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カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

2010.04.28

4月27日、「事業仕分け」にプチ愚痴る

 現在実施されている行政刷新会議の「事業仕分け」のWGのうち、ごく一部のみの議論ではありますが、本日ネット生中継で視聴いたしました。

 本日の仕分けの議論のある部分には、
「これは突っ込まれても仕方ないさ」
とほんの少しだけうなずき、残り大半については、
「仕分け人さん、それって被告、もとい、法人側の言い分を、あえて分かろうとしてないべ?」
と憤り、しまいには何だかやりきれなくなり疲れてしまいました。
 だって、今まで仕分けられる事業に対しては、
「説明できない責任者が悪い」
とばかり思っていましたが、責任者、きちんと説明すべきことは頑張って説明していましたもの。少なくとも、聞く耳を持とうとする一般大衆が分かるようには説明していたと思うのに、初めから「これは無駄だ切ろう」の姿勢で待ち構える人達の前では、頑張っても無駄でしょう、それは。

 とりあえず、自分が本日Twitterに投稿した発言をそのまま載せておきます。現在もなお、心境はこれ以上でもこれ以下でもありません。

 かつて、軽く叩けばすぐ回収できるような無駄金を、必要以上に大叩きして回収するためにこうした公開裁判パフォーマンスを開催するという、いわば政治家が国政をオモチャにし、
「無駄金の源であることを錦の御旗として立てさえすれば、議論で勢い余った仕分け人がどれほど行政の仕事を侮辱しようが、あるいは自分の尺度でのみ語ろうが(※)、許される」
時代があったということを忘れてはならない。そう考えています。

※事前に視察もし、綿密な検討に根ざした発言なのかも知れませんが、発言者によってはとてもそう聞こえないこともありました。


仕分け人が事業を潰すことを大前提とした、農研機構&農業者大学校の仕分け。 #shiwake_b


事業仕分けB-15について。誰だか知らないけど「農業研究が進まないから現場の農村が疲弊している」呼ばわりした仕分け人。貴様だけは決して許さん。 #shiwake_b


農者大の仕分け議論の時に「そのテーマは現政権において打ち出されたものだから、前政権の下に設置されたお前らが言うな」みたいな発言が仕分け人からあったけど、あれは流石に反則だと思った。前政権で設置された組織は現政権の下で生きることも許されないのかよ。 #shiwake_b


事業仕分けは「金に厳しく」(本日のニコ生徹底検証より)あるのが正しい姿だとは思う。しかし個々の仕分け 人にそれなりの志があったとしても、総体として「前政権の下に築かれた事業」の否定の為に一丸となり仕分けが行われているという印象は打ち消せない。 #shiwake_b


 ……本当はこういう時は笑い飛ばすのが一番賢いやり方だと思うのですけれどね。でも今日はちょっと笑えないのでした。

2008.03.15

ねんきん特別便

 「ねんきん特別便」(そう言えば何故「年金特別便」じゃなくて部分的にひらがななんだろう?)が、ついに筆者の所にも届きました。筆者の学生時代の国民年金は親がまとめ払いしてくれていましたが、その記録と今の勤務先の年金を自分で結びつける手続きをした記憶が皆無であったり、国民年金支払い時とは姓が変わっていたりする等、年金に関しては危ない要素が満載であるという自覚はありました。でも何か手がかかりそうだし、それに色々大変そうな社保庁の人にわざわざ電話を入れるのは何だか申し訳ないという気持ちもあって、ついつい忙しさにかまけて問い合わせをサボっていた所、案の定、といった感じです。
 学生時代に(親が)払った年金の記録と現在の勤務先の年金の記録とがきちんと紐付けされていないというのは予測できていましたが、どうも勤務先の年金の登録が旧姓のままになっているらしく、そこは想定外でした。そう言えば自分で意識的に年金関係の改姓手続きをした記憶がないや、と初めて思い当たった始末です。大体年金関係の手続きは基本的に他人を当てにせず自己責任でしっかり行うべきものだなんて、最近の年金騒ぎで初めて知ったようなものですし。いやしくも自分で稼いだお金を注ぎ込んで居るんだから、もっと早く意識すべきであったと反省しています。
 それにしても「特別便」の返送書類の記入説明は実に分かりやすいですね。流石、分かりづらいという意見が出て改善された(らしい)だけのことはあります。でもこれだけ親切に書いてあっても、読み取れない人とか、あるいは「字が多くて面倒」とか言ってほっぽり出す人は絶対いるんだろうな、と思うと軽くウツになりました。生きるためには最小限、この手の説明書を読んで内容を実行できるだけの国語力は必須だと思います。かつてのテレビのお笑い番組「オレたちひょうきん族」で、冷蔵庫やら何やらの取扱説明書をベテラン俳優がひたすら朗読するというコーナーがありましたが、ああいう風に何の変哲もないマニュアル類を音読したりして読み取れるようにする力もまた、国語教育において、文学作品の読解力と同じぐらいには身につける必要のあるリテラシーだぞ、と、学生時代国語の成績だけは良かった(=試験問題の出題者の意図をせこく読み取る能力だけがあった)者としては考えてしまうのです。
 あ、みんなそう考えたから、ちょっと古いけど『声に出して読みたい日本語』が流行ったりしたのですね。今更のように声高に言う話ではなかったかも、とまた反省。

