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カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

2012.01.08

『草子ブックガイド』1巻のブックガイド……のなり損ないみたいなもの

 草子ブックガイド. 1 / 玉川重機 著. -- 東京 : 講談社, 2011.9.講談社の公式サイト

 二昔前の子供を持つ親の常套句に「またこの子は本ばかり読んで閉じこもって!もっと外で遊びなさい!」というのがありましたが、この本に登場する草子ちゃんは、まさにその常套句が当てはまる中学生です。
 物語の最初では閉塞した現実の世界での居場所を失い、専ら本の世界という空想に翼をはためかせていた草子ちゃんが、古書店青永遠屋(おとわや)との出会いを1つのきっかけとして、「ロビンソン漂流記」「ダイヤのギター」「山月記」「名人伝」「山家集」と古典を中心に読み解いて手作りのブックガイドを綴りながら、徐々に世界と繋がり、かつ人と人、あるいは人と本とを繋げていくという展開が魅力的です。

 お勧めのエピソードは、本当はライブラリアンとしては「2冊目」(この漫画においては章番号が「2冊目 その1」等で示されます)の「ブックトーク」のエピソードと言うのが筋なのかも知れません。もちろんこのエピソードも、本や学校図書室という場を媒介にした、人同士の素朴な繋がりの誕生をテーマにしていて含蓄が深かったのですが、自分としては「3冊目」の「蔵書票」のエピソードを一押しします。
 余談ながら、学術情報データベースやシステムを扱うベンダーに「Ex Libris」社というのがありますが、この作品から「Ex Libris」が「蔵書票」という意味であると今更知った自分……。穴を掘って入りたい気分でした。

 このお話で、草子ちゃんが中島敦の「山月記」「名人伝」を媒介に、両親のエゴや弱さを若いなりに冷静に読み解き、諦観のもとに「自分を愛する親」ではなく自分と同じ1人の人間として理解しようとする姿は何とも健気です。
 彼女の母親は、はからずも娘に冷徹な現実を突き付けてしまった後で、娘のそんな心を知り、今度は自身のエゴが娘や前夫にもたらしたものを突き付け返され、この本(山月記)を持つ資格は自分にはない、と嘆きます。そんな母親に対し、青永遠屋店主の青斗さんは「…もう一度…その本(山月記)を読んでみては?」と言葉を掛けるのです。まだ遅くはない、「本はあなたの人生のそばに……いつだっている」と。そして作者も、苦い幕切れでありながら、草子ちゃんと読者の心にひとかけらの希望を残してくれています。物語のキーである蔵書票がどのように使われているかは、読んでからのお楽しみ、です。

 「4冊目」も、草子ちゃんの西行の歌の世界を媒介とした外の世界との繋がりが身近な人の内的変化をももたらすという多重構造のお話で、二重三重の面白さがあります。「1冊目」は全ての物語の始まりなので、どういうお話かはあえて記しません。

 漫画なのに絵柄について語っていませんでした。銅版画を彷彿とさせる緻密な、それでいてメリハリのある描線が印象に残る絵です。もしかしたらこういう質感の絵柄に馴染めない人もいるかも知れませんが、私は好きです。

 公式サイトを見ると月刊連載ではなく連作シリーズのようで、絵柄的にも多作は難しそうですが、続刊が待たれるところです。

2009.05.02

漫画『私の血はインクでできているのよ』感想

 以下の漫画について、2ヶ月近く前に、『暴れん坊本屋さん』等にはまった私を見ていた連れ合いが購入してきてくれて、比較的すぐに読了してましたが、その後何となく感想を書くきっかけを失っていました。

 私の血はインクでできているのよ / 久世番子著. -- 講談社, 2009.2

 この漫画の内容を一言で申し上げますと、「余はいかにして漫画家となりしか」ということですが、まあ、ここまで身も蓋もなく描いてしまって良いのだろうか?とこちらが危惧するほどに、幼児期の無邪気な「お絵描き大好き」(何と実際のお絵描き帳まで公開している!)から、子供ならではの強烈な自己顕示欲とない交ぜになった漫画創作へのこだわり、高校時代のラノベの主人公や某私鉄の素敵な制服に身を固めた駅員に手向けられた、腐りゆく愛の込められた同人活動、そして雑誌投稿時代のライバル達への妬み、等がかなり生々しく、そして痛々しく描かれています。

