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カテゴリー「グルメ・クッキング」の記事

2009.05.24

ヨコスカネイビーバーガー

Ynb  所用で横須賀に出向いた帰り、大滝町の「ビストロ グールマン」というフレンチレストランで「ヨコスカネイビーバーガー」なるものを食してきました。
 昨年11月に米海軍から横須賀市に提供されたレシピに基づき調理されているそうで、粗挽き肉を写真のとおり大変肉厚に仕上げたパテと、トマト、レタス、きゅうりのピクルスをバンズに挟みいただきます。
 パテの薄いクォーターサイズではなく、あえて普通サイズを選びましたが、なかなか食べ応えのあるバーガーでした。
 最初ベーコンが入っていない以外は佐世保バーガーの類似品?とも思いましたが(いや、どっちもルーツは米軍なので類似品も何もないのですが)、パテの味はもちろん、バンズの味も程よく香ばしくて大いに満足しました。

2009.05.15

この牛丼、賞味期限から4年5ヶ月。

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 先週、連休中に更新した記事で「賞味期限から4年4ヶ月経過した冷凍牛丼の試食にチャレンジ」した、と書きましたが、あれは間違いでした。
 正しくは、「4年5ヶ月」です。左の写真をご覧いただくと分かるのですが、 「賞味期限」(消費期限ではなく)の欄には「04.12.07」としっかり書いてあります。ちなみに「製造日付」は「03.12.09」。更に申しますれば、このブログを開設したのは2004年3月7日。牛丼も作られた当時にはまさか自分より若いブログに書かれるとは思いも寄らなかったことでしょう。


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 そしてお鍋で温められる牛丼パック達。

 何故この牛丼がこんなにも我が家の冷凍庫に放置されたのか?きっかけは、2004年2月に、前年米国でBSEが発生し、米国産牛肉の輸入が禁止され、結果吉野家の牛肉在庫がなくなったのを受け、牛丼等の販売が自粛された(参考:Wikipedia)ことでした。
 たまたま生協の宅配で購って自宅の冷凍庫にしまわれていた2パックの牛丼を見つめながら考えた、当時の心境を再現すると、大体以下のとおりです。
 我が家のこの吉野家の牛丼が消費されたら当分市井ではお目にかかれなくなる。かといって、帯広式の豚丼の旨さを知っている元北海道民としては、あのつゆだくっぽい吉野家の豚丼は許せない。では、もったいないからしばらくこの牛丼は食べずに置こう。どうしても我慢できず食べたくなったら、吉牛の栄光の日々を偲びながらしみじみと食べよう。

 ……と思って、冷凍庫への保管を始めたわけです。
 しかし、誤算だったのは、意外と牛丼を食べずとも我慢できてしまったということでした。牛丼をいただくなら他のお店でもいただけますし、コンビニでも牛丼弁当は売っております。やがて薄情な人間の脳からは吉野家の牛丼の味の記憶も薄れ、冷凍庫内のパックの存在すら去りつつありました。


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 ところが私は忘れていても、連れ合いは存在をしっかり覚えていたようで、今年5月、連れ合いから、私が恒常的にサボっている冷蔵庫・冷凍庫の中身整理の必要性を突っ込まれた際に、
「冷凍庫の吉野家の牛丼も何とかしないと」
という発言があり、記憶の封印が解かれたのでした。
 と言うわけで、遅く起きた憲法記念日の朝、台所にはブランチとして牛丼を温め始める私の姿がありました。

 温め終わったパックを開封し、ごはんに盛りつけ。七味は何となく振ってみました。そしてこわごわと試食。

 どうかな……???……!!……!!!!

 妙な匂いもせず、お肉やタマネギの歯触りも良く、意外と美味しく食べられるではありませんか。そうか、そう言えば吉野家の牛丼ってこんな味だったっけな、と急速に記憶がよみがえってきて、懐かしくいただくことができました。

 実は食後も半日ぐらいは、何か胃腸に影響が及ぶんじゃないか?と気にしていたのですが、全くそのようなこともありませんでした。
 今は、長年ひっそり連れ添ってきた仲間が去っていったような、そんな心持ちでいます。でも、やっと食べられて良かったという気持ちの方が強いです。
 もっとも、まだ冷凍庫には、永年保存状態になっている食べ物やら氷枕やらがいっぱいで、それらを片付けるのは追ってこれからなのですが(^_^;;)。