2008.01.30

消費者庁

 本日気になった以下のニュース。

 asahi.com:霞が関、戦々恐々 首相肝いり「消費者庁」構想 - 政治

 はてブの反応等を見てると「各省庁は利権が減るのがイヤなんだろう」みたいなのが多いんですが、これ、役所の上の方はそれも考えてるに違いないんでしょうけれど、下の方の人間から見たら多少違うと思います。

 まず、省庁が増えても、現在まで何百年と続いてきた縦割りの構図を変えるのはそう容易なことではありません。簡単に変えられるようなら、とっくに変わっている筈。
 あと、首相が頑張って新しく「消費者庁」を作ったとすると、記事にもあるとおり各省庁の定員がそっちに持って行かれると思われます。でも、各省庁内に消費者庁との連絡窓口となる部署(どこかの課の班1つ、あるいは係1つレベルかも?)は必要になるわけです。消費者庁からの指示や依頼の内容によっては明らかに担当原課じゃないと対応出来ないものがある、というか、原課に回すのが大原則だから、窓口担当部署から各原課に指示や依頼を連絡……って、今とあまり変わらない気がするのですが。むしろ、消費者対応の省庁が頭1つ増える分、混乱が生じるように思います。むしろ役所の下の方の人が心配しているのはそっちの方ではないかと。
 「下から上に訴えればいいじゃないか」「労働組合は何のためにあるんだ」と言う人もいるかも知れませんが、役所というのは驚くほどに物の決め方がトップ ダウン、と言えば聞こえが良いけれど、トップで決めたことを下に下ろして、どんな無茶なことであってもこれでよろしく、と言われれば「御意にございます」 と実行しなければならないという仕組みが根付いていて、実行部隊である下の者の意識についてもこの状況で生きやすいように慣らされているので、実際には難しいと思われます。

 もちろんそういう苦しい、しかも却って国民の混乱を招くような状況にならないように各省庁で努力すべきであるとは考えています。でも、原則として現在の役所の定員が増えることはない、ということは、窓口部署の定員も簡単には増やせないから、少ない人数で対応を整備していくのは大変苦しい道のりだとは思いますけれど。
 消費者庁側も同じですね。最近の役所の仕事、増えることはあっても決して減ることはないと思うので、仮に設置されてスタートしたとすると、当初想定していたよりも遙かに多くの担当業務が新庁に課せられることになるのではないでしょうか。

 というわけで、「消費者庁」にあまり明るい展望を見いだすことは自分には出来ません。ただ、役人が利権の多寡ばかり意識して生きてるかっていうとそうではないんだぞ、ということだけは声を大にして言わせてもらいたいと思い、このエントリを書かせていただきました。

