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カテゴリー「この10年」の記事

2005.09.06

わたくし的この10年+α(5)

 図書館に勤め始めて数ヶ月が経過したある日、非常勤職員の方から、「電動書架のスペースが足りない」と訴えられました。よく話を聞いたところ、部門毎に別々の棚に収められている資料のうち、ある部門の資料の排架はきつきつ、ある部門はがら空き、という事態になっていたことがわかりました。これを解消するにはきつきつ部門からがら空き部門へ少しずつスペースを詰めるしかない、でもこれを手動でやっていたら絶対途中で計算が合わなくなって破綻する、と思った筆者は、何故か作図ソフトVisio(当時はMicrosoftではなくアスキー系の企業から発売)を使って書架の絵を描き始めていました。それから、書架に入っている本が各段で占めている縦横のスペースを測り、Visio上にそれらのスペースを元に色板を作り、画面上で切り貼りを始めたのでした。
 これがうまく行けば良かったのですが、結局他の業務の合間に色板を作る手間だけで挫折。恐らくこのような場合は手書きでおおまかな作業プランを地道に作成し、実際の作業は人手を使って集中的に行うというやり方が一番早かったのでしょう。なんて向こう見ずなことをしたのかと思います。ただ、この時Visioに挫折したという負け感は長いこと自分の中で尾を引きました。実際にVisioを使った書架の配置換え作業を実現できたのは、この5年後のことです。

 この時、せめてもう1年だけ図書館での仕事ができていたなら、図書館屋としての眼差しを育てることができたかも知れません。しかしそれはかないませんでした。何故なら遠隔地への転勤について上司から意向打診があり、それを承諾したためです。家庭もあることから転勤についてはさんざん悩んだのですが、色々な状況を考えて、連れ合いを残して旅立つことにしたのでした。果たして自分はわずか1年間の図書館勤務で何を得られたのか?行き先で担当する仕事は直接図書館の業務ではないと思われるが、どう立ち回ったら良いのか?などと自問自答しながら、春先のある日、引っ越しの手伝いにかり出された連れ合いと2人、小さな愛車に乗り組み転勤先へ旅立つ筆者がおりました。

 以上でひとまず筆者の長い長い思い出話は終了です。だらだらした昔話におつきあいいただき本当にありがとうございました。身元がばれている人にはばればれかと思いますが、固有名詞などは極力避けるようにしたため、わからない方には謎だらけの話になってしまったかもしれません。
 これまでにお世話になった上司や先輩方の中には、既に他界された方も何人かいらっしゃいます。その昔、まだ図書館のシステム化が邪道と言われていた頃から中央館のシステムの基礎作りに尽力され、将来管理職確実と目されていながら病に倒れられた上司。そして、その上司の愛弟子として図書館のシステム化に取り組まれ、他の追随を許さない経験を積まれていましたが、これからという時に病魔に襲われてしまった厳しくも暖かかった先輩。自分はそうした皆さんに恥ずかしくない仕事をできているでしょうか。特に後者の先輩には、とうとう一度も褒められることはありませんでした。いつか「お前の仕事はすごい」と言って欲しかったと悔やまれてなりません。
 もちろん今現在のへっぽこな筆者を見守ってくれている、現役まっただ中の上司・先輩・同輩・後輩たちにもありったけの感謝の念を送りつつ、筆を置くことにいたします。

 次回からまた、通常のよしなし事を綴る形式に戻りたいと思います。(日比谷の件だけはいても立ってもいられなくなって更新してしまいましたが(^_^;))(了)

わたくし的この10年+α(4)

 コンピュータセンターから異動した先は、図書館関係の部署が担当していた広報関係の職場。詳述はいたしませんが、上の方の指示に従って、ある時は職場のWebサイトのCGIスクリプトの改造に励んだり(中身はもう綺麗さっぱり忘れてしまいましたが)、またある時は購入理由書を一筆必要とするような高額な機械を買ったり、別の時には展示会に出張したりという日々をひたすら送りました。ここでは上に言われるまま動くばかりで、また、仕事の内容も他の系列館に手本を求めることができないような独特な種類のものであったため、今振り返ると井の中の蛙状態だったのだろうと思います。また、個人的にはこの頃結婚して生活環境が変化した上、家庭の事情でばたついていたこともあり、あまり周囲の空気を読んで冷静に考える余裕がなかったようです。
 直属の課長がさすがにそのままでは職業人としてまずいだろうと考えられたのか、ここにいた最後の頃には印刷物に関わる仕事も少しですがやらせていただきました。その時先輩に鍛えられつつ学んだノウハウは、今も印刷物を取り扱う上でだいぶ役に立っていると実感できます。