 創作者が読者に読んでもらうための物語を「生々しく」「痛々しく」綴るのは、実はとても難しくて、一歩間違えると「見て見て、これが私の張り巡らされた神経と、その奥に息づく辛いトラウマをさらけ出した中身よ!」となってしまい、一部の読者には喜ばれるかも知れませんが、逆にドン引きされる場合も少なからずあると思われます。
 しかしこの作品は、これだけ惜しげもなく自虐とヨゴレを見せておきながら、この作者の絵柄の特徴でもある端正さを保って崩れることなく、読者に爆笑を提供してくれます。それだけでなく、過去に少しでもインクの血中濃度が上昇し、一次あるいは二次創作に熱中した経験のある読者に対しては、軽く針で刺すような痛みとともに甘酸っぱい郷愁を呼び起こしてもくれるという、何重にも周到に美味しさが用意されています。

 という理屈はともかく、お友達が同級生の仲良し男子コンビをネタに妄想イラストを描いたとか、投稿時代に自分を差し置いてデビューしたライバルの作品が載った雑誌の表紙の、PP加工を剥がして憂さを晴らしたとかいうエピソードには素直に笑わせてもらいました。流石に血がインクでできている方は凄いです。
 そして自分はまさに、痛みと共に郷愁を呼び覚まされてしまった人間です。もちろん作者の様に漫画を職業とすることもなく、創作からもとうに足を洗っているわけですが、ある対象に愛と熱中を手向ける行動は未だにとどまるところを知りません。そこで、さて、私の血は一体何でできていることだろう?と考えてみましたが、良く分からないというのが正直な所。少なくともインクではないのは確かなようです。本当はここで「十進分類法でできている」とか「シェルスクリプトでできている」とか、はたまた「帝国劇場の地下水でできている」とか言えれば、少しはかっこいいんですけどね。

2008.08.09

コミケット緊急告知

 コミックマーケット74が開催されるまで残り1週間のカウントダウンが始まった8月8日付けで、コミックマーケット準備会共同代表名義で「コミックマーケット準備会からの緊急のお知らせ」の告知がコミックマーケット公式サイトに掲載されていました。

 内容は、

 【緊急告知その1】参加者の手荷物確認等のお願い
 【緊急告知その2】開催期間中の一部エスカレータ運用停止のお知らせ

ということで、その2については先日のエスカレータ逆走事故もあったので予想がついていましたが、その1については、とうとうコミケもここまでやらなくてはいけなくなったのか、と慄然としています。手荷物点検によって入場制限解除時刻がずれこむ可能性もあり、スタッフ数も限られた中、準備会としても苦渋の決断であることと思います。
 サークル参加者、一般参加者の別を問わず、ネットはまめに巡回しない、もしくは縁のない人もいるだろうし、全サークルに個別通知する時間もないでしょうから、会場に来て初めて知る、という人も多そうです。ただ、企業や公的機関の主催するイベントと異なり、参加者はある程度エゴの許される「お客様」ではなく、イベントを成立させる一員である以上、滞りなくイベントを進行させるために協力する気持ちを有することが大事であると思います(もちろん普通のイベントでも、主催者側の心配りが可能な範囲や一般常識の範囲を凌駕するお客のエゴの発揮は辛いものです)。
 というわけで、このブログに掲示することに需要があるかどうかは分かりませんが、少しでも一助となればと考え、リンクを掲載させていただくことにいたしました。