2005.09.24

郵貯・簡保民営化について

 タイトルに反して全然政治的な主張じゃなく、政治を全然わかっていない者の全くのワガママに過ぎませんが、
  郵貯・簡保民営化か廃止前原氏(共同通信)
の件についてです。
 郵貯預入限度額の引き下げから始めて将来は廃止を、というのが民主党の主張なのですね。筆者のメインバンクは郵便局なので、それは結構困りそうです。何故郵便局がメインかと言うと、ここつくばには「使える」銀行が少ないから。地元最大手の地銀は経営状態も悪くなさそうなのでまあ良いです。しかし2番手の地銀の経営状態がどうも信用できません。一応どちらにも口座は持っていますが、2番手の方にはあまり大量の金額を預けたくないなあ、と思ってしまいます。3番手以降は論外です。現金中心主義なので、預金を債券に代えるのにも抵抗があります(代えるほど元手がありませんが)。
 郵貯を縮小する代わりに、今地元に少ない都銀の支店や出張所(ATMではなくて)を増やしてくれる、というのなら考えてみても良いですが、都銀さんも今はきっとそれどころではないでしょう。
 田舎暮らしで郵貯を便利に使いたい、という一個人のワガママに対しては、自民党も民主党も味方にはなってくれないようです。やはり庶民・労働者の味方、労金や信金が最後は頼りなのだろうか、と思ってみたりしているのでした。

2005.05.29

無名戦士の墓

 土曜日は冬服のクリーニングに部屋の掃除に・・・色々やらなきゃ、と考えていたのに。朝ブログを更新した後ぐらいから急激に気持ちが落ち込んで身体も動かず、だらだらと過ごすばかりで何もできずじまい。そんな自分の状態が嫌でますます落ち込み、連れ合いに八つ当たりする始末。
 夕方近くになり、たまたま近くまで来た実母から電話があったため、とりあえず誘いに乗って一緒にお買い物。洋服や食料品を眺めたり買ったり、お茶を飲んでいるうちに何とか少し元気が出てきました。今日は少し活発に動けるようになりたいです。と言うか動けないと困ります。

 先日の記事を書いて以降、祖父たちが派遣されていたという前線の様子はどのようなものであったかと気になり、まずはGoogleでその地名を検索して見たところ、ダイビングの名所としての情報が最初に何件か出てきたのに続けて、旧日本軍戦場での遺骨収集活動を実施しているNPOの情報が見つかりました。遺骨収集と供養が実施された地域の当時の戦況解説など大変参考になったのですが、活動に従事した2、3年前の大学生のレポートを読んでいて不思議な感じを覚えました。どことなく文章の言い回しや感情表現が今の子にありがちなものとはかけ離れているのです。有り体に失礼な言い方をすれば「オヤジ臭い」。恐らく、議員さんや遺族の方など、ご年配の方たちと密接に交流して話を伺うなどしている影響なのでしょうけれども、確かに彼らが体験し彼ら自身の手で綴られているのに、決して彼らの日常の言葉では語られていないような、そんな複雑な印象を受けました。
 そんな言い方をして信じてもらえないかもしれませんが、普通はなかなか取り組むことのできない、肉体的にも精神的にも負担の大きい活動に従事している彼らには深く敬服しています。もしかしたら集められた遺骨の中にうちの祖父もいたかもしれませんし。戦後こうした方たちの活動により集められた遺骨は、千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納められているようです。祖父は当然靖国神社にも合祀されていますが、彼が本当にいるのはこちらの墓苑なのかもしれません。
 そういえばこの墓苑については雑誌『暮しの手帖』編集長だった花森安治さんが「無名戦士の墓」として取り上げられていました。この文章は同誌の『保存版 III』(2004.1発行) p194に再録されています。また、未所蔵のため確認していませんが、以下の図書にも収録されていたはずです。リンクではbk1を紹介してますが、ここでは取り扱い不可になっています。amazonでは取り寄せ可能なようです。

一銭五厘の旗 / 花森 安治. 暮しの手帖社 (1978) ※正式な綴りは『一戔五厘の旗』

2005.05.01

ハローワークも民間開放へ

 今日は5月1日。昨年同様、メーデーで行進してきました。参加者の中にしっぽがぴんと立った人なつこそうな顔のビーグル犬がいる、可愛いなあ、と思っていたら、どうやら昨年も同じ場所で出会っていたようです
 会場ではぼうっと歩いているだけで様々なビラが手元にやってきます。大半は、泥仕合に陥っている企業の組合争議に関するものでしたが、中に「ハローワークの民間開放は働く人の権利を後退させます」というタイトルの、1枚毛色の違うものが。内閣府 規制改革・民間開放推進会議で昨年末に打ち出された、ハローワーク業務を民間事業者に委託するという方針への反対ビラでした。ビラで訴えられている内容は次の通りです。

