤さんの仰る件、JLAで年度明けの5月にその欠号補充問題を知り、新聞社にかけあったが既にB.N.が処分されており間に合わなかった。反省している。 #大橘会
— heppoko_lib (@heppoko_lib) 10月 7, 2012
とのことでした。
自治体が被災した時、図書館のお兄さん・お姉さんである以前に自治体職員でもある図書館職員は、図書館の復旧よりも先に、ライフライン上位置付けがぐんと高い他の業務の非常要員として駆り出されていました。建物内に避難所が設置されるケースもあり、図書館職員が本来業務に専念することはまず不可能でした。更に通信網が遮断される中、外に声を発することも困難でした。
しかも東日本大震災が襲ったのは、日本の年度末のこと。年度末は、日本のお役所が「年度末処理」で忙しさのピークを迎える時期で、多くはお役所の下にある日本の図書館も例外ではありません。
図書館に対して最初にアクションできたのは、年度末処理等とあまり関係ないか、あるいは無縁な人達であったのは、そうした事情が背景にあると認識しています。
余談ながら自分も、直後には間抜けに見届けるしかない1人でした。年度末の各種処理に追われつつ、東北とは比べものにならない中途半端な被災状況ながら、震災直後の勤務先では、以下のような状況でした。
- 非常用の生活用水(下水用)を確保する。
- 電力は幸い確保されていたが、あるかないか分からない計画停電に備え、毎日の停電発令状況を注視しながら管理していたサーバを停止しなければならない。
- 年度内が納期となっていたとあるシステムの構築について、交通網の麻痺や出社停止等により受注業者が来訪できず、また必要な機器も輸送できない恐れがあったため、日程調整に追われる。
- 田舎故の車社会につき、公共交通網が自宅最寄りにない職員がガソリン不足の影響で出勤できない。
……書けば書くほど、中途半端さが恥ずかしくなってきたので、この辺にしておきます。
話を戻しますと、日本の非被災地の図書館で働く人達には、
「助けたいけど、自分達も手一杯」
「助けたいけど、何をどうやって手を差し伸べたら良いか分からない」
「助けたいけど、そもそもどうやって被災地まで入れば良い?」
という方が少なからずいらしたと推測します。
また、神戸や中越の地震とはまたタイプの異なる地震と被害であったが故に、その時のノウハウが通用しない、というのも大きかったでしょう。
しかし、日頃から図書館の業界として非常時の連絡・連携体制が作られ、こんな時は非被災地の誰が被災地にどうやってコンタクトする、というのが保障されていれば、もう少し早くどうにかできたのではないか?と思わずにはいられません。
多分、日本図書館協会の、
「大規模災害時における都県立図書館相互の応援に関する申合せ(平成24年3月9日決議)」
が、今後より具体的な運用手順を伴ったものとなり、また全国的な体制となれば、もっと状況は違ってくるものと思われます。
それから、「館種を超えた応援・協力」を前提としたネットワーク作りについても、言うのは簡単、実現しようとするととても大変なことであるのは容易に想像が付きますが、やはり必要なものです。今回のシンポジウムで聴いた話の中では、「盛岡大学被災地図書館支援プロジェクト」が良い事例です。
図書館同士・図書館員同士の、草の根の繋がりだけでなく、表立ったオフィシャルな繋がりの重要性を噛み締めた半日間でした。
最後に、中山伸一先生(現・筑波大学附属図書館長)がパネル討議の結びとして仰っていた言葉のツイートを引用しておきます。
中山先生からの結びの言葉:入院中の学長から「図書館は文化の香りを漂わせていてほしい」とよく言われていた。文化の根幹を支える人間がいなくなったら文化は途絶える。図書館はその中核にいて文化を支えていくべき。(続く) #大橘会
— heppoko_lib (@heppoko_lib) 10月 7, 2012
(承前)中山先生ご発言続き:図書館員単独で文化を出そうとしても文化を受け取る人間がいないと途絶える。図書館員同士が繋がり、絆を深めることで文化の継承に繋がる。今日のこの会の場も繋がりであると言える。(以上) #大橘会
— heppoko_lib (@heppoko_lib) 10月 7, 2012
以下、蛇足
誰かと協働して何らかの仕事に取り組めば取り組むほど、その誰かへの配慮で何も言えなく・言いづらくなってしまう(ぶっちゃけますと仕事に影響する事項を放言できない)、という状況はあると思います。
自分は現在図書館に身を置きながら、図書館業務以外を担当しているので(余談ですが、最近職場が替わりました。直接図書館業務担当ではありませんが、自分のキャリアパスを考えて納得ずくのポジションです。)、「図書館の外野」の立場として語ることはまだ可能ですが、図書館職員が「公に言えない」ことはたくさんあるわけで……。
今回のシンポジウムを拝聴した一聴衆としては、
「もしかしたらこういう場に出られるに当たって、勤務先等から何らかの制約は課されているかも知れませんが、よくぞ良い話を伝えてくださいました」
という感謝の思いで一杯です。
余談
昔々、十数年前、まだNIIが大塚にあった頃に研修に来た事がありました。今回はそれ以来の茗荷谷駅だったわけですが、昔来た時にはまだ、筑波大(と、当時はNII)に向かう曲がり角に「大塚女子アパート」がありました。
中にはもちろん入ったことがありませんでしたが(人の家なので)、あの素敵だった建物も取り壊されて久しいなあ……と通りすがったところ、旧女子アパートの敷地に工事中の囲いが。そして「(仮称)図書館流通センター本社新築工事」の看板が!
来年(2013年)9月に竣工予定だそうです。ず、随分と、図書館にご縁のあるものに化けますわね、と時の流れを感じながら、駅前のジョナサンで1人お茶して帰りました。
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