(前篇のあらすじ)
海老名市立中央図書館に出向いた筆者一行。撮影禁止の館内でスケッチとメモ取りで観察を試みるも、つい噂のオモシロ分類やガラスの向こうの郷土資料に目が行き……。
ということで、海老名市立中央図書館レポートの後篇にまいります。
図書館3Fでは割と疲れる出来事が多かったですが、気を取り直して2Fへ向かうことにしました。
2Fを見渡したところ、先程『魔都ノート』の棚番として検索機から示された「729242」に近そうな棚番があることに気づきました。探したところ、ありました!……天井近くの書架に。『魔都ノート』の分類は「アート/演劇・舞踊/演劇/演劇一般」なのですが、下の棚にはファッションフォト関係の資料が並んでいました。多分、天井にある本と下にある本とでは排架の流れが異なっているので、天井の本は館内マップでは適切にレコメンドできなかったものと思われます。
但し、この棚の天井は比較的低いので、キックステップなどの踏み台に乗れば普通に手が届く高さです。なお、下図のスケッチでは「720242」が大きく記載されていますが、実際には上の棚板にしっかり「729242」が表示されています。
ここで、我々一行(と言ってもたった2人ですが)はいよいよ疲れ切ったので、2F中央の吹き抜け回廊になっているエリアで休憩がてら定点観測することにしました。
吹き抜け部分にある書架には、「食卓のレシピ」という棚見出しが付けられ、「食」関係の資料が排架されていました(下図参照)。図では小さくなってしまいましたが、棚見出しには必ず英語と中国語が併記されていました。このような12段の書架が、横に11連、回廊にぐるりと並んでいる様子はかなり壮観です。
他の書架でも同様ですが、各棚には「ライフスタイル分類」の見出し板も付けられています。
調味料に関する本で、塩や酢については「塩 084」や「酢 085」といった分類が用意されているのに砂糖には分類がなく、『砂糖の歴史』(ISBN: 9784309225449)や『砂糖の事典』(ISBN: 9784490107630)といった資料が「調味料・保存食 083」の分類に収められていたりするのは、日本人の砂糖離れを如実に示しているのだろうか?等と考えながらじっくり観察しました。
「健康ごはん 057」と「その他健康ごはん 067」の違いはどこにあるのか?や、「スープ 024」と別に「野菜スープ 071」の分類が立てられているのは何故か?など、ちょっと系統的に理解できない要素は数々あります。これは確かにTRCが、資料を正しい場所に返却できない、とキレた意味が分かるわ、と思いました。
しかし、各資料の裏表紙には、下図のように排架分類ラベルが貼られていました。このラベルと背ラベルに従えば、恐らくどんなに慣れていない素人アルバイトスタッフであっても、ある程度正しい場所に排架することは可能であると思われます。ただその代わり、スタッフが排架した本は必ずしも著者順に並んでいなかったりもしますが、そこは誤差の範囲内なのだろうと想像。こういう所はCCC、流石本屋さんです。
また、同じスタッフが何度もこまごまと本を抱えて目の前の書架に詣でており、何でだろう?と目の端で思っていましたが、ここで図書館退屈男さんが「ここのスタッフ、排架にブックトラックを使っていない!」と気づきました。理由は尋ねたわけではありませんが、レファレンスカウンターにはブックトラックが置かれていたので、恐らく、ブックトラックによる騒音や開架スペースの占拠を回避するための配慮であろうと推察されます。もちろん、普通の公共図書館においても、利用者には十二分に配慮しながら排架作業を行っている筈ですが、これもまた本屋さんならではの工夫なのかも知れません。
(2015.11.3追記)
上記の「本屋ならではの工夫」、Twitterで友人とやり取りしていて少々疑問が生じましたので、以下、Twitterで募った投票を貼っておきます。少し言い訳をしますと、退屈男さんと自分は公共図書館勤務ではなく、あくまで利用者としての、あるいはン十年前の図書館実習での記憶の寄せ集めで上記を書いたので、ちょっと認識が甘いかもです。
(2015.11.6追記)
投票結果の考察について、Twitterで呟きましたので、貼っておきます。
(追記ここまで)
吹き抜けでふと上を見上げると、3F部分にぐるりと書架が置かれていました。数えると、何と6段書架×22連。全ての資料の背表紙を確認できたわけではありませんが、主に郷土資料、灰色文献類が排架されている模様です。ちなみにこの書架には、また汚い絵で恐縮ですが、下図のとおり、両端がフェンスで塞がれており、開架スペースから直接立ち入ることはできません。中間に2ヶ所出入口があるので、必要な場合はそこから出入りするようです。