2008.01.12

ソウルフード

 誰からバトンが回ってきたわけでもありませんが、友人のブログで「ソウルフード」ネタがあったので触発されて書いています。
 私のソウルフードは、子供の頃食べたかったのに食べられなかったものです。それは、「吉野家の牛丼」。
 小学校4年生頃、今も田舎だけど当時は輪をかけて田舎だった地元には良い歯科医が無かったらしく、電車で片道1時間程度かかる歯科に通わされていたのですが、いつもそこに行く途中に「吉野家」がありました。
 ああ、地元でお店は無いけれど「牛丼一筋80年」のテレビCMが頻繁に流れているあのお店が!牛丼食べたいのにー!とオレンジの看板を横目に見ながらいつも歯科に連行されてました。帰路は治療直後で食事どころではないので当然食べられず。
 で、地元には当時吉野家が存在していなかった上、うちの両親もどちらかと言えば小さい子を牛丼屋に嬉々として連れて行くタイプでは無かったので、実際にくだんの牛丼を初めて口にしたのは、札幌に引っ越した数年後位だったように思います。どこら辺の店で食べたか覚えてませんが、普通に美味しいと思った筈です。
 そういえば例の米国産牛肉問題以来、吉野家には行ってません。以前は「おひとりさま」までしてわざわざ食べに行っていたんですが。ちなみに豚丼は、十勝の豚丼の味を知っている立場からすると「豚小間の煮込みなんか豚丼じゃない!」とどうしてもぱちもんに見えてしまって、注文したことすらありません。あれなら自己流で十勝風――お肉は網焼きではなく手を抜いてフライパンで焼いてますが――で作った方が余程美味しいと思ってしまうのです。

 以下は蛇足です。
 実際に子供の頃口に出来ていたものでソウルフードに該当するものをあえて探すとすれば、「お父さんとお母さんが作ってくれた食事全部」、あえて絞り込むと「お父さんのうどん」でしょうか。
 上州人である父はかなりのうどん好きであり、毎週末の昼食には必ずざるうどんが出てきた物です。麺は大体スーパーで普通に売っている乾麺でしたが、たまに余裕があると手打ちで出てきていました。手打ちと言っても素人の物なので麺の形はいびつ、お汁も自己流の大味なものでしたけれど。休日のお昼と言えばいつもいつも山盛りのざるうどんが出てくるものですから、子供心にいい加減うんざりしていたのですが、家を離れてしまった今ではあの山盛りのうどんが非常に懐かしかったりします。幸い父は今も健在なので、そのうち実家に寄った時にでもごちそうになりたいものです。

2006.05.13

黄金週間・食の祭典(その2)

 ちょっと間が空いてしまいました。引き続き連休中の出来事です。

 特に遠出する旅行の予約も入れていなかった5月6日でしたが、連れ合いが千葉県船橋市の「ららぽーと」最寄りのホテルに問い合わせたところ、空室ありとのこと。しかもホテルの隣にはスーパー銭湯「ららぽーとの湯 常盤殿」あり。急遽、「残りの休日をのんびりお風呂&買い物三昧で過ごす計画」が発動され、荷物をまとめて夕方船橋に向かい、ホテル入りしたのは20時頃のことでした。
 チェックインして荷物を運び入れると早速ホテルの真向かいのららぽーとへ夕食に出向きました。4Fのレストラン街で迷ったあげく韓国料理の「ジャンモ」に入り、ちょっと高揚した気分も手伝って3,000円のコース料理を注文。出てきた料理は、キムチ盛り合わせ、チャンジャと韓国海苔、トック(白玉粉で作ったような韓国の餅)と青菜の炒め物、サラダ、チヂミ、アサリの味噌鍋、石焼きビビンバ、冷麺、そしてアイスクリーム。これだけ書くとごく普通の献立のようですが、問題はこれらのメニューの半分以上の味付けが辛く、逃げ場が無かったと言うこと。人並みに辛さへの耐性はある筈なのですが、最初温かいゆず茶だけで優雅に食事を楽しもうとしていたのに、途中で耐えられずドリンクバーを追加注文し、お茶をがぶ飲みする羽目になりました。
 この水分摂取が災いしたのか、お腹はどんどん膨らみ、ビビンバを食べ終える頃には自分の食道の上3分の1位までコリアンワールドで満たされる状態になっていました。吐き気に襲われてトイレに駆け込みましたが「勿体ない!」の一念で逆流を最小限に留め(食事中の方すみません)、テーブルに戻り冷麺以外を何とか完食。苦しかったですが、でも大変美味しい料理でした。
 不思議だったのは、あれほどお腹いっぱいいただいたのに、翌朝の胃もたれというのがまるで無かったこと。恐らく、料理の大半が野菜、そして炭水化物(粉もの)で、タンパク質や脂が少なかったことに拠るのかも知れません。韓国料理凄すぎです。

