わたくし的この10年+α(5)
図書館に勤め始めて数ヶ月が経過したある日、非常勤職員の方から、「電動書架のスペースが足りない」と訴えられました。よく話を聞いたところ、部門毎に別々の棚に収められている資料のうち、ある部門の資料の排架はきつきつ、ある部門はがら空き、という事態になっていたことがわかりました。これを解消するにはきつきつ部門からがら空き部門へ少しずつスペースを詰めるしかない、でもこれを手動でやっていたら絶対途中で計算が合わなくなって破綻する、と思った筆者は、何故か作図ソフトVisio(当時はMicrosoftではなくアスキー系の企業から発売)を使って書架の絵を描き始めていました。それから、書架に入っている本が各段で占めている縦横のスペースを測り、Visio上にそれらのスペースを元に色板を作り、画面上で切り貼りを始めたのでした。
これがうまく行けば良かったのですが、結局他の業務の合間に色板を作る手間だけで挫折。恐らくこのような場合は手書きでおおまかな作業プランを地道に作成し、実際の作業は人手を使って集中的に行うというやり方が一番早かったのでしょう。なんて向こう見ずなことをしたのかと思います。ただ、この時Visioに挫折したという負け感は長いこと自分の中で尾を引きました。実際にVisioを使った書架の配置換え作業を実現できたのは、この5年後のことです。
この時、せめてもう1年だけ図書館での仕事ができていたなら、図書館屋としての眼差しを育てることができたかも知れません。しかしそれはかないませんでした。何故なら遠隔地への転勤について上司から意向打診があり、それを承諾したためです。家庭もあることから転勤についてはさんざん悩んだのですが、色々な状況を考えて、連れ合いを残して旅立つことにしたのでした。果たして自分はわずか1年間の図書館勤務で何を得られたのか?行き先で担当する仕事は直接図書館の業務ではないと思われるが、どう立ち回ったら良いのか?などと自問自答しながら、春先のある日、引っ越しの手伝いにかり出された連れ合いと2人、小さな愛車に乗り組み転勤先へ旅立つ筆者がおりました。
以上でひとまず筆者の長い長い思い出話は終了です。だらだらした昔話におつきあいいただき本当にありがとうございました。身元がばれている人にはばればれかと思いますが、固有名詞などは極力避けるようにしたため、わからない方には謎だらけの話になってしまったかもしれません。
これまでにお世話になった上司や先輩方の中には、既に他界された方も何人かいらっしゃいます。その昔、まだ図書館のシステム化が邪道と言われていた頃から中央館のシステムの基礎作りに尽力され、将来管理職確実と目されていながら病に倒れられた上司。そして、その上司の愛弟子として図書館のシステム化に取り組まれ、他の追随を許さない経験を積まれていましたが、これからという時に病魔に襲われてしまった厳しくも暖かかった先輩。自分はそうした皆さんに恥ずかしくない仕事をできているでしょうか。特に後者の先輩には、とうとう一度も褒められることはありませんでした。いつか「お前の仕事はすごい」と言って欲しかったと悔やまれてなりません。
もちろん今現在のへっぽこな筆者を見守ってくれている、現役まっただ中の上司・先輩・同輩・後輩たちにもありったけの感謝の念を送りつつ、筆を置くことにいたします。
次回からまた、通常のよしなし事を綴る形式に戻りたいと思います。(日比谷の件だけはいても立ってもいられなくなって更新してしまいましたが(^_^;))(了)