あまり言いたくはないのですが、「また郷土資料のモニュメント化か……」と思いました。
何だかんだで1時間以上は休憩しながら定点観測していたでしょうか。
気づいたらとっぷりと日が暮れていたので、最後に少しだけ1Fを見学して帰ることにしました。
1Fの書店スペースで扱っている本は、公共施設なので当たり前と言えば当たり前ですが、ゴシップ系の内容のものや、R18なグラビアが載っているような雑誌は置いていませんでした。たまに興味がある内容や贔屓の役者さんが載っていたら買う演劇雑誌があれば買っていこうと少し思いましたが、その雑誌の販売はなく残念でした。
また、前篇の最初に、図書コーナーには図書館蔵書書架スペースと書店陳列書架スペースが共存している、と書きましたが、これは本当に同じ室内の入口から向かって左が書店の書架、右が図書館の書架、と言った具合になっていたので、「棚見出しが白地なのは書店、黒地は図書館」と図書館退屈男さんに教わるまではかなり当惑してしまいました。なお、左が書店、右が図書館、のサインは床にもきちんと掲示されている上、販売書籍購入と蔵書貸出は共通セルフレジで行うようになっているので、万一誰かが図書館蔵書と間違えて売り物の本を持ち出したとしても、恥ずかしい思いをすることは恐らくないと思います。
最後に感想です。
海老名市立中央図書館、図書館員の視点で考えると、「ライフスタイル分類」は不可思議過ぎますし、この分類を系統的に理解することは、相当難しいです。それ故なのかは分かりませんが、分類間違いも(修正は進められているという噂は聞きますが)あまりにオモシロすぎます。
また、郷土資料を飾りやモニュメントとして文字通り棚上げする姿勢も、地域の公共図書館の役割を半分以上放棄したのと同然という印象を与え、許し難いものがあります。
加えて、参考資料(二次資料)と一般資料(一次資料)が同じ並びで混架されているので、系統立てて資料調査を行おうとすると少々苦しそうです。
しかし、あくまで「本を借りて読むだけ」の利用者の視点で考えると、実際のところ、ライフスタイル分類は当初想像していたほど使いにくいものではありません。中では美味しいコーヒーも飲めますし、気持ちの良い空間と座り心地の良い椅子で心置きなく、ある者はくつろぎ、ある者は自習に励むことができます。それだけでなく、図書館に借りに来て見つからなかった本は、絶版書でさえなければその場で購入または注文することができます。
日本の社会において、
「本を借りて読むだけでなく、時には調査研究の場となり、時には起業の場ともなる公共図書館」
「司書がその地域のニーズを汲み取り選書し、棚作りを行う公共図書館」
という図書館に対する認識は初めからなく、今後もそうした認識が広く理解される可能性は薄いのではないか?と若干心が折れそうになっています。否、そこでやはり何らかの抵抗は必要である、でもこのまま「ツタヤ図書館」が成功例、好例として人々の記憶に残り、浸透してしまったら、それを覆すのはかなり大変なのではないか?と、あまり希望的観測が抱けない心境に陥っています。
なお、郷土資料の軽視については、地域ごとの特性や図書館のカラーというのは、均質化されたブランドや文化の浸透こそが真の狙いであるCCCに取っては、実は邪魔者に過ぎないのではないか?という説を図書館退屈男さんが提唱されていました。
これについては強く賛同するところです。日本のどこに出かけても同じ物が手に入るのはありがたいことである一方で、同じ物しか手に入らず、手に入れることでそこそこの満足を得てしまい、それ以上の物を得たいという熱量が下がるのは、日々の生活はともかく文化の向上という面においては果たしてどうなのでしょうか。この件については、いずれ提唱した本人の言葉でも語られることを期待しています。
(2015.11.6追記)
全国どこでも図書館,書店,カフェを組み合わせた図書館ができる.それ自体は否定しない.だが,そこで得られる情報資源は均質なものになるだろう.資料の質とその運用を全国で均質にするには,特殊な資料群を切り捨てるのもやむなしなのか.
の一文が重いです。「全国どこでも」同じ本や文化を手に入れられるようにすることと、「全国どこでも」はお目に掛かれない本を視界から消し去り、地域固有の文化の色を薄めることとは、本来はどちらか一方を立てればもう一方が立たない、という種類のものではないと思うのですが、CCCがそれを実践してしまったというのは、各地域の公共施設の運営者として望ましいやり方ではないのではないか?疑問がずっと拭えずにいます。