 結局この職場には2年半ほどいました。もう自分は図書館には勤められないのかも?と諦めつつあったある年の春突然、同じ部署が担当していた図書館に異動することになりました。その図書館は同じ系列の図書館の中では比較的規模が大きい所でしたが、働く人間の数は非常勤職員を含めて6、7人程度とさほど多くはありませんでした。しかし各人毎の分業は比較的はっきりしており、筆者は寄贈図書の図書館システムへの登録と、ILL業務を担当することになりました。そう、知らぬ存ぜぬで通してきた中央館の図書館システムに、とうとう触ることになったのです。このシステムは当時改良の過渡期にあり、操作には多少の慣れを必要としましたが、操作の流れ自体はすぐ覚えることができました。NIIのILLシステム講習会に参加したのもこの頃のことです。目録システム講習会も参加したかもしれませんがあまり覚えていません。
 ここの館では親組織が大きかったこともあり、問題利用者に出会う確率が多かったように思います(例.図書室のソファで寝る方、督促状を自分に対するいじめと解釈して怒鳴り込む方など)。また、人間関係でも多少悩みました。しかしお金に困ったという記憶は特にありません。仕事に使うソフトの購入など、割と好きにやらせてもらったように思います。予算が潤沢であることのありがたさが身にしみてわかったのは、今の貧乏職場に移ってからのことです。予算があると言っても外国雑誌の購入中止問題などは存在していました。しかし、その事実がどんなに大きい問題に根ざしているか、その頃の自分には全く理解できていませんでした。(この項つづく)

2005.09.04

わたくし的この10年+α(3)

 自分のしょぼい昔話を今後どう展開していこうかと悩んでいるうちに、前回の更新から少し間が空いてしまいました。ということで、展開を考えていると文章を打つ手が止まってしまうので、あえて深く考えずに書いてみます。

 さて、時は1993~94年頃。電子メールはその頃から重要な業務連絡手段の一つとなりつつありましたが、もっぱらX Window端末にログインし、コマンドラインでメールリーダを起動するというのがメールチェックの手段でした。職場のメインサーバがそれだったという理由の他に、当時インターネットのサービスを快適に使える環境がDOSやWindowsの載ったマシンにはなかったためです。それに、DOSのプロンプト画面でtelnet接続してしまうとそのPCは他のことには使えませんでしたが、X端末の場合は例えば一つのウィンドウでデータベースのメンテを実行しながらもう一つのウィンドウでメールをチェック、更にNetNewsのチェックやNCSA Mosaicの起動まで可能というマルチタスク環境の元で、インターネット世界(の、ごく端っこ)をたっぷり享受することができたのでした。

 当時、同じ職場内にあった中央図書館では系列館との間に図書館システムを構築するために動いていましたし、また、系列館の中にもUNIXサーバ付属のデータベースアプリケーションを利用した所蔵データベースの作成を試みていたところがありました。しかし、筆者自身はこれらに何ら関わっておりません。
 一応司書として採用されたこともあり、図書館担当部署への異動を希望してはいましたがなかなか実現しなかったこともあり、そうした動きを「自分には関係ないもの」として視界の外に追いやっていたように思います。本当に図書館で働きたいなら、じゃあ勉強すればいいじゃないの、だから図書館に行ってから困るんだよ、と当時の自分を叱りつけたい気持ちでいっぱいになりますが、当時は現実から目をそらしてNetNewsなどにのめりこんでおりました。「おお、fj.binariesにこんな笑える絵が!」「fj.rec.comicsにこんなに詳細なコミックス・リストが!」等々、仕事にはあまり活用できていませんでしたけれど。
 仕事の関係でFORTRANだのPerlだのをいじる機会はあったので、そういう情報ぐらいはNetNewsに求めたかもしれません。しかしそういったプログラミング言語やスクリプトを思うように使いこなすこともできず、結局また趣味に逃げていたのでしょう、今思えば。

 さすがに千葉大学附属図書館のWebサイトなど、図書館業界でエポックメーキングだったと思われるものには目を通していたものの、では、自分が図書館に移ったときにWWWやGopherを使って何をできるか?について深く考えることはありませんでした。

 そして2年ほど経った年の秋。ついに系列機関の、図書館担当部署への異動を言い渡されました。しかし、またしても図書館業務に関わることはありませんでした。(この項つづく)

2005.08.25

わたくし的この10年+α(2)

今日ブログを見たら、いつのまにかカウンタが50,000ヒットを超えていました。昨日の夜の時点で49,989ヒットだったので、もうすぐかな、とは思っていたのですが、こんなに早いとは。皆さま引き続きよろしくお願い申し上げます。