 今年も無事に開催され、最終日に皆の拍手で終われることを願っております。どうか、全てをぶち壊しにする愉快犯等の輩が出ませんように。

2008.05.11

久世番子『番線』

 少し前に購入した、久世番子さんの『番線』をようやく読了しました。番線というのは書店で発注等に使われる「書店の識別コード」の業界用語だそうで、元書店員番子さんらしいネーミングです。「元」と書いたのは、これを書く前にWikipediaで番子さんの項目に当たった所、既に書店員は辞められているという記述があったからです。少し残念ではあるけれど、本業に専念できるのは幸せなことであるとも思います。
 表紙を開いた瞬間、口絵イラストの布団に横たわる番子さんの図のインパクトが強烈でした。きちんと書棚があることを除けば、自分の寝室にそっくりだったからです。読みかけの雑誌、漫画、文庫本、演劇パンフ:-)やらを枕元に貯めこみ、しかもそれらをなかなか片づけられず、ドレッサーの椅子の上にまで積み上がっていっている体たらくなので、家族から「営巣」と呼ばれています。多分、番子さんは「本好き」だけでなく「読書家」でもあると思うのですが、「読書家」にコンプレックスを抱いている人間としては彼女の「本好き」ぶりの方に共感しております。

 一応図書館屋としては、国立国会図書館の前後編ルポを丁寧に読みました。積層書架や火災発生時の消火方法に関する説明を、蔵書保護至上主義という切り口で描いているのが面白いと思いました。確かうちの職場のコンピュータセンターもガス消火だったよな、と思い起こしてみたり。
 あと、蔵書のカバーの脱衣についても触れられてましたが、カバーに奥付が付いている場合は切り抜いて本体に貼り付けるというのは初めて知りました。そう言えば前の職場(うちの職場系列の図書館は大体カバー脱衣後装備方式です)でも同じことをしていたなあ、確か。あ、「爆弾に注意」プレートも笑わしてもらいました(書庫内で出庫にかかる時間を知らせるプレートだそうです)。
 同じ国立国会図書館の修復部門のルポも、自分には縁の薄い分野なので興味深かったです。古文書を「原型を壊さず直すことはもちろん必要があれば元に戻せる方法で補修しています!」に深く頷いたりして。

 この作品における図書館以外にマイツボに入ったキーワード、キーフレーズは、
「もしも私が家を建てたなら(略)壁全面の本棚ぁぁぁ~」
「手動写植機」
「教科書やおい」
「近年のツンデレブームは…文部省の陰謀!!」
「トリックの穴 見つけちゃいました」
「一箱古本市」
あたりでしょうか。

 余談ですが東京創元社の校正課のエピソードである「トリックの穴」の件。仕事関係で学術論文の校正ならやったことがありますけど、その時は用語の統一ぐらいまでなら気づけたものの、流石に実験過程の穴を見つけるレベルには至れなかったです。まあ、それをチェックするために学術論文には査読者というのがいるわけでして。でも見つけられない時は数人がかりでも重大な間違いを見つけられないことというのは本当にあるので、恐ろしいことです。

 『番線』は漫画ですが、本好きさんは結構楽しくいちいち納得しながら読める本かと思います。お勧めです。

2008.01.19

郷愁の『アーシアン』(2008.1.20追記)

 『ヤッターマン』の新作アニメのOP・EDだけ(ニコ動で)視聴してげんなりしています。新作版を担当したミュージシャンには恨みも何にもありませんが、音楽からして旧作のあの世界観とは違うものが、新作には求められているんだろうと実感しました。でもオバさんは旧作の山本正之先生歌唱版(同じくニコ動で聴けます)の爽快な疾走感と壮大なバカバカしさについ執着してしまうのです。あと、EDはやっぱり三悪でないと。三悪に、全国の女子高生には見せられない無様さを毎週さらす哀愁は必須だけれど、同情や憐れみを煽るような寂しいEDは要らないです。