 5月7日は朝食後、生憎の雨の中を近くのねずみの国へ発たんとする複数のファミリーを尻目に、お昼前までホテルでゆっくり過ごし、ホテルの2軒隣にあるショッピングモール「ビビットスクエア」へ。それなりにお客が入ってはいるのですが、大型連休の最終日曜日にしてはやや閑散気味。所々にテナントが撤退した空き店舗も見られ、このモールの今後にやや不安を覚えました。「LEGO clickbrick」や書店を冷やかした後、牛タン屋「とろんしゃん」にて上牛タン膳に出汁とろろの昼食を済ませ、いよいよららぽーとへ。
 「ルピシア」でほうじ茶など茶葉を大量買いし、「マザー牧場」のブルーベリーソフトクリームをいただき、「212K」で前々から探していた金属製のトーストラック(イギリスでトーストを立てて並べるあれ)を発見し、「ボークス」のショールームや「ゲーマーズ」といったマニアなショップもチェックするなど思う存分店内を歩き回って「アフタヌーンティ・ティールーム」で休憩しているともう18時。再び「これっと九州 沖縄」などで買い物をした後、イーツデリの「風林庵・ニアベトナムフォー麺」で軽くフォーの夕食を取り、ようやくホテルに戻りました。
 お風呂にゆっくり浸かって一日の汚れを洗い落とし、ホテルの部屋で缶梅酒をいただきながら、買い込んだ雑誌等に読みふけり、2泊目の夜が過ぎていきました。

 翌朝は10:30頃チェックアウト。天候が良くないこともあって、真っ直ぐ自宅方面を目指しました。途中で柏に立ち寄り、そごう柏店の「リストランテ銀座ポルトファーロ」でパスタセットの昼食。既に平日ということで、メインのお客はご年配の奥様方。量は多からず少なからず、穏やかで上品な味わいのパスタでした。柏を少しだけぶらついて、つくばの自宅に到着したのは夕方のことです。

 こうして改めて書いてみると、本当にインドアで食べてばかりの休日でした(笑)。記事のタイトル通り、まさに「祭り」状態です。恐らく体重計に乗ると、想像を絶する数値を目にすることになるのではないかと考えるだけで恐ろしいので、まだ体重を量ることができていません。この翌日は連れ合いは出勤、自分は良い度胸なことに更にもう1日お休みをいただき、東京に某ミュージカルの観劇に出かけたのですが、その話はまた次回。

2006.05.11

黄金週間・食の祭典(その1)

 5月4日の観劇後はそのまま連れ合いの実家に宿泊。5日はお昼前まで滞在し、午後は池袋のサンシャインシティへ。「どんぐり共和国」でジブリグッズには目もくれず雑誌『MOE』がらみのキャラクターグッズ、リサとガスパール、ペネロペ、ダヤン、ムーミンに耽溺。
 その後同じビル内のナムコ・ナンジャタウンへ移動。池袋餃子スタジアムで3店ほどハシゴして餃子を食べまくり。「銀座天龍」のジャンボ餃子が意外にさっぱりと美味でした。
 餃子の後は東京シュークリーム畑へ。「菓子工房プロヴァンス」の「プリンのかくれんぼ」は、シュー皮の中に隠れたぷりぷりのプリンをスプーンですくって食べるタイプ。「ケーキ屋ケンちゃん」の主題歌を思い出した自分の年輪に思わず固化。「ろまん亭」のパイエクレアはマスカルポーネクリームの甘さが優しかったです。「あしながおじさん」のバナナシュークリームは自宅に持ち帰り翌朝ゆっくりと賞味。上品な甘みとサクサク皮のバランスが絶妙でした。
 もうこれ以上食べられません、な状態になってナンジャタウンを退場し、水族館でアイドルキャラのパクパクサカナとオウオウアシカグッズでも探そうかと思いましたが既に閉館直前だったため泣く泣く諦め、連れ合い運転の車で帰宅。こんなに満腹になることはもうしばらくあるまい、と思っておりましたが、まさかその思いを覆す事件が翌日起きようとは知るよしもありませんでした。(次回に続く)