  1. 労働者派遣などを行う事業者にとって求人企業は「顧客」である。そうした事業者が労働基準監督署と連携し、顧客に対し適切な労働条件の指導を行えるとは考えられない。
  2. 職安業務には法令、幅広い職業知識、カウンセリングなどの専門性が求められるが、民間委託すると入札で契約企業が入れ替わるため長期的な養成ができず従って専門性の維持ができなくなる。
  3. 東京都の区や神奈川県の市の一部で既に民間委託が行われているが、就職率はハローワークより低く費用もかかっている。
  4. そもそもこの推進会議の委員は大企業のトップや学識関係者から構成されており、労働者代表がひとりもいない。ビジネスチャンスの拡大を担う業界の要望を代弁しているに過ぎない。

 民間開放の流れは図書館だけではなくあらゆる公共施設に広がっているのだと実感しました。ただ、この流れを止めるのはやはり困難かと思います。
 上記推進会議のサイトに掲載されていた「ハローワークの民間開放について」(PDFファイル)によれば、公的な職業紹介事業と職業訓練事業との連携がこれまで今ひとつうまくいっていなかったのを何とかしたいというのも、民間開放が提案された理由の一つだそうです。今後そうした状況を改善していくとすれば、これまでのハローワークで引き継がれてきた専門的業務だけで乗り切っていくのは恐らく難しいことでしょう。一方、民間事業者のノウハウの全てが公的機関であるハローワークに適用できるわけではないでしょうから、そこは両者が知恵をぶつけ合って改善のためのアイディアを継続的に提示していくことが大事なのだろうと思いました(上記のPDFにも数例のアイディアが載っています)。
 どうか、実際に事業の現場にいる方には、流れを止めるのではなく国民がより泳ぎやすい流れに変えるために力を入れていただきたいものです。

2004.04.25

イラク人質事件報道について

 ページレイアウトを今までの2列並びから3列に変えてみました。

 4月10日付け記事でもちょっと触れた、イラクの人質事件のうち先に起きた方について、その後の報道のされ方などに何か違和感を覚えて仕方なかったのですが、どうも、日本政府の意見とマスコミ(主に週刊誌)の意見が被害者を非難する方向で一致しすぎているからだと思います。
 被害者3名のイラク行きは確かに善意から発したものではありましたが大変無謀なものであったのもまた事実であり、また、被害者の家族とその取り巻きによる政府批判(家族は感情としてやむを得ない面もありましたが取り巻きが便乗したのがちょっと・・・)が、陰で工作を続けていたであろう政府関係者の感情を逆なでしたのは想像に難くありませんし、また、報道を見聞きした人々の中にはカチンときた人もいるでしょう。ただ、マスコミと政府の意見が奇妙に一致していて、世論もそちらに傾いている感じがするのが何だか気持ち悪いです。結果的にそうなっただけかも知れませんが、政府のお墨付きを得た報道というのに抵抗感があります。

 今回の一連の報道について、個人的には、被害者たちが脅迫されて過剰な恐怖の演技をしたことがどうして責められるのかがよくわかりません。というか演技であろうがなかろうがどちらでも良いではないかという心持ちです。待遇が悪くなかったとはいえ、逆らったら何されるかわからない状態に置かれたら何でもするのが、特殊訓練を受けていない人間としては自然だと思いました。危険に満ち文化も違う異国の地へ特殊訓練も受けず、十分な生命の覚悟もなく生半可な信念のみで行くのは無防備である、というのが批判する側の論旨であり、それは確かにその通りなのですが、だからと言って無防備な人間があのような状況下で示す当たり前の反応を鬼の首を取ったように責めるのはつまらないことです。
 被害者たちがPTSDのため記者会見拒否、に対する批判についても同様に「つまらない」という印象を持ちました。事件の状況が彼ら自身の言葉で解明されない以上、PTSDについて邪推することも、逆に全面的に納得することもしてはならないと考えます。もっとも、被害者のうちジャーナリストの方には仮にも報道をメシのタネにする立場である以上口を閉ざさず語って欲しかったと残念に思いました。