 ――さて、もう15年以上も昔に夢中になって読んでいたのに、恐らくは当時の連載誌できちんと完結しなかったという理由から、最終巻が未刊となりそのままになっていた漫画『アーシアン』が、近年完結版としてまず新書判で再版され、更に創美社コミック文庫でも出始めたので、つい1~4巻までまとめ買いしてしまいました。
 前半のストーリーはかなり覚えてましたが、最終話近くのストーリーはほとんど記憶がありません。ただ、文庫4巻は最終話の1本手前で終わっているので、恐らく5巻に最終話の後日譚と番外編(時間軸ではプロローグに該当)が掲載されて完結なのだろう、ということは分かります。

 しかし今になって読んでみると、文庫4巻のラスト4話位でかなり駆け足で強引な展開になっており、細かい設定が破綻している上、絵柄もペンタッチこそ流麗ですが不安定になってしまっています。思えばこの辺から高河ゆんは休載も多くなって、アーシアンの番外編も中断、やがて新書館にも描かなくなり、自分も自然と読まなくなっていったなあ、と思い出しました。同時期に描かれていた『源氏』もフェイドアウトしてしまいましたし。
 自分が高河作品から離れてしまったのは、絵柄が変化して好みではなくなったというのもありますし、元々恋愛至上主義の作品世界も手放しには好きになれなかったというのもあります。これは個人のワガママな好みの問題なので、高河さん自身がどうこうという問題ではありません。
 確かそろそろ文庫5巻が発売された筈。ネット社会の悲しさで、番外編で明かされる登場人物の秘密については既に知ってしまっているのですが、楽しみに読ませていただくことにします。

【2008.1.20追記】
 『アーシアン』の文庫5巻、読みました。最終話の後日譚が載っていましたが、雑誌掲載時に読んだだけなのに意外とコマ割り等覚えていた自分に感心しています。
 前に書いた「プロローグに該当する」話、総司令官ミカエルと双子のルシフェルの物語(秘密の花園5、6)も収録されていました。この話で影艶(主人公の1人)の出生の秘密を匂わすエピソードがあり、副官ラファエルもその事実を知らされているわけですが、後の時代のエピソードにラファエルが秘密に感づく場面があるので矛盾が生じています。高河作品にそういう緻密さはハナから求めてはいませんし、求めてもいけないのだと思いますが、完結編を謳うからにはもうちょっとだけ緻密さを発揮して欲しかったです。とは言え後付け設定も多そうなので、限られたページ数で収拾を付けるのはさぞ大変だっただろうと想像しています。個人的には影艶が託されたのが何故桜侯爵家だったのか知りたかったような気がするのだけれど。
 あと、アーシアンの同人誌発表作品もどうせなら一緒に収録して欲しかったなあ。単に自分が未読ですので。

2007.08.18

2007年夏の参戦報告

 本日は有明という所でやっている某イベントに出かけてきました。昨日まで、皇后エリザベート(の姉さん)がお見合いをしたバートイシュルの夏並みに暑かったので(本当は行ったことが無いので知りませんが)不安になっておりました。何しろ夏や冬のイベント参加直後に脳貧血を起こしたり、インフルエンザにかかったりという数々の前科を持っている人間ですので。しかも明日は帝劇でマチネを観た後その足で飛行機に乗り南日本へ出張予定ですので、ここで暑さで倒れるわけには参りません。
 まあ、再来週出張に行く時の新幹線の切符と宿もついでに旅行会社に予約してきたいし、イベントは大事だし、と覚悟を決めて一夜明けたら、空は薄曇り、気温は涼しいとまでは行きませんが屋外での生存が可能な程度まで下がっておりました。と言うわけで予定通りお出かけ。
 会場に11:45頃到着しましたが、壁列にも並ばずひたすらまったりお買い物。入手した物を帰宅後に数えたら、もらい物も含めてわずか22冊。開催ごとに購入数が減っているように思います。ちなみに半分以上の中身はミュージカルの劇評やパロディ物です。
 滞在していた2時間半程度の間に、東と西の両地区を訪れましたが、以前は西地区(昔風に言うと西館)のイメージキーワードは「空いている」「空気が澄んでいる」だったのに、今回は西地区もだいぶ人間が詰まり、空気も結構澱んでいたように感じられました。ジャンル配置を工夫する等して、東と西に参加者を上手くばらけさせる努力をしているのでしょうか。
 あと、西館→東館の間にある西地区救護室の向かい側の「レセプションホール」が有料休憩所に設定されていたので、時間があれば使ってみようかな、とも思っておりましたが、実際には時間がかなりテンパってしまったため断念。次回機会があれば是非使ってみたいです。
 会場を出た後は友人一同と汐留まで出て、カレッタ汐留の「台北・点心 鼎泰豐(ディン タイ フォン) [Din Tai Fung]」で小籠包等をいただきました。友人達は他も回ってお茶するとのことでしたが、体力温存を意識してこれにて失礼。
「私、他にも何かすることがあったような?でもセーブセーブ。荷物も重いし」
と秋葉原で本屋を冷やかしただけで素直に帰宅。……で、再来週の出張の切符をすっかり取り忘れていたことが判明(^_^;)。明日早めに出かけて取ろうかな?と思っています。