2005.12.29

初めての上海蟹

 ここ数日細々とした仕事に追われていましたが、本日ようやく仕事納めを迎えることができました。午後はお休みをいただきまして、夕方から神保町に繰り出し、友人たちと上海蟹をメインにしたディナーを堪能してきました。上海蟹は生まれて初めて口にしましたが、ウニとゆで卵の黄身を混ぜてもっと香り高くしたような美味な味噌にやられました。ゆで蟹の他、あんかけ、フカヒレ入りスープ、チャーハンと、蟹を素材にした様々な料理をいただきましたが、やはりシンプルなゆで蟹が私的にはベストでした。その次がスープでしょうか。
 なお、一連の蟹料理は、一人で注文するにはかなり勇気の要るお値段でした。こういうものはやはり友人や家族とわいわい言いながらいただくに限ります。

 友人たちと別れ、22:40頃遅い帰宅。そして明日は(もう今日ですが)また冬のお祭りに出かける予定です。鼻ずるずる、喉ひりひりと思い切り風邪を引いてしまっていますが、がんばって出かけてきます。年賀状?大掃除?なんですかそれ(リラックマ風に)・・・と言ってみたいものですが、そのあたりは30日にがんばる予定です。

 実は以前に取り上げた大阪市立図書館の24枚のカードの問題について、これまでの数々の疑問を全て払拭してくれるメールをとある方からいただいておりまして、後はそれを自分の文章に消化し直して公開するだけなのですが、せっかく提供いただいた題材に真摯に向き合おうとすればするほど脳がカチカチの仕事モードになってしまい、なかなかうまい文章にまとめられずにいます。申し訳ありませんが今少しお待ち下さい。

2005.11.10

Mドーナツ情報総まとめ

 Mドーナツの記事(既に伏字に全く意味はありませんが、あえてこのまま)でいただいたコメントを、忘れないうちにまとめてみました。

 各項目の後ろにコメントをいただいた方のお名前を示しました。元の文を多少はしょったり言葉を付け加えたりしています。

  • Mのドーナツの品揃えは時間毎に違い、だから全品が常に店にあるわけではない。(あまたさん、かんちゃん)

  • ちなみに朝は、基本的なドーナツしか置いてない。(かんちゃん)

  • 朝イチは前日からの繰越分がある。(OSAMUさん)

  • JR郡山駅前とIY郡山店内の店舗はベーカリー方式。(G.C.W.さん)
    駅前のお店は割と小奇麗。深夜も営業していて飲んだあとには便利。
    ちなみに@nifty:デイリーポータルZ:知らない町でいつもどおり2ページ目に登場するのがこの駅前店のようです。

  • 新潟某所のジャ●コのMもベーカリー方式。ただし同じ市内にある、ヨー●ドーのMと、独立店舗のMはショーケース。(かんちゃん)

  • 山形県のイ●ン三川SCにあるMもベーカリー方式だそうです。
    イ●ンジャス●系は、ベーカリー方式が多い?(かんちゃん;2005.11.20追記)

  • 後ろで待っている人に気兼ねしないでゆっくりドーナツを選べるのがベーカリー方式の良さ。(すいすいさん)

 現在のところ以上です。皆様ありがとうございました。(2005.11.20情報追加)

 ところで、これだけ多くの方に愛されているMドなら、絶対ファンサイトがある筈、と思い立って探したところ、やはり多数のサイトが見つかりました。

Misdo Visitors HomepageMister Donut in Japan 内)
2005年10月29日現在で管理人様が何と1,390ものショップを訪問し、1,647ショップの情報が掲載されているページ。
店舗建物の形態や、どこのショップがセルフ(ベーカリー)方式かまで記されている充実ぶりです。よもや建物の形だけでこんなにバリエーションがあるとは。回転木馬付きのお店なんて知りませんでした。
ちなみに我が近所の店舗は「N-オリジナル」という最もスタンダードなタイプのようで。・・・あれ?でも大昔ドライブスルーもやっていた記憶があるのですが??

ミスドファン
元ショップアルバイターの方が運営されているかわいらしいサイト。バイトさん視点のネタが満載で、バイトさん(働きさん)専用掲示板まであります。
言い間違い語録には大きく頷いてしまいました。実際商品名ややこしいですし。改めて、バイトさんも大変なんだなあ、と思いました。

 こうしたコアなファンの方々に対しては、ただただ感服するより他に術を持ちません。
 そして、どんな店舗形態であっても、頑張れ、Mドのバイトさんたち!

2005.11.07

ドーナツ屋さんは何故に混む?

