2009年年の暮れ、私が望むものは……。
あっという間に2009年も暮れようとしております。
年頭に「夢25個」とか言っていたような気がしますが、あまりにも理想が実現できていない状況なので、どれが叶ったとか叶ってないとかを声高に言うのは止めておきます。あ、残業は少しだけ減ったかな。あと、荒廃していたベランダでは唯一、スイートバジルの鉢植えが細々と生きています。部屋は11月に新しいテレビを友人に譲ってもらった時に頑張って一部片付けましたが、1ヶ月経ってまた物が増えつつあります。『レ・ミゼラブル』の原作本は買ったまま積んである状態です。
……やはり情けないので、これ以上書くのはやめておくことにします。
叶うかどうかわからない夢よりも、今、最も現実的に真剣に自分が手に入れたいと望んでいるのは、
「心の病を抱えた人を適切に、できれば回復に向けてサポートするための、患者の身近にいる者のケーススタディができるだけたくさん欲しい」
ということです。
心の病の治療薬はたくさんあり、専門の病院も存在します。しかし、心を収めている肉体という器の質は1人1人違うので、ある人に効いた薬が別の人に必ず効くとは限りません。また、人間が日々生きるということはすなわち「心を使う」ことであり、それにより心に何らかの負担が確実にかかります。その負担のかかり方も患者の数だけあると思います。
「患者の数だけある」と書きましたが、それはすなわち、患者の身近にいる人間の数もそれだけいて、患者を取り巻く環境のバリエーションもそれだけ存在する、ということです。
もちろん、症状の改善・回復は結局は患者本人の健康状態、性格、色々なものが鍵になるわけですし、身近な者が心を砕いてもそれが100%報われることを期待してはいけないと思います。患者は身近な者に気を遣うより、少しでも治療に前向きになって欲しいというのも本音です。
それでも、身近な者(家族に限らず、職場や隣人、友達も含む。当然、どんなに身近でも、その者の存在自体が根本的な原因・病巣になっている場合を除く。)によるサポートは、やはりどうしても欠かせないものであると思うのです。何だか、患者の身近な者も巻き込んだサポート体制という物が、病院からも、公からも放ったらかしにされている気がしてなりません。そりゃ患者本人も含めてそれぞれ「個」の生活があるわけで、手厚いサポートというのは難しいのかも知れませんし、一番身近な人間が最大の病巣になっている場合もあるのでしょうけれど、もうちょっと闘病プロセスのケーススタディや克服後のケアに関するヘルプとか、そういう情報があれば良いのですが。できれば、患者やその身内本人ではなく、医師や看護師、あるいは第三者の視点で私情を入れず、具体的かつクールに記録されたもの。
と、書いたところで思い立って、図書館屋の端くれらしくCiNiiで検索すると、医中誌でいくつかサポート、ケア関係の興味深そうな文献が引っかかります。これらの原報をいくつか読めば、少しは知識が厚くなるのかも知れません。もっと原報入手の敷居が低ければ言うことがないのですが。
以上、私は医学系の人間ではないので、言葉の使い方が厳密さに欠けていたら申し訳ありません。
多分、このエントリが今月2個目にして今年最後の投稿になるかと思います。皆様、よいお年をお迎えください。