2007.03.21

2007年3月20日のこと

 土曜日に出張したので、その分昨日お休みをいただいて少しだけリフレッシュ。
 本日出勤し、前日たまった仕事を片づけ、午後ちょっとした会議に出席してきたところ、前回の会議に出ていなかった方が、これまであまり突っ込みが入らなかったけれど突っ込むと痛いところを直球ストレートで突っ込んできました。それに対して思うところがあったので吠えてみたけれど所詮それは負け犬の遠吠えでしかなく、まだまだ自分は力も器も不足しているのだと恥じ入った次第。会議のテーマ全体から見たらたいしたことではないのかも知れませんし、突っ込まれると反論が難しい内容ではあったとは言え、きちんとした理論で反駁できないのがちいと悔しかったです。あれじゃあ嫌味を言っただけに終わっちゃったじゃないか。

 帰宅してブログやソーシャルブックマークの巡回をしたところ、西原理恵子さんの元旦那様鴨ちゃんの訃報を知りました(MSN毎日インタラクティブ記事)。サイバラさんと復縁されているという話は聞いていましたが、そういうことだったのか、と思い至り、『毎日かあさん』等のマンガのキャラクターとしても登場しているお子さん達の顔(もちろんマンガの)が脳裏に浮かんで胸がつぶれる思いに。でも鴨ちゃん自身は色々な苦しみから解放されたのだろうか、とそれだけは救いです。所詮何を言ってみても一読者の気休めに過ぎないのだけれど。

2007.03.07

『地球へ…』TVアニメ化

 スラッシュドットジャパンの記事で、『地球へ…』がこの4月7日からTVアニメ化されることを知りました。竹宮さんの作品とはどうも縁が薄くて、『風と木の詩』を全部通して読んだこともなく、『地球へ…』は原作も昔の映画版も観たことがございません。24年組ではどちらかと申しますと萩尾さんの絵の方が端正で好みです。でも何故か『変奏曲』は愛蔵版で持っているという謎。
 アニメの公式サイトを見る限り、キャラデザがあまり竹宮さんの絵には似ていない感じなので、門外漢としては却って馴染みやすくなるかも知れません。ただ、放送時刻が毎週土曜18時ですか。観劇で上京していたり、仕事関係で外出していたりする確率が非常に高そうな時間帯です。そんなわけでとりあえず「忘れなかったら観る」程度のスタンスにしておこうかと考えております。まあ、第1回ぐらいは録画してみようかな……。

2007.01.13

1年の計?