 わが家の近所の某ドーナツ屋さん(仮称:M)の店舗が理不尽に混むことは前に書きました。

 この店が混む要因としては何よりもまず、このお店の恵まれた立地条件が挙げられます。
 1)幹線道路沿い
 2)広い駐車場
と、居酒屋さえもが客の自家用乗り物での来店に対応していないと生きのびていけない、と言われるこの街の飲食店において最低限備えているべき二大条件は満たしています。
※居酒屋から運転して帰る不謹慎者も皆無ではありませんが、法律の厳しくなった昨今では代行運転サービスが繁盛しているようです。

 それに、ドーナツという食品自体が既に「お子様方、ウェルカム」な嗜好性を持っていることは言うまでもないでしょう。しかもMの景品には手帳など心そそるアイテムが揃っています。

 しかし、店員の動きを眺めていても、特に動きが悪いというわけではありません。客のマナーも上出来です。
 それでは何故に混むのか?以下の注文から品物受け渡しまでの段取りから検証してみます。

 1)客はショウケースを見ながら注文するドーナツを選び、カウンター内の店員に1種類ずつ口頭で伝える。
 2)多くの客は店内お召し上がりよりお持ち帰りで注文する。
 3)ドーナツ代金が支払われた後、店員がドーナツの箱詰めおよびコーヒーなど飲み物のカップ注入を行い、客に手渡す。

 まず、1)について。ショウケースを見ながら注文を1種ずつ伝えるのは洋菓子店などで普通に見られるやり方ですが、Mは自分の店が町のケーキ屋さんではなくファストフードであるということをもう少し自覚した方が良いように思います。一応レジにも下敷き型メニューはありますが文字が小さくあまりユーザフレンドリーではありません。
 また、並んでいる客からはショウケースが離れているのでレジ上部のメニューが頼りであるにもかかわらず、レジ上部メニューには飲み物とドーナツ以外の飲食メニューしか記されていないのでした。

 続いて2)。お持ち帰り客が多いということは、店員が注文を訊いてかがんでショウケースからドーナツを拾ってはトレイに入れ、また訊いてはトレイに入れるという作業を繰り返すということです。しかも見ていると皆さんかなりの数(10~20個)をまとめ買いしています。
 逆に言えば、店内お召し上がりの客はお持ち帰り客の注文中もずうっと待たされるわけです。しかもMにフロア専門の店員というのは存在しません。カウンター内の店員の手が空いたときに食器の片づけなどの対応をしています。

 それから3)については一見スムーズに動いているように見えますが、実は箱詰めの合間にも厨房から追加のドーナツが品出しされてきます。品出しの対応は接客しているのと同じ店員が行うので、店員がショウケースに商品を追加している間は箱詰めやコーヒーサーブが中断するのでした。

 以上の考察結果から、我が近所のMに必要なのは以下の配慮であると考えました。

  • もっとレジ上部メニューを充実させ、行列客から見やすいようにする。
  • 更に、行列に下敷き型メニューを回覧/配付して注文内容を決めておいてもらう。まとめ買い客には注文票の記入サービスがあるとありがたい。
  • これはMのポリシーから外れるかも知れませんが、ベーカリー方式にして客自身にトングでドーナツを拾わせる。
  • フロア係を置いて、店内飲食希望の客は別途テーブルに案内する。
  • ついでに品出しは専門の店員が行う。接客・箱詰めは1、2名の店員が行えば十分。

 これだけでも随分待ち時間が違うと思うのですが・・・やはり客のわがままでしょうか。
 #「そんなMはイヤだ」という批判があるかも知れないことはさておき。

 ただし、「行列ができること」がステイタスと化しているならもう筆者に言うことは何もありません。ゆっくり座ってドーナツを食べたい時には家から車で15分の所にある別のMに出向くことにいたします。

2005.08.18

もっちもっち、もっちもっち。

ここ4週間、週に1回続いていた職場のイベントがようやく一段落し、つかの間の解放感を味わっています。
最近流れ始めたテレビCMで、ミスタードーナツの「ポン・デ・リング」のCMを目にする度になぜか心配性と化しております。CMのストーリーは、ポン・デ・ライオン(たてがみはポン・デ・リング製)とその仲間であるところのフレンチウーラー(首廻りがフレンチクルーラー製)が、ポン・デ・ライオンから外れたたてがみ(ポン・デ・リング)を2匹なかよく分け合っておいしそうに食べている、という実に心なごむ内容なのですが、問題は彼らがリングを食べている場所です。
2匹は崖をはさんでそれぞれ左側と右側に立っていて、崖の割れ目の真上にリングを置いて、割れ目の両側からリングの端と端をかじり進めています。何が言いたいかというと、つまり、このまま何も考えずに2匹がかじり進めると、やがてリングの真ん中部分はぽろっと崖下に転がり落ちる運命にあるわけで・・・。(^_^;)
というわけで、CMが流れる度に
「あーっ、やめてー!早く気づかないとドーナツが落ちちゃう!」
と絶叫しているバカはやはり筆者だけでしょうか?・・・ああ、急にドーナツが食べたくなってきました。