さて、引き続き昔話。
就職して1年足らず、汎用機の操作に慣れきっていたところにやってきたUNIX。コンピュータを極力避けて通る学生時代を送ってきた筆者にとっては、UNIXに対して「コンピュータクラブのメンバーが熱心に利用しているマニアックなOS」との認識しかありませんでした。しかし覚えなければ全く仕事にならないし、ユーザからの問い合わせにも答えられないので、諸先輩方のレクチャーを受けたり、メーカの講習会に参加するなどして、どうにか基本のコマンドぐらいは使えるようになった頃、何と
「一般のユーザ向けに開催するUNIXの入門セミナーの講師役よろしく」
「!!(@_@;)!!」
という話がやってきました。
専門的なアプリケーションを応用的に使ってもらうならともかく、システム利用の基礎的なことぐらいは(予算も限られているし)手弁当でやろう、という考えだったのか、それとも若手のOJTの一環だったのか、職場内で最低レベルのスキルの筆者が、最初はアシスタント、次はメイン講師という形で数あるセミナーのうちの一つを担当することに。しかもセミナーテキストも先輩方とわいわい打ち合わせしながら手作り。
このセミナー講師は何度かやらせていただきましたが、ユーザからその場で飛び出す質問に答えたり、実習中のトラブルに対処したりと場数を踏むうちに、自分も自然と様々な操作法とかごまかし方(!)とかを身につけることができたように思います。初心者に毛が生えたような講師に担当されたユーザさんはいい迷惑だったかもしれませんが・・・。

職場でメインに担当していたのはとある数値データベースのメンテだったのですが、そのデータベースのユーザマニュアルを、汎用機ユーザ用・UNIXユーザ用の両方立て続けに作成、編集したのもこの頃のことです。今そのマニュアル類を見ると、実に不十分で恥ずかしくて穴があったら潜り込みたくなります。前出のセミナー講師の件と言い、ある意味、それでも笑って済まされるいい時代だったのでしょうね。

考えてみたらこの時代、コンピュータセンターでは汎用機とUNIXの2つのメインホストが並行して稼働していました。いずれメインホストはUNIXに移行されるという前提付きだったとはいえ、当時の上司達には予算面でも運営面でもきっと言いしれぬ苦労があったのだと心から実感できたのは、つい最近のことです。下っ端はそのようなことはつゆ知らず、目の前の仕事に取り組むのが精一杯でした。

・・・お気づきの通り、カテゴリを「図書館」に設定しているのに全然図書館の話ではありません。図書館との関わりが出てくるのはもう少し先のことになりますのでしばらくお待ち下さい。
そのように図書館歴が短いことが筆者が図書館員(ライブラリアン)としてはへっぽこであるというゆえんとなっております。まあ、それだけが原因ではありませんが。:-p

2005.08.23

わたくし的この10年+α(1)

連れ合いが勤務先の親組織から、在勤通算10年の表彰を受けることになりました。この10年間、仕事の上で色々充実したドラマがあったみたいで、表彰を機にそうした出来事を思い出す機会が増えています。
そんな彼を見て、では自分はどうだったか?と10年前に記憶を遡らせて見ました。
・・・だめです。あまりにその頃の自分がイタくて、思い出すだけでぐさぐさきます。10年前だから何とか務まっていたのだろうと思います。若い世代を見てると、既に大学の頃にそれなりのスキル(特にコンピュータ関係のスキルはあって当たり前)を身につけた状態で就職しているのだけど、自分の場合、在学中は必修講義・演習以外でコンピュータに関わるのを徹底的に避けていたのですね。当時公共館もさほどIT化が進んでいたわけではなかったので、当初公共館志望だった自分は、まあ、就職してからでも間に合うだろう、となめきったことを考えていました。
ところが土壇場で志望替えして研究関係の機関への就職を決め、最初に配属されたのはコンピュータセンター。周囲の方は特に何もおっしゃいませんでしたが、たぶん何のスキルもない新人にがっかりされたことでしょう。とにかく、その当時メインだった汎用機の使い方を覚えるところから始まりました。似たようなものを実習ではさわっていたので(マシンのメーカは異なりましたが)これだけは何とかなじめました。そしてろくに使ったこともなかったPC。とりあえず覚えないと仕事にならないので亀の歩みで覚えようと試みました。ちなみに当時のメインOSはMS-DOS 4.0 3.3とWindows3.1。やっと汎用機とPCに慣れたと思ったのもつかの間、やがて職場のメインホストコンピュータがUNIXになる時代がやってきたのでした・・・。この続きはまた時間のある時にでも書きたいと思います。
あ、ちなみに、実際の就職は10年以上前です。なのでタイトルは10年+αということにさせていただきました。