 今年の元旦~2日にかけて帰省した際、往復の道すがら書店に寄って購入したのはこんな本でした。

 (元旦購入分)
 となりの801ちゃん / 小島 アジコ著. 宙出版 (2006.12)
 (2日購入分)
 辣韮の皮 1 / 阿部川 キネコ著. ワニブックス (2002.2)
 辣韮の皮 2 辣韮の皮 3 辣韮の皮 4
 シャアへの鎮魂歌 / 池田 秀一著. ワニブックス (2007.1)

 文章本でもマンガでも読むのが遅いので、やっと『辣韮の皮』以外を読了したところです。『801ちゃん』は28歳の男性から見た所謂「腐女子」の彼女とのおつきあいを、下書きっぽい4コママンガ形式で描いたもの。現在もブログで連載されています。読んでると作者も十分オタクなのだけど、それでも腐女子ってやはり違う生き物に見えるんだなあ、と不思議。801ちゃんは……色々な意味で若いなあ、と思いました。
 池田さんの御本は、書店で偶然見かけて衝動買い。内容は、「シャアとわたくし」(笑)でした。ガンダムつながりだけど流石に元の奥様のことは書かれていないのね、と思う自分の汚れ加減はどうかと思いつつ、池田さんが旧Zガンダムでのシャアの情けない扱いに違和感を抱いていたが新作Zを演じることで気持ちに折り合いを付けることができた、というくだり等を興味深く読ませていただきました。鈴置さんや井上瑤さんとのエピソードが泣けます。あと、エピソードの端々から見える池田さんの酒豪っぷりが微笑ましいです。

 そして『辣韮の皮』。地方の高校の漫研メンバーの暴走するオタクな青春を描いた4コママンガです。ずっと前から気にはなっていたのですが、2日に非常につまらないことで機嫌を悪くしていたこともあり、八つ当たり的に1~4巻を一挙購入してしまいました。実際は5巻まで出ているようですが、そこの書店にはなかったので未購入です。
 日常の合間合間に細切れで読んでいるので、ようやく2巻まで読了。彼らの高校生活は、自分がその年頃に「こんな生活してみたい」と思っていた暮らしそのもの。つまり、この年齢になって振り返るととてもイタタな感じなのだけど、その痛さ加減が絶妙で面白いのです。しかも、ごく断片的には彼らに類した生活を送っていたので、懐かしさもこれまたあったりして。で、月刊誌連載でコミックスが5巻まで出ているということは、若い読者層にもそれなりに受けて長期連載されているということなんでしょうね、これ。連載誌まで追いかける根性はありませんが、続きを読むのが楽しみなマンガが1つ増えました。

 これから1年、こうしてまたずるずるとはまり物が増えていくのでしょうか……。

(追記)
 ところで筆者、『辣韮の皮』2巻の年越し名作上映会で出てきた特撮ドラマ『緊急指令10-4・10-10』、リアルタイムで見た記憶があります。物心ついたばかりの頃だったので、内容まではほとんど覚えてませんけれど、円谷プロ制作だったと今回初めて知りました。30年以上記憶の奥底に封印されていたのに、このマンガのせいで無性に見てみたくなっております。どうしてくれよう。

2006.10.01

米沢代表のご退任、そして訃報

 今朝方知った以下のニュース。

 米沢嘉博の代表の退任と新しい共同代表の就任について(コミックマーケット準備会)

 へぇ、米沢代表がついにねえ……としばし呆然。気を取り直し、早くまた復活して名誉代表とかでお元気な姿を見せていただきたいものだわ、と思っていたところへ、以下の続報が。

 訃報:米澤嘉博さん53歳=漫画評論家、コミケット社長-訃報:MSN毎日インタラクティブ
 asahi.com:マンガ評論家の米沢嘉博さん死去 コミケ代表長く務める - おくやみ

 現在アクセスが集中しているのか、サーバが重くて実際のページを見られないものの、コミックマーケット準備会のページにも訃報が伝えられているようなので、まごうことなき事実なのでしょうけれど、それでも信じたくないです。コミケにとって、ある意味近年亡くなられたイワエモン氏以上に「そこにいて当たり前」だった方が、こんなに早く遠くへ行かれてしまうとは。しかも死因はイワエモン氏と同じ肺ガンとのこと。何か因縁めいたものを感じてしまいます。

 自分のような末端の参加者ですらこんなに衝撃を受けているのですから、準備会の方の動揺はいかばかりかとお察しいたします。今はただ、ご冥福をお祈りするばかりです。