2005.05.07

信越旅行(2005.5.5―5.6)

 1泊2日の信越旅行に行ってきました。
 妙高高原他に出かけたのですが、出発の前の日まで妙高高原が新潟県であることを知らなかった筆者(^_^;)。てっきり長野県にあるものと勘違いしていました。県境だったのですね。(筆者の日本地理の知識は中学レベルに止まっています)
 住まいから4時間強かけて上信越道豊田飯山ICまでたどりつき、山菜の天ぷら付きで信州そばをいただいた後新潟入り。赤倉温泉の足湯公園で足の疲れを癒した後、妙高高原のゴンドラロープウェーに乗車しました。いやあ、まだ山肌に残雪がちらほらしてるねえ、と呑気に連れ合いと語り合っていたところ、11分の乗車中に徐々に雪の割合が増えて行き、とうとう雪が山肌を埋め尽くしてしまいました。

DSCF0558  終点に降り立った我々が目にしたのは、ゲレンデにシュプールを描く人々でした。そしてゲレンデの手前で所在なげにしている年配者のグループ。ちなみにそのときの我々の服装は、連れ合いは綿の長袖シャツ1枚、筆者はタンクトップに襟元の大きく開いたUネックの7分袖カットソー。足下は普通のトレッキングシューズ。それはそれは雪山を甘く見て呆然と立ち尽くす愚かなカップル、といった風情が濃厚に漂っておりました。足下が革靴やミュールでなかっただけましではありましたが、だからと言って雪の中長距離を歩くこともできず、数枚の写真を撮っただけで退散したのは言うまでもありません。
 その後すぐ投宿し、温泉と日本酒とたらい盛りのお刺身を楽しんだ後は早めに就寝。その代わり夜中は目が覚めてなかなか寝付けず、積読本を1冊も持参しなかったことを激しく後悔しました。

DSCF0568  2日目はのんびりと朝8時から食事、9時20分過ぎにチェックアウトした後向かったのは、いもり池のみずばしょう祭。 祭りの名に違わず、水芭蕉が湿原一帯に群落を作っていました。
 その後は野尻湖ナウマンゾウ博物館へ。ナウマンゾウの臼歯の化石(湯たんぽ化石)などをじっくりと見学しました。子どもの頃教科書や児童向けの考古学の本を読んで憧れた野尻湖の発掘が現在もなお続行中であることを知り驚くばかり。この発掘事業によって、地域だけでなく全国的にも交流が保ち続けられているのは素敵なことだと思います。

 野尻湖を後にし、上信越道に乗り一路長野市へ向かいました。子どもの頃訪れ鳩の群れに襲われて恐怖を覚えた善光寺には、今もまるまると太った鳩たちが元気に暮らしていました。流石に襲われはしませんでしたが。藤木庵で「ごくらくそば」を美味しくいただいてから、門前の書店にふらりと立ち寄りました。この書店、政府刊行物センターになっているとのことでしたが、なぜこのような門前町にいきなりそのような指定書店があるかは謎です。それにしても、中に積まれた統計書や政府広報誌など、数々の刊行物を目にしながら、「これはうちの館に寄贈で届いている」とか「先日この雑誌のNA○S○Sの書誌に誤りがあって、しかもそれが原因で図書館システムにエラーが起きたから、担当者から申し入れしてもらった」等々の会話をしてしまう我が家って一体・・・。

 善光寺を出発、途中でおやきも購入し、川中島古戦場を横目に見ながら長野ICから上信越道に乗り、帰路につきました。途中でずっと運転をつとめた連れ合いが力尽きかけるというハプニングもありましたが、何とか復活、19時半頃無事地元に到着することができました。長距離移動でそれなりには疲れましたが、食事も充実し(全くハズレがなかった!)、良い旅だったと思います。

 そして、これを書いている今日(7日)はひたすらだらだら。これから、善光寺で入手してきたわさびの花で仕込んだ浅漬けを夕食にいただくことにします。明日は上京予定。そして明後日は出勤(涙)。また粛々とがんばることにしましょう。